百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

松尾芭蕉(1644ー1694)

2020年07月30日 | 空木宝剣
夏草や コロナついには 夢のあと

コロナ感染者ゼロだった岩手県にも、2名の感染患者が出てしまった。

Go to キャンペーンで平泉の金色堂が賑わったニュースがあって、さもあらんという答である。

令和2年、武漢発の新型コロナ未だ増殖中。

かたや、熊本は球磨川から始まった、線上型豪雨による大洪水は、日本三大急流のもうひとつ最上川にも及んだ。

五月雨を 集めてはやし 最上川の芭蕉と、
五月雨や 大河を前に 家五軒の蕪村と。

江戸時代、前期の芭蕉と、後期の蕪村も、令和2年のこのような景色を、俳句という575のカメラに納めたのだろうか?

コロナの中の長雨。

今日は、カープが勝ってくれた。

コロナ退散を期して、カープが勝った時以外は、断酒と決めたものの、中日と最下位争い。

酒を飲めない負けた日は、ビールを飲んだのでは、勝新太郎さんになっちまう。

勝という事は、簡単である。

自分に負けない事である。

それにしても、笹岡監督の赤マスクが気にかかる。

赤い口は、赤口。

正午のみ吉という大凶である。

封建時代の女性は、それを忌み嫌いお歯黒にしたほどである。

佐々岡監督、「お前が投げろ」とは、ファンは言わないだろうが、赤マスクを黒マスクにかえれば、スタンダール(1783~1842)の赤と黒。 

松山の赤バットか、黒バットを振れば、きっと首位争いまで浮上する事間違いなし。

勝負事は、縁起を担ぐべし‼️

不条理な災難は、神に祈るべし‼️


百の聖地巡り。

2020年07月28日 | 日本の百々巡り。

今回の四連休前後に、百島へ帰省を予定していましたが、自粛中止としました。

コロナ禍の最中にGo to キャンペーントラベル、その一方で九州での豪雨災害でのボランティア活動、または、Stay at ホームを維持する巣籠もり、百人百色、全部が全員自分が正しいと思って行動しているのでしょう。

日本 百名山・・・今さら全部登れない。
日本名水百選・・・今さら全部飲めない。
日本夕陽百選・・・今さら全部見れない。

その他、様々な日本の百選云々・・・全部到達達成しなくてもよいのです。

されど、自分の「百」があれば、それで正しくて善いはずです。

百は、日を吊り上げ支えています。

今日一日の守り霊のような文字が「百」なのです。

日本全国各地にある「百」、百を名乗る場所、地名を巡って観ようかと思い立ちました。

それをまとめたモノを創る、小説なり神話なり物語なりを書くこと。

ところで、今日は福井市役所に出掛けて参りました。



防災士となる資格応募要項、試験申し込み書を頂きに上がりました。

福井市は、今日からこんなポスターで告知していました❗





どうせならば、「世界一の防災防疫都市を目指す福井市❗」

と、高々に宣言すればよいのにね❗

今日28日は、お不動さん詣り。



此れまた、「清煙百世」の験。


芥川龍之介(1892~1927)

2020年07月24日 | 空木宝剣
河童忌や コロナと雨と 川ながれ

今日は、芥川龍之介の命日。
生誕128年。没後93年。35年の生涯。

昭和2年、「ぼんやりとした不安」という遺書を残して自殺。

令和2年、7月18日 俳優の三浦春馬さんが自殺。30歳の若さである。

この世に、「絶対」があるとすれば、生まれたものは、遅かれ早かれ、死ぬという事。

にもかかわらず、ストイックな人は、不条理な、戦争、天変地異、伝染病などにも避ける事をせず、立ち向かうのかも知れない。

日本人気質としては、数字や数値のノルマに対して真摯である。

仕事も遊びも、スケジュール道理に運ぼうとする。

許容限度を越えた荷物は、背負わぬ事である。

「期待される人間像」は、ナポレオンや、徳川家康のような覇者でなく、地球の住民としての自覚者であり、地球を生命体としてお世話をするリーダーが相応しい。

団塊も若い頃は、重い荷物を背負って、遠く迄行くのが人生と思っていたが、古稀になった令和なれば、荷物はドローンに任せて、手ぶらが良い。

何でも手に入れようとする、その手は桑名の焼き蛤。

芥の川を、龍の棲む綺麗な川にし、海辺は耕して魚介類を育て、山は動植物が豊かにする。

そんな自然に帰りたいものです。
 ジャンジャック ルソー
(1712~1778)

般若心経。

2020年07月23日 | 千伝。
毎日、般若心経を唱える高齢者がいます。

それを見聞きしている自分自身も、いつの間にか般若心経の音の響きに反応しています。

般若心経262文字の意味ではないのです。



音の響き・・・観音力かな?

子が先に逝くことも多くなった長寿社会における高齢者の立ち位置と未来。

安楽死の権利を認めない日本社会。

嘱託殺人罪で逮捕された二人の医師のニュースを観ながら、世の中には死を欲しても自殺もできない病人、病弱な高齢者が多くいるのも事実です。

厚生労働省が新たに配布した感染防止、熱中症予防対策のポスターです。

新しい生活様式の健康例と実践例です。





こんな長い説明書きを読んで理解できる方は、まだまだ長生きします。

人間関係が良ければ、自ずと楽観気分となります。

大丈夫です。

第三帝国の食。

2020年07月23日 | 千伝。
子供の頃、夏になると、蛇と戯れて遊ぶ他の子供たちの姿が不思議でならなかったです。

蛇を見たら腰を抜かすほど怖い僕でした。

だから、全く蛇を含めて爬虫類が怖くないという子供が結構いるのが理解できなかったのです。

彼らには不当な意見になるかもしれませんが、蛇や爬虫類のいない百島であってほしいと子供心に強く感じていました。

そんな僕ですが、小学五年生の頃、肝試しに一度、用水路で見つけた蛇一匹を長い棒を使って殺めた事があります。

勿論、蚊、ゴキブリ、アブ、ハチ、アリ、虫等々、今まで殺生した生き物は、数多の限りです。

ただ、古の世界から、人間は、蛇に対して財運、守り霊、信仰やら畏怖すべき対象として扱ったように、あの蛇を殺めた記憶は忘れられないのです。

その殺めた報いとか呪いとか祟れるとか、その不安があったのでしょう、子供心にこういう気持ちを告白すると、親戚の長老だった藪の丘のおっさんが、戦争で中国大陸へ出征した時の体験話を憶えています。

戦争は、喰うか喰われるかの生き物の世界を体現したとのこと。

戦争という殺し合いになると、人間同士で身体の一部を切り刻む残酷さがあるとのこと。

中国大陸では何でも食べる、人間は飢えると、何でも食べるとのこと。

蛇を見つけたら、その場で切り裂いて生の蛇肉を食べるとのこと・・・卒倒しそうな話ですが、よく考えてみると、ウナギ、蛸(タコ)、イカやら魚を刺身で生で食べるのも変わらないのでは?

心臓を持つ肉食動物は、喰うか喰われるの世界が本質なのでしょう。



昨日は、土用の丑の日。

鰻弁当を頂きました。

うなぎ上り・・・若い頃は美味しい好物でしたが、今は、長いモノを連想して苦手。

牛肉、豚肉、鶏肉、肉食生活から、だんだんとベジタリアン、ビーガンに変化、転向しつつあるのかもしれません。

ビーガンとは、心臓のある生き物関係、卵もチーズ、ハチミツをも一切食べない完全菜食主義者の事。

例えば、70歳過ぎても世界のロックスターであり続けるポール・マッカートニーもミック・ジャガーもベジタリアンに転向して以来、2時間も3時間もステージ上で唄い続けることが可能になったとか。

命が力強くなるようです。

野生の世界でも同様で、地上で一番大きい象は、草食動物です。

草食動物の象は、肉食動物のライオンよりも大きく力もあります。

しかし、その象の天敵が鼠、その鼠を好物とするのが蛇。

その命の循環に伴い、感染するウィルスも肉食の一種かも?

今日は、大暑。

香港島の自由まで奪う共産党主義の大陸中国。

次は台湾か、その次は尖閣諸島か、さらに、沖縄か?

中国は、何でも食べる・・・コウモリでさえも、自由に食べる。

人民のための共存共栄は、肉食を喰らう自由の国。

肉の帝国、霊の帝国が合体して、第三の帝国。

第二次世界大戦中、かつてのナチスドイツ総統のアドルフ・ヒットラーは、なんと・・・ベジタリアンだったとのこと。

第三帝国の総統は、肉食種の絶滅を秘かに計画していたのかもしれません。

そうであれば、精進料理が第三帝国のメイン食、お釈迦様もイエス様も、さぞ驚くかもしれません。

免疫力、元気快復となる食の源は、やはり「お粥」です。

個人的な意見ですが、食べること、寝ることに、痩せ我慢はしない方が健康的です。

アレキサンダー・フレミング (1881~1955)

2020年07月18日 | 空木宝剣
前門の虎 後門の狼

感染病と経済。

人が動けば、物も動く、人や物が動けば金が動く、その動きに乗じてコロナが拡散する。

今から約90年前の昭和初期。

英国の細菌学者フレミングは、球菌が増殖しない青かびを発見。

そこからペニシリンを抽出。

肺炎や敗血症など細菌性疾患に対して、殺菌性治効性が認められた。

令和初期の現在にも、コロナ連鎖球菌の勢いを殺ぐ特効薬さえ出来れば安全であるが、その薬がない場合に於ては、安心より警戒心が肝腎である。

全国で、1日 610人のコロナ感染患者の今、第二のフレミングの登場。



そして、go to ワクチンが急がれる。

ポテトサラダ。

2020年07月17日 | 百伝。
昨日は、感染防止委員会でした。

ぼくも名ばかりですが、感染委員会のメンバーです。

福井県で久しぶりにコロナ感染者が出たとのこと。

感染者が一人出た途端に、外部とはシャッターアウトの面会禁止にした個人病院もあります。

東京に帰省していた若い親子3人が感染者、結果的には、その家族の濃厚接触者全員が陰性で、ホッとしています。

ぼくの職場も面会を再び禁止するかどうか話し合いがありました。

これは、念には念を入れて、患者さん、利用者さん、高齢者への感染防止の為でもありますが、感染となると、個人病院、高齢者用施設の経営も危うくなるのです。

自粛、休業、閉鎖、破産、倒産すれば、行き場のない患者さん、高齢者が増えます。

今後は、オンライン面会というシステムが普及すると思います。

現実は、コロナ感染で亡くなるよりも、熱中症で亡くなる方が多いのですが、プラス思考だけでは救われません。

それと、日本に約百万人ほど居ると言われる引きこもりの皆さん。

どうやって、支援、介護、生きるのか分からない?

コロナ禍の時代、車を運転していると、轢いてしまいそうなぐらい、ゆっくりと道路を渡る人が多いと思うのは、気のせいでしょうか?

輪廻転生というのがあれば、二度と人間に生まれ変わりたくない思う人間は、、かなり多いのかもしれません。

大自然の驚異をまえにすると無力、目に見えないウィルスの脅威に無力・・・無気力?

生きるには、気力がないとね❗

生まれて死ぬまで、大きな気づかい、小さな気づかい。

好奇心も楽しみも無く、不安だらけの人生は、悲しいものです。

自分が生まれた世界を愛するのも憎むのも、心次第。

明日を思い煩わず、今日も一日暮れます。

ポテトサラダ作り、大得意です。


バロメーター。

2020年07月15日 | 千伝。
大雨、豪雨の被災者、その関係者にお見舞い申し上げます。

16年前の福井豪雨の被災経験を思い出します。

ただ今は、県外から被災地へのボランティア活動が、コロナ禍のため受け入れられないとのこと。

こういう状況で、来週22日からのGo to キャンペーン・トラベルの全国一斉実施は、どうなのかなぁ?

経済界のトップは「キャンペーン遅らせたら不安を煽る」というコメントを出していましたが、逆なのでは?

観光旅行飲食業界の経済活動再開の期待は分かりますが、地方の声は、「首都圏に行くのは慎重に!」という意見が殆どです。

今、地方で再拡散して新型コロナ感染者の殆どが、東京や首都圏絡みです。

これほど、東京、首都圏に暮らす方々に、地方に来て欲しくないと思ったことは、今まで無かったことです。

これは、東京の問題ではありません。

日本の問題です。

首都圏から地方に動く皆さん全員には、定期的にPCR検査をして欲しいぐらいです。

地方で感染者が一人出ると、どれくらい大騒ぎになるのか?

小さな地域経済が一気に降下するのを東京に居る経済人も政治家も分かっていないのでは?

政府は、やっと、日本全国の医療関係従事者、介護関係従事者全員にPCR検査を受けさせる方向で動いているようですが、これも「やっとのこと」です。

未だに、一人の感染者を出していない岩手県の親御さんが、東京に暮らす子供たちに「まだ、帰ってくるなぁ!」と言っているとのこと。

地方の心情を訴えるバロメーターのような気がします。

まずは、Go to PCR検査へ。

人間社会は、どこに向かっているんだろうか?

昨日よりも、少しでも明るい、楽しい今日一日になりますようにね🎵



宮沢 賢治 (1896~1933)

2020年07月13日 | 空木宝剣
天の川 日本丸の 喫水せん


(日本丸)

新型コロナの第2波が警戒される中、日本列島連日の豪雨。

泣きっ面に蜂とは、この事か❔

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けず
丈夫な体を持ち
欲はなく 決していからず
いつも 静かに笑っている

1日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ 
あらゆる事を 自分を勘定に入れず 
よく見聞きし分かり 
そして忘れず 野原の松の林の 
小さな茅葺きの小屋にいて

東に病気の子供あれば 行って 看病してやり 
西に疲れた母あれば 行って その稲の束を負い 
南に死にそうな人あれば 行って 怖がらなくてもいいと言い 
北に喧嘩や訴訟があれば 詰まらないから やめろと言い

日照りの時は 涙を流し
寒さの夏は おろおろ歩き

みんなに 木偶の坊と呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず

そういう者に 私はなりたい

弱冠37歳の生涯なれど、この卓越した心の佇まい。

人生100年時代と言えども、損得勘定で奔走させられる時間を差っ引けば、その密度は薄いものかも知れない。

賢治のふるさと岩手県は、今のところ、一人もコロナの感染者を出してないそうな。

明治29年から昭和8年まで生きた賢治スピリットが、今も根ずいているに違いない。

旧暦の七夕の頃には、コロナも洪水も、銀河鉄道に乗って宇宙に還ってもらい、水に流したいものです。


(海王丸)

オンライン・レッスン。

2020年07月10日 | 百伝。
今日は、7月10日。

60歳過ぎた僕にとって、今でも忘れられない日。

人生も、運命も変わった、特に思入れの強い日。

学生時代、母校の夏季休業の始まりは7月10日、それから2か月間の夏休み。

夏休みの間、課題とか宿題めいたものがあったのかどうか、よく思い出せませんが、教えていただいた教授の多くが、お年を召した先生方だったのを思い出します。

母校の亜大の教授には、天下りというのか、有名国立大学の定年後、私大へ再就職して70歳過ぎても教壇に立っていた元気な先生も居られたと思います。

ぼくの記憶では、40年昔、一般企業では55歳定年だったと思うけど、当時、東京大学の教授の定年が60歳、京都大学の教授は63歳、多くの私大では65歳、早稲田大学なんて昔から70歳定年だったのではないのかな?

その後、私大へ再就職するというパターンだったと考えます。

今は逆に、若い方々の教授が目立つようになりました。

新型コロナ禍の時代、学生さんも、先生方も、休みが有るようで無いようなオンライン授業、講義生活。

子供の頃、百島小学校の授業で、オーストラリアという国は広くて、大草原の一軒家の牧場の子供たちは、無線通信を使って勉強をしているんだと、教えてもらったことがありました。

いいなぁ! 羨ましいなぁ・・・と感じたのを子供心にはっきりと憶えています。

教育は、知識を伝えること、人を育てること、生きる意味を探すこと?

先日、スマホを落として感じたこと。

今や知識は、ほとんどスマホを通して知ることができます。

20年間分の電話・メールアドレスを失くして感じたこと、大事な人物のアドレスだけをバックアップしておくべきです。

パソコンのデーターを、新しいスマホへの移動するのにも、パスワードがネックとなりました。

幸せ、生きる意味のパスワードは、自分で見つけるべきものです。

昨日も今日も、東京での新型コロナ感染者が、200人超え。

東京へは、足が遠のきます。

家内は、家内でオンライン講義という職場生活。

リモート・コントロールというのは遠隔操作ですが、リモート・プレイスと言うと、へき地・離島という意味となります。

20歳の頃、夏休み・・・結婚してもいいと思った彼女から、「東京では暮らしたいけど、百島では暮らせない」と言われたことがありました。

終わった・・・と思いました。

東京への憧憬は、恋する人という日常があまりなくて、 すべて東京から流れるテレビのなかの日常世界を覗き込み憧れるのです。

ほんとうに愛する人ならば、どこでも住めるのです。

ヒマラヤでも、北極でも、南極でも、福井でも追いかけてゆく気持ちになります。

今や、香港も、上海も、東京も、ニューヨークも、世界の大都市の未来を憂慮する時代になりました。

パスワードが、新しい世界の扉を開けるのは事実です。

さて、今日から新しいスマホになりましたが、他のSNSのパスワードなんて全く忘れていました。

新しいパスワード、人生の意味を探すのに遅すぎることはないでしょう。

オンライン・レッスンが、俯瞰的な視点で新しい生きる楽しさを見出さないとね!

昨日、2年ぶりのお店で「おろしそば」を食してみました。



辛い大根は、おろし蕎麦の味覚には必須ですが、なかなか無いようです。

味覚が、生きるための仕事と趣味道楽に分けるのかな?

若い世代の皆さんには、世界の流れを見て、生き方を選んで欲しいものです。

世界は、オンライン・レッスンに変わりつつあります。

しかし、誰もが老いてゆくことは、変わりません。

年齢不詳 石佛群。

2020年07月05日 | 千伝。
今年は、落とすことが多いようです。

今年初めにJR博多から福井までのJR切符を失くしたのを最初に次から次へと、今回は、とうとうスマホを落として失くしました。

要注意です・・・20年間分のメールアドレス、電話登録が消えてしまいました。

まぁ、整理整頓できたのでよかったのかもしれません。

先日、一乗谷朝倉家遺跡まで出かけて参りました。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、コロナ禍のため撮影中止。

放映も一時中断して、主人公の明智光秀は、今、越前に滞在暮らしたまま身動きがとれません。

それにしても、大河ドラマの影響は大きくて、県外からの観光客が多くて吃驚しました。

地元から一言申し上げると、一乗谷への個人的なバスや電車での観光は、福井市中心部からは便数が余りにも少なくて不便さ極まります。

是非共、車で観光されることをお勧めします。





現在では不便な地と言いましたが、車も電車もない戦国時代には、この一乗谷は、非常に好位置にありました。

戦国時代、京の都は荒廃状態で、多くの公家、学者、その京文化は地方に逃げたとのこと。

戦国時代の三大文化都市は、今川家の駿府、大内家の西の京と呼ばれた山口、そして、朝倉家の北の京と呼ばれた一乗谷だったとのこと。

今は、どこが北の京だったのか?



この一乗谷の南側(琵琶湖方面)にある田圃は、浅井殿と呼ばれて、もともと同盟していた浅井家の屋敷があったそうです。



その奥には、遊郭があり、一乗谷の南北の入り口には二か所の遊郭を備えており、武家も町民も混在した城下町都市であったようです。

一乗谷の山際を歩くと、石仏がいっぱいあります。







それも、草木に埋もれ隠れた石仏群もいっぱい立ち並んでいます。





いつ、誰が・・・石仏を彫ったのか?

たかが500年昔の人間も、400年昔の人間も、現在の人間も、生活を維持していくこと、生きることに関しては、同じ思いだったのではないかなぁ?

その百年繁栄した一乗谷へ、二度も室町幕府将軍が庇護、上洛を求めてやってきます。

1499年、10代将軍足利義稙、そして、1568年、最期の将軍となる足利義秋(一乗谷で、義昭に改名)です。

1568年当時は、まさに明智光秀が越前にて雌伏していた時期です。

そして、当時、足利義昭を担いでいたのが、室町幕府最期となる家臣奉行衆の三淵藤英、細川藤孝(のちの幽斎)兄弟でした。

これに、加わったのが、明智光秀なのです。

それからの歴史の詳しいあらすじは省略しますが、もし、朝倉義景も明智光秀も細川藤孝も足利義昭に最後まで仕え、明智光秀も細川藤孝も織田信長の家臣とならなければ、室町幕府、越前朝倉家は、まだまだ続いていたかもしれません。

その後の足利義昭は、信長に追放されて、毛利家の庇護のもと備後の鞆の浦に逃れ、豊臣秀吉の関白天下になっても「将軍」として長生きします。

因みに、これは、多分、足利義昭と豊臣秀吉は、同い年生まれ(1537年))で、もともと馬があったのではないかと思います。

没年も1年違いで、義昭を追うように、秀吉は逝っています。

鞆の浦は、村上水軍の管轄地であり、毛利家(実際は、小早川隆景)の支配地でした。

話は少し戻りますが、本能寺の変までは、明智光秀と親友とも言われた細川藤孝(幽斎)は、織田信長と同い年(1534年)です。

だから、織田信長の家臣に心変わりしたのかもしれません。

ただ、本能寺の変のあと、明智にもつかず、豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは、東軍の徳川家康の側につきます。

それに比べて、兄の三淵藤英は、悲運な人生を終えます。

三淵藤英と明智光秀と年齢が同い年なのか?近かったのかどうか?・・・明智光秀の不可解なところです。

余談ですが、わが百島村上水軍の大将村上高吉は、西の名将として呼び名が高かった小早川隆景の十二家臣の一人として、よく仕えました。

村上水軍の栄光盛衰の歴史推移は「武家万代記(能島、来島、因島の村上三島海賊家軍日記)」、その口述証言したのが、村上高吉です。

これまた余談ですが、小早川隆景も、村上水軍総大将村上武吉、村上高吉も、同い年生まれ(1533年)です。

村上高吉は、小早川隆景と没年まで同じです。(1533年ー1597年)。

・・・いろいろと考えさせてくれた明智光秀の年齢不詳です。

朝倉家の一乗谷遺跡なのに、明智光秀の遺跡を巡っているような面持ちになりました。





館内には、NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の衣装もポスターも展示されていました。





麒麟の石佛もあるかもしれません。



年齢不詳・・・謎めいてよいかもしれません。



朝倉街道・・・歴史の落とし物が、盛り沢山です。