亜熱帯 地球のひずみ ヤング率 地球が一回転するうちに、どれほどの事が出来るかという意味でも、興味深い番組である。 時間を怠惰に過ごすと、自転する地球の外に放り出されるような切迫感が、人々を競争に駆り立てる。 努力するしないにかかわらず、時間は過ぎてゆく。 365日かけて、太陽の周りを公転。 団塊世代は69周以上、この公転からも振り落とされないよう、時間を喰って来た。 「人生はマラソン」 人生という、時間のテーブルマナーとメニュー。 自転・公転・秋の天。 「いつかその日が来るまで」(矢沢永吉)。 人間の造った、あの忌まわしい回天だけは、お断り。
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昨日、永平寺町の九頭竜川河川公園まで出かけて参りました。
「九頭竜フェスティバル2019 永平寺大燈籠ながし」が行われました。
去り行く夏の風物詩となりつつある福井の大きなイベントです。
九州方面から、バスで乗り入れた観光客? (曹洞宗門徒?)、多勢の方が来られていました。
先祖の霊を供養する「供養燈籠」、個人個人の「願い燈籠」・・・併せて約1万個にも及ぶ灯篭流しです。
曹洞宗大本山永平寺の僧侶約百人による「法要」の読経、大合唱の響きは、圧巻でした。
前回、供養燈籠を流したのは、父が亡くなった年。
約10年ぶりの参拝でした。
合掌
岡山は、「桃」ですが、金沢は、「百」という文字に愛着が強いようです。
金沢の香林坊、百万石通りから金沢21世紀美術館界隈まで散策して参りました。
初めて金沢を訪ねたのは、もう40年以上昔の学生時代、当時は兼六園隣の金沢城址に金沢大学がありました。
それでも当時とは、ほとんど変わっていない金沢というブランド風景・・・強味なのでしょう。
訪ねるごとに観光客が増えています・・・それも海外からの観光客が圧倒的に多いです。
正直、京都と金沢に挟まれたような福井は、観光ビジネスにおいては、キツいかな?
21世紀美術館で気に入った個展があったので紹介させていただきます。
日本の47都道府県を表現しています。
金沢・・・いいね❗
金沢は、美味な街でもあります。
金沢名物ハントンライスを食して帰福しました。
気分転換になった好い一日でした。
金沢21世紀美術館で開催されているイベント「チームラボ 永遠の海に浮かぶ無常の花」を見学して参りました。
チームラボと言えば、東京の豊洲、お台場で大人気を博しているアートビジネス。
人間というのは、非日常空間・時間の世界に身を置きたいのかもしれません。
アートによる非日常感は、もっと日常生活に浸透、進化、深化するかもしれません。
写真のみ掲載します。
称名の 滝の如くに 落つる汗
人生にも、精巧なナビゲーションがあったなら、随分楽にゴールまで、到達出来るかも知れない。
でも現実は、昨日までの事しか見えず、明日は闇の中である。
先見の目を養うために、人間は過去を分析する。
ところが、過去に閉じ込めた筈の、過ちや歪が、闇の中から甦り、歴史は再び繰り返す。
日本一の滝、称名の水は、日本一の信濃川ではなく、常願寺川を流れて富山湾に注ぎ、ゴールの日本海へ。
「原始、女性は太陽だった(平塚らいてう1886~1971)」
地球は、火の塊である太陽から生まれてきた。
そして、地球は水の星に育ち、その海から全ての生物が湧いてきた。
太陽である女性は、子宮という惑星を持ち、そこから
ヒトは生まれ出て、未だに「生まれ出る悩み(有島武郎1878~1923)」のなかである。
火は戦争。
水は平和。
人間が、火の扱いを誤ると、やがて水が襲ってくる。
今日は、太陽の黄経が150度の処暑。
流れ出る汗も、季節の変わり目を知っての引き際である。
「日はまた昇る」ことに感謝して、「武器よさらば」の国際関係を、早急に構築せねば、チコちゃんに叱られるか。
耳が不自由な方は、字幕付きの映画を観ます。
口伝は不可能であり、そのために言葉、文字が必要なのです。
目の不自由な方は、形相という美醜を、音で判断します。
形相が、化相に変わります。
音の強弱、音色の優しさ、穏やかさが、ものの基準判断となります。
では、老いた親、老いた母という存在は、何が必要となるのかな?
家族会議のため、百島へ帰省して参りました。
兄弟3人、東京、福井、そして、広島に立ち寄って、打ち合わせをしながら同時に一緒に、百島へ帰省したのは、多分初めての家族行動でした。
家族、身内、兄弟と言えども、各々が歳を取り、居住地が離れて、身体が不自由になれば、互いの冠婚葬祭にも出席できない状態になります。
そして、百島に親族、身内がいなくなる・・・故郷に寄りかかる理由も無くなるという現実に直面しています。
いろいろとありますが、それでも、我が家の家族会議は、明るいです。
百島のご近所の皆さまに助けられていることに、格別に感謝しています。
さて、百島で過ごした少年時代は、「井の中の蛙大海を知らず」と教わりました。
世界には、大きな海が存在していて、自分が今見えている世界がすべてだという見識の狭さを示しています。
ところが、世界は混沌の中、見識を疑うような犯罪や人災は、所憚らず起こります。
・・・昔、百島の祖母が言っていた言葉。
兄が教えてくれました。
「転んだら怪我をしたようでなし、怪我をしたら死んだようでなし、死んだら殺されたようでなし、殺されたら殺したようでなし。騙されたら騙したようでなし。」
罰(ばち)が当たらない処世術が、百島の祖母の時代には、存在したのでしょう。
今の時代は、「騙される方が愚か者」という風潮が支配気味なので、罪(つみ)が深いです。
少年時代、ぼくらは、勘違いをしていたかも?
百島は、「井の中の蛙大海を知る」という世界を教えてくれる場所だったのでは?
・・・百島の夜会。
耳を澄ませば、虫の音、鳥の声も、霊の囁きも静かに聴こえてきます。
目を凝らせば、満天の星屑がちりばめるほどではないですが、星々が、はっきりと美しく輝いています。
ひとつひとつの言葉の意味、この世に存在する言葉、文字は、すべて、この世(宇宙)に存在します。
言の霊も、物資です。
願いも、想いも、物質です。
だから、死んだあとの「魂」も物質になります。
形相が、化相に変わります。
幽霊、これも、物質です。
過去の物質ではありません。
幽霊は、未来から来た物資(モノ)なのです。
だから、我々は、よりよい未来を願い、神や仏やご先祖様を頼りにします。
百島の夜会から。
台風一過。
家屋の損傷は、毎年の恒例行事のようにやって来ます。
今日は、広島に居ます。
今朝は、大きな満月が広島の西の天空に浮かんでいました。
東京、福井、広島。
兄を、家内を、送り迎え。
猛暑の続く日は、映画三昧。
ライオンキング、アルキメデスの大戦、ワイルドスピードを観ていました。
要するに、すべてが愛と闘いのストーリーでした。
仏の形相という言葉がありますが、出来れば、鬼の形相ではなく、仏頂面でもなく、笑顔がよいですね。
ライオンキングのモチーフは、命の環でした。
さて、百島ヘ❗
今日8月6日、アメリカのトランプ大統領が、中国を「為替操作国」と批判していました。
米中の関係は、これから一体どうなるのかな?
加えて、日韓関係も、どうなることやら?
正直、アメリカ人は、アジア人に対して、優越感を持っているのは、事実です。
その一方で、正直に言えば、日本人が、アメリカ人よりも劣っているとは考えていないはずです。
他国の民族も同様なのです。
インド人、ロシア人然り、中国人も韓国人も、他国の民族が、自分の民族よりも優れていると考えているはずがありません。
だから、人間関係同様に、プライドを傷つけられると、衝突になります。
和解への道筋を探るのが国際外交、政治家の仕事なのに、言い争ってどうなるのか?
・・・言い争っても勝負無し。
和解よりも、喧嘩となり・・・衝突、戦争へとエスカレートするのが人類史の方式。
歴史が証明しています。
今からちょうど50年前の1969年の夏、アメリカが、月に向けて、アポロ11号を打ち上げました。
人間が地球を飛び出して月に到着、そして、月の上(面)を歩いて、人類の足跡を残したのです。
思い起こせば、ぼくは、中学1年生の夏でした。
百島から眺めていた「月の輝き」が、よい意味で忘れられません。
真夏のクラブ活動の練習で水を飲むなという時代・・・月を眺めながら「人間」や「宇宙」ということを考える始まりの一歩でした。
しかし、50年後の今、人間は、月よりも遠くへ、未だに旅立っていないのです。
人類は、この50年間、地球上で延々と「自国第一の豊かな人間生活」を目標に勤めています。
単純なことを言うと、人間がスムーズに生きていくのに最大の財産となるのが、「健康」と「人がらのよさ」、その次が「お金」です。
それでも、時には、巨大な自然天災、悲惨な戦争犯罪、テロ、人災に巻き込まれるのが、人類の運命です。
これまでの人類の歴史において、戦争が終結するたびに繰り返して「平和の尊さ」を問いかけたのが、人間のはずです。
せめて、人災を根絶するぐらいの「人智の進歩」は、ないものか?
今日8月6日は、ヒロシマ原爆忌74年周年。
36度の熱風の暑さにも、悲鳴を上げる日本列島。
今朝は、日が昇る前、お墓掃除に参りました。
お墓掃除からの帰り道、福井市市街地を振り返りました。
もし、核兵器が落ちれば、一発でこの街は壊滅・・・そうなってはダメなのです。
一瞬に溶けてしまう6000度の熱風、爆風、放射線の地獄を有り様を知りながら、核軍縮どころか、核拡散する人類世界は、この先、どうなるのか?
帰宅後、今日の地元福井新聞のコラム(若水越山)を読んでいると、とても考えさせられる文面でした。
詩人、谷川俊太郎さんの作品「大小」の一遍を紹介していました。
「小さな戦争やむをえぬ 大きな戦争防ぐため」
「小さな不自由やむをえぬ 大きな自由守るため」
「一人死ぬのはやむをえぬ 千人死ぬのを防ぐため」
「千人死ぬのもやむをえぬ ひとつの国を守るため」
「大は小をかねるとさ 量は質をかねるとさ」
人間の・・・大義とは、何だろう?
8月5日の広島は、摂氏37度。
明日は、令和元年の平和記念式展。
74年前の1945年の、せめて8月5日に時間を戻せたら、広島から全員少しでも遠くに逃げなさい‼️と叫ぶだろう。
「戦争は人間の仕業」ローマ法王の言葉を、原爆ドームが物語る。
広島市庁舎の資料館と原爆投下直後の死体置き場のテレビ画像。
袋町国民学校。
被爆後、行方不明者への伝言板。
明日、原爆記念日だが、戦争は、どのようなリーダーのもとに、どのようなシチュエーションで起こったか、判然とさせなければ、戦死者は浮かばれない。
昨日の午後、NHKBSで、映画「ミッドナイト・ラン」主演ロバート・デ・二-ロ(1988年製作)を観ていました。
大好きな映画で、もう10回は観たかなぁ・・DVDも持っています。
観るだけで、元気が出るのです。
当時の情景は、飛行機の中でもタバコをスパスパと吸って煙だらけのシーンも多くて、勿論携帯電話がない時代です。
重要な伝達道具は、公衆電話・・それも盗聴されています。
会計士がマフィアからの大金を横領して慈善団体に寄付します。
元警官だった賞金稼ぎ(ロバート・デニーロ)が、その会計士をニューヨークからロスアンゼルスまでドタバタの連行コメディ劇です。
この二人がやりとりする台詞は、30年後の今聴いても、斬新で考えさせられる一言一言、深い内容なのです。
会計士は、的確な言葉を使います。
「コーヒー店を出しても、半年で潰れるのが、業界の実態だ」
「タバコの受動喫煙をどう思う?」
「そんなジャンクな食べ物では、将来は不健康になる」
賄賂と暴力、男と女、慈善と家庭、警官とマフィア、そして賞金稼ぎの騙し合い。
「大金を慈善団体に寄付して、みんなに愛されたいのか? そして、マフィアに殺されたいのか?」
カメレオン俳優と言われたロバート・デ・二-ロも、まだ当時の立ち居振る舞いの姿は、若いです。
ミッドナイト・ランの登場する1988年のアメリカの日常風景・・ニューヨーク、シカゴ、インディア居留地、そして、ラスベガス、ロスアンゼルス空港。
・・・すべてが、懐かしいです。
1988年、個人的な思い出として、ヨーロッパからニューヨークへ飛んで、バスを使って東海岸から西のカリフォルニア・サンフランシスコ、そして、ロスアンゼルスまで大陸横断旅行した思い出があります。
バスの中で、禁煙だったユタ州からラスベガスのあるネバダ州に入った途端、喫煙(現在は、バス内禁煙)に変わり、その他ギャンブルも売春も合法だったネバダ州。
不思議な不可解な大国、アメリカ、USA。
「お金がない人生は困難であっても、不機嫌な顔ではダメ」
「お金がなくても、上機嫌な顔、表情であれば、お金も幸運も近寄ってくる」
若い頃、海外生活で教わった「グッドラック・サイン」です。
簡単なようで、これを継続するのが、大変なのです。
・・・・スマイル。
さて、昨晩は、地元の花火大会でした。
約1万発の花火が、福井市中心部の夜空に大輪の花を咲かせました。
この花火大会が、福井フェニックス祭りのスタートの号砲合図となります。
県内には、大きな花火大会が、あと二つ行われます。
それが、11日の三国の花火と16日の敦賀の花火・灯篭流し。
砂浜に座って鑑賞ができて、県外からも大勢見学に来る大人気の花火大会です。
どちらの花火大会も有力なスポンサーがついているので、圧倒的な数を誇る大掛かりな花火仕掛けも鑑賞できます。
でも、今のぼくは、福井の花火の方が一番好きだなぁ。
・・約1万発で十分満足です!
花火にも顔や表情があるのです。
花火は、消えていく、なくなるけど、また花火が咲き、現れる。
そう、一寸先は闇でも、光があります。
・・・・映画にも花火にも。
だから、楽しいのかもしれません。
それを、上機嫌と言います。
三連休も今日でおしまい。
昨日は、猛暑を避けて、図書館と映画館へ。
学生、生徒、児童、そして、リタイアしている高齢者ばかり、涼を求めてきた避難所のような状況です。
さて、地元の映画館は、満員御礼ということはなく、大抵、10分前にチケットを購入しても、大丈夫。
ちゃんと座席を確保、余裕を持って映画を観ることができます。
ただ、地方の映画館の事情哀しさで、洋画の場合、ほとんど「吹き替え」で、「字幕付き」洋画が、ほんとうに少ないのです。
そこで、昨日の夕方、わざわざ隣りの鯖江市の映画館まで出かけて参りました。
字幕付きの映画を探していると、公開最終日の「スパイダーマン」。
観客数は、僅か4名。(その内、外国人カップル2名)
これが、期待していた以上によかったです。
・・・満喫しました。
正直、個人的には、「天気の子」よりも、数倍面白かったです。
ヴェネツィア、ロンドン、ニューアーク空港・・・懐かしい風景も観ました。
ありえない世界、「どんでん返し」の「ドンデン返し」、エンドロールが終わっても、ここまで観客を楽しませるのかという映画内容でした。
「スパイダーマン」・・・シリーズを通して、全部観たくなりました。
笑って楽しむ気持ちがないと、次の好奇心に続きません。
楽しくて、大汗を出さない休日を過ごしました。
だから、夏風邪がなかなか治らないのかもしれません。
発汗作用レベルが低下して、体調が戻らないのかもしれません。
今夜は、地元の花火大会。
花火鑑賞のため、我が家のベランダを掃除、蜘蛛の糸を追っ払いました。
スパイダーマンに使われていた糸も、音楽も好かった。
心の琴線だったのかも?
もっと、汗を流さないとね。
行水の 盥の中に 昭和かな
団塊が青春の昭和50年頃、某資産家の弁によると、「国は、戦争で負けたから、持っていた国債は、全てパーに。
だが、郵便局は、通帳と印鑑を持っていけば、出してくれたので、私は、国よりも郵便局を信用している」との事だった。
その郵政の信用も、この度のかんぽ生命の遵則違反の営業で大きく傾いた。
営業にはノルマはつきものだが、ノルマのせいだろうか?
日本の経済は、護送船団方式で、高度成長期を成した。
民営化による、同業他社との競争。その競争によるノルマ。
かつて、国鉄の民営化による、私鉄との競争。
その競争によって、時間割りのノルマが、信楽鉄道や尼崎列車事故で、多くの犠牲者を出してしまった。
郵政の民営化。
年賀状の過剰ノルマの記憶もまだ新しい。
真っ当な生業は、社会の役に立つ為に存在する。
その為には、役に立ち、喜んでもらえる商品を開発し、販売する。
ところが、ノルマ(数字)に支配された組織では、保険や証券すら、顧客から数字を手繰る為の金融商品にしかない。
「医は仁術」の病院でさえも、昨今、ノルマを問われたり、無報酬医師の存在が、問題になったりする。
愚直なまでも信用を一番にする模範を、巨大組織が失うようでは、わが日本の将来、その幸福度は危うい。