百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

指の節

2008年04月28日 | 百伝。
ファティマからリスボン行きの列車に乗った時、前に座った老婆のがっしりとした手が忘れられない。

額に刻み込まれた皺、汗の上に日焼けした茶褐色の顔。

お世辞にも小奇麗とは言えない服装。

その恰好は、ほんの少し前に農作業を終えたばかりの様子。

そんな出で立ちで何の用事でリスボンまで出かけるのか?と余計なお世話だが、とても気にかかる。

老婆は、そんな私の方には目も呉れず、目線は、ただ真正面に向って凝視をするだけ。

どうしても、その老婆の手が目に入る。


その手の指が視界の中に入る。
その指の節々の瘤のようなタコが気にかかる。

仕事をしている手なのである。

草を抜き、鍬を持ち土地を耕す百姓の手、まさしくその指なのである。

急に涙もろくなって目を閉じた。

私の祖母と同じ指、同じ手なのである。

そして、同じように、きれいな目をしていた。

リスボン駅に着くまで、その老婆は笑顔一つみせることもなく、ただ一点前を凝視していた。

そそくさに足早に去る後ろ姿が、何故か哀しく見えたが、それでいいとも思った。

その日中に訪ねたファティマという場所は、山の中にある観光地化された風情を持つが、聖母マリアが降臨されたというバチカンお墨付きの聖地である。

そして、あの日は、私の祖母の命日であった。

「ひらがな」しか書けなかった祖母を思い出す。

幼い頃、祖母に手を引かれ、百島の浜辺を歩いていた時、こんな事を聞かされた。

「昔、ここらを歩いていたらなぁ。アメリカの飛行機が飛んできて、空からババッと狙い撃ちをされたんよ。それで慌ててあの岩場の穴の中に逃げ隠れたんじゃよ」

これは明かに無差別攻撃である。

何にもない静かな島の民間人を意味もなく空から撃つなんて、アメリカ軍の指揮命令系統外のことだと思う。

ただ、祖母はそういう怖い体験をしても、心底アメリカ人を恨んでいなかった。

祖母が、「アンディ・ウイリアム・ショー(アメリカの番組をNHKで放送していた)」を嬉々としてテレビを観ていた姿を思い出す。

原爆に遭われた方々もそうである。

アメリカの原罪を恨んでいない。

人間の原罪を恨むのである。

節目の今日・・ポルトガルから仕事の依頼が届いた。

ありがとう・・。

聖火の行方

2008年04月28日 | 千伝。
大前研一さんが予測しておりますが、将来の日本は、すべて中国の10%国家になるとシュミレーションをしています。
軍事力、経済力も全部、中国の10分の1程度になるという計算です。

はてさて・・中国の北京オリンピックへの聖火リレー、世界中で注目です。


ところで、「健康のためには死んでもいい」とジョークを飛ばした人がいました。

「平和のための争いや人権抑圧、はては世界平和のために戦争をする」どこかの国々を思い浮かべながら、笑ってはすまされません。

平均寿命は伸びたとは言え、殆んどの人間は百歳に届かずに、この世から去って逝きます。

にもかかわらず、何故人間は、大国主義、愛国主義、はては大量殺戮兵器までを手にしたがるのでしょうか?

若い娘がブランドで身を飾り、プライド武装をして、街を闊歩するのに似ているのでしょうか?

広島の平和公園の原爆慰霊碑には、「安らかにお眠り下さい。過ちは、二度と繰り返しませぬから」とあります。

「武器よ、さらば」の強い決意だったのです。

また諺には「罪を憎んで人を憎まず」というのがあります。

あいつが悪い、どの国が悪いと、犯人さがしは、もっともなことですが、一番悪いのは、「戦争」だという究極を忘れないで欲しいものです。

もちろん、泰平300年の徳川時代の記録保持国、日本としては、また唯一の被爆国として、
宮沢賢治の「雨にも負けず、風にも負けず」調に、「戦争はつまらないから、やめろ」と迷える大国を諭し続ける努力をすべきでしょう。

有史以来、日本が外敵に怯えた経験は少ないはずです。
鎌倉時代の蒙古来襲から明治のバルチック艦隊撃破までの神がかり、奇跡的な勝利が、いつしか神国日本思想を創りあげるに至りました。

戦後の総理大臣においても、日本列島を浮沈空母に例えたり、つい先ほどの総理で神の国発言で物議をかもした例もあります。

「日本は特別な国」という亡霊にあやつられてアジアの近隣国を土足で踏みにじったのも事実です。

それが、アメリカという道具主義物量大国に、精神主義日本は完膚なきまでの敗北を帰されたかに思えましたが、その思想は蛇のように執念深く生き永らえて、経済大国ジャパンを創りあげるに至りました。

ほんの20年程前には大国アメリカを凌駕する勢いだったのは周知の通りです。
高下駄をはいて転んだ感は否めない、付けがまわって来たとしか言いようがありません。

「普通の国日本」への軌道修正のほかはないのです。
グローバルスタンダードの弊害、合理主義、契約主義の薄情さをはかなんでも致し方ありません。

毛並みが違っても言葉が違っても、サッカーや野球で証明されたように、人間性やその心に於いては、さほどの相違もない筈です。

優勝劣敗、勝ち組負け組、とかいう低次元の考えこそ浅はかです。

かつて関東軍が、軍事力で創った満州王国。
大東亜共栄圏の誤りを繰りかえさない為にもスタンダード(標準普通)を受け入れてもバチはあたらないと思います。

また日本人の庶民気質には、何でも飲み込むフードファイターのような大きな胃袋は持ち合わせている筈です。

75日で、すべてを水に流す楽天思想も、これ日本人特有です。

狭いニッポン、うさぎ小屋のような家ではあるが外人さんいらっしゃいの姿勢、また他国に行く場合は、他人の家におじゃまするような・・かつての日本人が古来持ち合わせた謙虚さが肝要だと思います。

オリンピックへの聖火とは言え、世界は、ふりかかる火の粉ならば、振り払わなければなりません。

そう、カサブランカのラストシーンのように、「他の方法を探せ」と言いたくもなります。

平和の火を燃やし続けて・・。

瀬戸際 西行乞え

2008年04月27日 | 千伝。
芭蕉に興味があり・・西行法師という人物に、興味を持ち始めています。

そう、芭蕉を思い浮かべると、何か腑に落ちない謎が浮かんで、心に引っ掛かるのです。

西行は、北面の武士というエリート集団(同い年の平清盛とも同期だった)に属して、わずか22歳の若さで出家し、漂白の人とも呼ばれました・・この人物の残した足跡(和歌)はあまりにも大きく、いまだに西行を主人公にした映画もドラマもないと言います。(笑)

日本人の桜好きを決定づけたのは、西行かもしれないと言う説もあります。

夢、うつつ、きわみ・・恋の哀惜、涙の惜別、花の刹那を初めて絡めたのも、西行かもしれません。

「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」(西行)

今から八百年もの昔、平家打倒の一番乗りに名を挙げた木曾の源氏、源義仲は、南進を避けて北陸に上り、倶利伽羅峠(石川と富山の県境)で、牛に松明を付けて平家勢に突進大勝。(伝説です)

越前から延暦寺に書状を送り、さらに京の都に上り、一時の征夷大将軍までの足跡を考えると・・「よくぞ、まぁ、あの時代に、もの凄い山越え道程」だったと考えてしまいます。

その後、後白河法皇と鎌倉源氏の策略によって滅ぼされた木曾源氏が、信州人にとって、今尚八百年もの時が過ぎても、地元で歴史的英雄人物と慕われるのも分かるような気がします。

木曾義仲ファンにとっては、後白河法皇も源頼朝も魑魅魍魎。牛若丸義経も奇襲ばかり行う強盗妖怪のような存在なのでしょう。(笑)

瀬戸内海沿岸では、源氏一族よりも平家一族のほうに親近感があるような気がします。

源氏によって京の都を追われた平家一族は、壇ノ浦で滅びるまで瀬戸内海を西へ逃げていきました。

平家の落人説も沢山残っています。

ところで、江戸時代「奥の細道」の松尾芭蕉は、木曾義仲に何らかの共感めいた気持ちを抱き、自分の死後、義仲の傍らに葬ってほしいと遺言しています。

実際、大津市の義仲寺に「背中合わせに義仲と芭蕉の墓」があるようです。

西行、義仲と芭蕉の生きた時代は、500年もの隔たりがあります。

が、芭蕉は、奥の山道細道を歩きながら、山育ちの義仲の生涯の何かを思いを巡らしていたのかもしれません。

芭蕉は、尊敬する西行法師の五百回忌の法要行として「奥の細道」を歩き、句を残しました。

ただ、西行法師は、木曾義仲を冷たくあしらうような和歌を残しています。

芭蕉は、それを十二分、理解していたはずです。

にもかかわらず、不可解な事に義仲の傍らに葬ってほしいと遺言を残しています。

奥の細道は、まさしく心の巡礼なのかもしれません。

「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」

人間というものは、瀬戸際になって、心流されるよりも、心動かされるものに、心落ち着くようです。

近いうちに、滋賀県大津市にある義仲寺と紫式部ゆかりの石山寺を訪れようと思っています。

三叉路

2008年04月27日 | 千伝。
NHKの「トップセールス」のドラマ番組を観ていると、今日の午前中にディーラーに行って珈琲をごちそうになったのを思い出した。

1年点検の終了で車を引き取りに行ったのだが、担当者のMさんが、社外秘でもある、もうじき発売される2種類の車の資料を見せてくれた。

1500CCクラスのスライド式ドアのミニバン(6~7人乗り)・・これ売れると思うよ、と伝えた。

もうひとつは、笑ってしまった。

このメーカーの最高高級車種のモデルチェンジで、最低700万円の値段がつく。
だが、ハンドルに17~18ぐらいのコントロールスイッチがついているのだ・・これでは、売れない。(笑)

オーディオからクルーズ運転操作まで、ハンドル部分で、ほとんどコントロールできるのだが・・購買層は、自営業者、役員レベルの高収入層で、若くても40代だろう。
お年寄りでは、扱いが難しいと思う。

おまけに、こういう車は、買ってもガレージに飾っているだけで、ほとんど乗らない。
1週間に1度ぐらいは、エンジンをかけないと・・1ヶ月後、乗ろうとすると、バッテリーが上がっているはずだ。

そんなことを話していると、担当者のMさんが、昔の車は、こんなことにはならなかったという苦情が、よく入るらしい。(笑)

車のセールスマンにとっての売り上げは、車種の値段の金額がベースとなる売上高ではなくて、ポイント制だと話していた・・いろいろ大変だと思う。

夕方、久しぶりに(何日ぶり?)家内と会話をする。(笑)
・・玄関周りを掃除。
息子が小学生1年生の頃に買った電動バイクやら、もう使わないカビ臭くなっているゴルフクラブ道具一式が、倉庫からでてきた。
まだ電動バイクは、新品同様でどうしようかなぁ・・。

・・右か、左か、前か、とりあえず、走ろうか♪

明るく、楽しく、幸い・・念をこめて。
幸福でいることは、人間の義務です。

電動バイク

珈琲の香

2008年04月26日 | 千伝。
昨日、コーヒー店の老舗、ミカドコーヒーをバリバリバリューでやっていた。

今の社長は女性で二代目。

日本橋本店と軽井沢にもあって、コーヒーは立ち飲みが一階で200円。
テーブル席は400円で二階というふうに分けているとのこと。

子供用にと、モカ味のソフトクリームを開発して、今の社長が子供のころ、試食で相当食べさされたとのこと。

軽井沢店では、ジョンレノンも、モカソフトを好んで買いに来ていたという。
 
コーヒーは、人を目覚めさせ、しゃんとさせる強壮剤かもしれない。

人は何故ガムを噛むのか?
人は何故コーヒーを飲むのか?

この疑問の答えを知ったときに、成功があるのかも知れない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今日の午後、先日入った喫茶店に入りました。
珈琲一杯飲んで、外に出ると、土砂降りの雨でした。

車まで全力疾走・・びしょ濡れになりましたが・・
何か吹っ切れたような感じです。

心配だけでは、何も実現しません。
幸運への源は、希望と好奇心です。

三文ドラマ

2008年04月26日 | 千伝。
留学時代の頃だ。

仲間のマグナム(ルクセンブルグ国籍のエジプト系米国人)から、演劇サークルに顔を出してみないかと誘われた。

講師は、英国人。
研修生は、いろんな国からきていた。
東洋人は、生憎、ぼく一人だった。
遠くから、マグナムと眺めていたら知り合いのデンマーク人(名前忘れた)が手招きをする。

今日は、「奴隷売買」をテーマにやるという。
ジョークで参加しないかということになった。

自分がどれぐらいの値段で売れるか、買ってもらえるか、舞台に立って自分をアピールし、買い手とやり取りする。

さらに、その採点を買い手(奴隷を売買する商人)がオークション形式でやる、というドラマ仕立てである。

つまり、「幾らで奴隷を売買するか」というドラマゲームなのである。
一番高く買って貰った者が、勝者になる。
乗り気はしなかったが、黒人、白人、茶褐色人、それに黄色人(東洋人)も必要だろうということで、参加する羽目になった。

腕力を誇る者、色気を漂よわせる者、饒舌なジョーク・・・

とにかく自分を高く買って貰えるならば・・こんな事ができる、こんな事に役立つ・・という自己PRである。

何を言って、どんなパフォーマスをすべきか・・心の整理ができないまま、ぼくの順番になった。

イチかバチかのような気持ちで舞台に立つ。

喋るまえに、ワァーと奴隷商人役から英語でのまくしたてるような質問を浴びせられた。

「おまえは、何ができる?」
「・・・日本語が喋れます。」

「じゃ、日本の歌を唄え!」
「・・・♪~」

「それは、どういう歌だ?」
「・・・奴隷に売られていく者の悲しい気持ちです」

「悲しいのか?」
「・・・はい、死にたい気持ちです」

ハイ!終り。とコーチの声。

「さぁ、よく働くであろうこの日本の奴隷に、幾ら出す? 10ポンド? 20ポンド?・・」

結局・・ぼくは、二足三文で売られた悲しいドラマの結末だった。(笑)

夜行列車

2008年04月25日 | 百伝。
学生時代、金が無く時間が余っていた頃、何度か夜行列車に乗って帰省した。

東京発、大垣行き。

東京駅を夜11時20分頃出発。
早朝、大垣に着く。(いまでも走っているのだろうか?)

大垣から米原まで乗り継ぎ、米原から姫路まで新快速列車。
姫路から岡山まで。
さらに岡山で乗り継ぎ、尾道に着くのが夕方、広島駅には夜到着であった。

この夜行列車で高校の同級生と一緒に帰省したこともあるが、16時間以上も一緒に密着していると、もう二度と一緒に帰りたくないと思った。
今は立派に社長業に精を出している彼も同じことを考えたのだろう。
今でさえ、思い出話にもならない。
以降、彼とは、二度と一緒に帰省をすることはなかった。(笑)

もうひとつの個人的な思い出がある。

たまたま、真ん前の席に座った同年代の女子学生がいた。
目の光も強く、唇もきっちりと結ばれていて、芯の強いひとに映った。
「どこまでも行くんだろう」と思いながらも、文庫本を読んでいた。

横浜駅を過ぎた頃、隣りに座っていたサラリーマンが、飲み物を分けて呉れて声をかけてきた。
彼は、「京都まで行く」と言う。
いつのまにか、目の前の彼女も話の輪の中に入っていた。

彼女は、山口まで帰省するという。
会話は、盛り上がった。
ただ、どんな内容だったのか記憶はない。

京都を過ぎて、彼女と二人で広島まで普通列車に乗り継いでいく。
なかなか機知の富んだ女子大生だった。

だが、姫路を過ぎて、岡山を過ぎて、体力も疲労困憊、眠くなる。
会話が、ストップする。
尾道駅に着いた頃は、半分眠気顔・・。
プラットフォームで、手を振って「さよなら」をした。

つまり、こういう事である。

夜行列車とは、朝に向うロマンという始まりである。

されど、朝から夕方まで乗る「昼行列車」には、元気あふれる会話と仕草がないとロマンの始まりとは、ならない。


先日、テレビを何気なく観ていると、どこかで見覚え、聞き覚えのある遠い記憶の中の女性が、若き日に乗った夜行列車でのロマンの結末を語っていた・・うん?!。

彼女曰く「もし、あの頃に戻れるならば、あの夜行列車を乗り継いで帰りたい・・人生が変わっていたかもしれないから」と言っていた。

向き合う人生の道中に迷うならば、その都度、途中下車する方がずっと面白いはずです。

夕景を眺めて、夜行列車に乗り込む。
必ずやロマンとともに新しい朝を迎えられるはずです。
ただし・・若い日々の時代だけです。

あの時、姫路で、二人一緒に途中下車でもすればよかったのでしょうか?

冷やかしの構え

2008年04月24日 | 千伝。
昨日の福井地方、初夏のような暑さでした。

髪の毛を切りに行くつもりでしたが、頭の天辺あたりが、ますます薄くなりゆく気配なので・・ちょっと、どんなヘアスタイルがいいのか・・思案中です。(笑)

顔の皺の深さ、メタボ状態の腹の出具合、頭髪の薄さ、劣化著しい自分のルックスに辟易しながらも・・これからの自分と向き合っています。

歳を重ねるというのは、そういう自分との我慢較べのようなものかもしれません。


さて、昨日、お話をした新人さんへ。

仕事は、冷やかしの構えでやると、硬さがとれてバランスのよい行動と結果が得られると思います。

どんな職業でも、ベテランはリラックスしていて、新米社員は固いものです。
 
ベテランは、常に慣れた仕事に失敗は少ないという自信がありますが、誰でも慣れていない仕事は、不安がよぎるので硬くなります。

慣れないことに向かう場合、上手くやろうとするから硬さに支配されて、その仕事すら億劫になります。

リラックスをするには、冷やかしの気分で対処するとうまく行く場合が、多々あります。

人間は、いつもいつも、必ず自分の人生を振り返らざるを得ない境遇と局面に出会います。

楽しい生き方も、安全な生き方も、泣くばかりの人生も、笑顔を絶やさない人生も・・すべてあなたの判断と心構え次第です。

生まれ育った環境や運命ではなく、これからの自分が、どうなりたいのか、どうありたいのか・・気持ちを熱くしたり、冷やしてみたりです。

冷静とは、自分を熱くすること。
情熱とは、冷やかしの構えです。

冷えた珈琲が、美味しい時季になりました。

ファイト♪

御影道中

2008年04月23日 | 千伝。
御影道中

岐阜県からメールが届いた。
白山は、岐阜羽島付近で新幹線からでも見えるとのこと・・今まで気がつかなかった。(感謝)


「蓮如さまのお通り」というお触れも、マイクの拡声器を通して、よく聞こえてきた。
車から降りて、その声のする方に向かって行くと、大勢の人が集まっていた。
そこに行くと、「御影道中」の立ち寄り先(休憩所)の浄土真宗のお寺だった。

一昨日の福井新聞のコラムから説明を拝借すると・・

・・蓮如上人の肖像画「御影」を輿車乗せて、京都の東本願寺を17日に出発、琵琶湖西岸を経て福井の吉崎御坊を目指す「御影道中」。蓮如さまの伝道の軌跡をたどる約240KM、一週間の行程である・・

今年は、ナント江戸時代から続く335回目。
全国から集う門徒衆の恒例の徒歩の旅である。

巡礼を行うような人間の信心深さは、どこから湧き上がるのだろうか?
迷い道のような生きてゆくことへの底知れぬ不安なのだろうか?

凡人は、過去にも未来にも飛ぶ事は出来ず・・南無阿弥陀仏。

「松も時なり、竹も時なり。時は、飛去するとのみ解会(げえ)すべからず」 
曹洞宗 大本山永平寺開祖 道元禅師の言葉である。
今という中で、永遠や宇宙を悟ったからこそ、現在にも生き残っている所以なのだろうか・・南無観世音菩薩。

人生の矛盾した不思議な縁を感じる日々でもある。

もう会えぬ別離よりも、あの人の優しさが、記憶のなかに生きている「嬉しさと哀しさ」である。


眼差しを遠くへ、微笑みとともに♪

福を転がせ

2008年04月21日 | 千伝。
インドと香港からメールが届いた。

核兵器をちらつかせ援助交渉の具にする北朝鮮は、朝鮮民主主義人民共和国という世界一長いもっともらしい正式名とは裏腹の、独裁、ファショ、専制君主制を絵に描いたような、時代おくれの国体であるが、まだ核兵器をどこかの国に落としたわけではない。 

落としたのは、自由の国アメリカ。
唯、一国である。

かつて朝鮮戦争の際、マッカーサーが原爆を使用しようとして、トルーマン大統領に更迭されたのは有名な話だが、核問題については、唯一の核爆弾使用国アメリカが責任をもって、北朝鮮を哲学も含めて諭す必要があるのではないか。

また唯一の被爆国日本としては、掛値なしで核兵器なるものに反対の意を唱えるのは、当然至極の無条件態度であって、一縷の迷いのあることなしである。

拉致問題は、実際に北朝鮮が、いわゆる「人攫い(人さらい)」という犯罪を国家主導でやったと金正日が認めたものであるから、徹底的にディスクローズしてもらい、帰すべきは返してもらうのは、これまた当然の権利であり、他の問題と天秤にすべきことでもなく、それはそれ、これはこれで、交渉しなければ、豊臣秀吉の朝鮮出兵までさかのぼることになる。

A.J.トインビーは、「戦争の合間に平和がある」と言った。
歴史とは学ぶもので、過去の愚を繰り返さない為のものにもかかわらず、ますます各国のリーダーの素養が低下しているようのも思える。

アメリカも軍需産業地域からでた議員が、親子2代にわたって大統領になること自体、まるで後進国の体裁であって、あの大国に人材がブッシュ親子、クリントン夫婦以外にいないのか、頭をかしげる。
だからこそ、クリントンよりもオバマにがんばってほしい。

先進各国のリーダーたちは、何のためにサミット会議を開くのか、「人命は地球より重し」といった奢りが、逆に人命を軽くする。

ぼちぼち人間は、他の動物同様に、地球という生命体の世話するための存在である事を自覚し、謙虚な政治哲学を展開すれば、争いというものも減ろうというものである。

「万物の霊長」という自我自尊が人間を増長万にやってしまった事による悲劇。

宇宙、地球単位からすると、人間も糞転がしも、さしたる相違がないと自覚すべき時期でなかろうか。

インドも中国も・・自国の福を転がせ。

映す心

2008年04月20日 | 千伝。
オーストラリアとカナダへメールを送った。

この頃の映画やドラマを観ていると、邦画も洋画もどうも胡散臭いものが多い。

生活のどん底に喘ぐ登場人物や身体を張って、
汗水垂らして、いくら働いても恵まれない・・。

・・そんな善良な人物が登場する映画がめっきり少なくなってきた。

そういう人物は、今の時代にはヒーローにもなれず、
小心者として片付けられてしまうのだろうか?
絵にはならないのだろうか?

人よりも優れた体力知力のある者が闘っても・・
それを勇気とは呼ばない。

たかが知れた才能で成功の階段を登り始めた若者の傍若無人な振る舞いと滑稽な悩みを観て・・人生の琴線に触れたとか言わない。

感化された人間は、感化され続ける。

それを良しとする人間は、善良な弱者を無視する。

豊かさは、心の豊かさに反比例し、貧乏は、ますます追い詰められて貧しくなる。

恋を飾る人は、恋を愉しむことで、結局相手からも自分からも逃げられていく。

豊かさ故に、うぶな人間が増えている事には間違いない。


トップセールス

2008年04月19日 | 千伝。
NHKの土曜ドラマ「トップセールス」は、面白いです。

モデルとなった林文子さんには、それほどの興味はありませんが、主演の夏川結衣さん演じる主人公は、興味深いです。

女性の体を張った色気、泣き落としのセールスを超えた・・主題歌「孤独の向こう」のような人間模様もいいです。

平原綾香さんの「孤独の向こう」です。
http://jp.youtube.com/watch?v=tJFoEhvzF00

何にしても人を感動させるものを得たときが、至福の時だと思います。
奢ったり自惚れたりした時が、つまずく時のようです。
以前、人を喜ばすには、職業に貴賎はないと書きました。

つまり、饅頭にたとえたら、利益が上がらないからアンコを少なくすると、客は敏感に反応して、買いに来なくなるという寸法です。
客に与える物の見返りが、利益であるからには、客を満足させるスキルが一番であって、客を度外視したソロバン勘定が、一番危険な罠となります。

満足度には値段は遠慮無用。

その上、最初の頃は、夢をもってなく、ただ儲かれば何とかなるだろうという考えだったため、何をやっても諦めが速く、宝さがしのような人生です。

小生の比喩も付け加えてのことですが、大よそ共感できるものでした。

思えば、いつしか若き日に確かに握り締めていた夢も、指間から砂のようにコボレ落ち、いつしかアキラメの歳月を費やしていたようです。

諦める奴は、安定に依存する。

安定がリストラされたら終わったと思い込んでしまう。

夢のある人間は、いつまでも転んではいない、人生全体のスパンでものを考えるから失敗も一つの経験にすぎず、次の10年20年で走り出す。

その結果、失敗してその後が大成功という事例は枚挙にいとまがない。

考え方一つで、世界が変わるということを実証すべく、明日に向かって撃って出ねばと思います。

ところで、今の人間が80歳や90歳まで長寿を誇っても、その20~30%は、テレビや、映画鑑賞の時間が占めているのでは、ないでしょうか?

凡人は需要(受給)者に対して、天才は供給者であるので、天才の方がしんどい立場です。
また、仕事が供給で、遊びが需要とも種分けできます。

であるので、仕事のやりすぎは若い時には、血となり肉となりますが、高齢になると少し毒でもあります。

長いこと生きれば、いろんな嗅覚やら感覚が研ぎ澄まされてもよさそうなものですが、逆に麻痺する場合もあります。

我々は、目標に向かって努力を重ねれば、達成するのは間違いないのですが、感覚が狂るっていると、同じ努力しても能率が悪いです。

眼をつむって何かを為すようなものです。

水が動くように、ポテンシャルの移動が、努力以上の成果をもたらす場合があるともいえます。

つまり魚を釣ろうと思えば、魚の入れ食いの漁場にいなければいけません。

魚がいないところで、いくら釣り糸をたれても徒労というもののように、北極や南極では、やっぱり冷蔵庫は必要ないのです。

蛇の道は蛇。

人、物、金のバランスが崩れれば、言い訳に終始する人生で終わってしまいます。

人間を一番知っている人間が、人間の入れ食いの市場をつかむ事が可能です。

大漁を遠慮することなく、魚がいっぱいいる魚場に足を向ければ、自分が太公望であるという証明も出来るようなものです。

トップセールスから太公望に大きく話がカーブしました。

似たようなものかもしれません。

オーストラリアとカナダからメールが届きました。

パイレーツ・オブ・カリビアン「彼こそが海賊♪」を聴きながら、返事を書いています。http://jp.youtube.com/watch?v=Dv7-oLFKejA&feature=related


商魂

2008年04月18日 | 千伝。
インドと香港にメールを送った。


海千山千のブローカーに魑魅魍魎な政治屋たちが集まる。

話は、百ぐらいがちょうどいいのに、千の先を超えると万屋(よろずや)になる。

本当に人間の溜まり場というか、息抜きに集合離散する場所は、いつの世にも、形を変え品を変え、存在するものだと思う。

ロートレックの絵にもあるような気楽に一杯やりながら、アジれる場所。

これは時代の趨勢とともに、徐徐に変化するものでしょう。

人間は、儲かるものに惹かれる。
蟻が砂糖にもぶれるように、儲かる話をしていれば、儲かる。

それを教えれば手数料が取れる。
人を満足させれば金になる。
欲しい人と売りたい人の仲介すれば、手数料がとれる。
儲ける人は、それを実行しているだけで、決してただ働きはしない。
当然の報酬と割り切っている。
だから、動くからには、利を追求する。

その熱心さが、幸運を生むことになる。
妥協して利を逃すことが、貧乏神を招くことにつながる。

計算には、感情はなく勘定があるのみ。
感情すら勘定に入れる計算が肝要である。

癒着せず離れず・・。

剣道で言う「一刀一足の間合い」の真剣勝負が、商魂を鍛え、隙のない商道を形づくる。

勘定が筋肉。
感情は脂肪。


時差定理

2008年04月17日 | 千伝。
オーストラリアとカナダにメールを送った。


戦場を写すカメラマンが、簡単に射殺されて誤射で済まされてしまうこともある。

治安の悪い場所が戦場であっても聖戦という言葉に代わることもある。

罪に対して罰が厳しくなった場合、世情が乱れている証拠である。

それを美辞麗句の言葉に置き換えられて、忘れてしまうこともある。

奪い合い・・間を置いて、報酬という言葉に代わることもある。

譲り合い・・間を置いて、自爆という言葉に代わることもある。

東へ東へと行けば、西にでる。

損得の得を追い過ぎると、損にでる。

損をしているようでも、世のため人のために尽くせば、やがては得にでる。

必ず、時間差で証明される人間の時差定理である。


さて、明日から、久しぶりに一番収入の少ない肉体労働を再開します。
少しでも規則正しい時軸のある日常生活に戻れるのが何よりも嬉しいです♪
働いて気持ちのいい汗を流していますか?

濾過

2008年04月17日 | 千伝。
アメリカとフランスとドイツからメールが届いた。

1885年生まれのドイツ人、テンニース(テニエス)は、社会が進行するとゲマインシャフト(共同社会)からゲゼルシャフト(利益社会)に形状をかえると説いて久しいが、日本において、戦前まで生きていた「村社会」が、まさにゲマインシャフトだった。

第二次大戦後半世紀、農村とともに「村社会」は衰退の一途をたどり、農民の子供達は、都会へと大移動し、サラリーマンと姿を変えていった。

一見、アメリカナイズされたゲゼルの到来かと思えたが、どっこい会社組織の中に「村社会」が内包されていて、日本特有のゲゼル・ゲマイン折衷の社会様式を醸し出したのである。

エコノミックアニマルと揶揄されるほど、経済効果をあげることが出来たのも、会社の仕事を、あたかも自分の家業のように思う事が出来たからであった。

いわば、会社は、第二の家族。

いや、なかには家族よりも優先した企業戦士さえ出没した。

それがどうでしょう。

バブル崩壊後、会社の中の「村社会」が葬り去られた。

リストラの嵐のもと、正社員の首は、安価な契約社員やパート、フリーターにすげかえられていった。

このままフリーターの社会構造が進めば、日本の職場から熟練者が少なくなり、マニュアルロボットの素人社会に変貌してしまう。

明らかにマイナスである。

ドイツのマイスターのような、名人芸にまで至るような洗練された技術は、是非とも継続させねばいけない。

考えるに、最近の日本は、政治、経済のみならず、治安も軍備も節操なく仕入れているようである。

以前は、諸国の良いとこだけを取捨選別していたにもかかわらず、水際のフィルターが機能不能のようである。