今、通信制大学への課題提出文「夏休みのトモ」を書いています。
八月末・・もうすぐ、九月です。
子どもの頃、いつも、この時期は、泣き叫びたいぐらい悲しくて辛くて嫌な日々でした。
何で、こんなに宿題が残っているんだろうか?・・という悲嘆でした。
この現実問題は・・大人になっても全く変わりません。
「明日やろう。来月やろう」・・今、大学の単位取得のための提出課題が、どんどんと溜まっているのに気がつきました。
この歳になれば、「ゆっくり学んで、楽しむ」と思えば、いいのでしょうが・・そう、いいのです。
でも、商売同様に「気力」と「体力」と「資金力」が無くなれば、まったく異なった「焦燥感」が始まります。
それに加えて、借金生活にもなれば、人生の拘束力が働きます。
生きてゆくうえで、その一つでも「人間の資本力」が揺らぐと、すべて人生色褪せてゆきます。
テレビドラマで、入院患者がベッドに寝ているシーンがあります。
普通は、ベッドの両脇に2本のベッド柵があるのですが、ドラマでは、ベッド柵のないベッドに寝ています。
あれでは、床に転落しています。
ところが、あのベッドに4本(左右2本)のベッド柵をしていると「拘束」とみなされ、寝たきりの高齢者であっても「拘束」すなわち「虐待」とみなされます。
・・ベッドに繋ぎ止めるからでしょう。
そう、生きることに拘束されるのです。
ならば、高齢者の経管栄養(胃瘻、鼻注)も「虐待」なのではないか?・・と考え始めています。
それでも、恵まれた年金給付の高齢者の多くの家族は、一日でも長生きしてほしいと思うのも理解できます。
本人の意向は、無視です。
どこの家族も、生活苦はツライものです。
しかし、逆に、この頃は、生活の資金力もない高齢者、その家族も増えています。
だから、放置状態の高齢者も増加の一方です。
・・その反面、打ち出の小づちならぬ「大事な大事な高年金の高齢者様」の家族に、モンスター・クレーマーのような存在も増えています。
実に細かいことまで要求してきます。
爪が長く掻き毟って、擦り傷でも出来たら「さぁ、大変です」。
何を言われるか・・「ご自宅へ、お持ち帰りください」と言いたくなるような戦々恐々の医療・介護現場です。
もうひとつ、人手不足が、人材不足につながります。
たしかに、スピーディに仕事ができない、読み書きも発表も苦手、注意散漫・・とりわけ介護現場には多いような気もします。
でも、実際、認知症の高齢者が弄便したあと、その糞だらけの手指を口にくわえた高齢者の清拭をしている現場を見ていると・・かれらの介護従事者の給与は低すぎます。
その糞だらけの手指を口にする高齢者の年金の方が、介護従事者の給与よりも、かなり高額なのです。
ちょっと・・変でしょう?
若者の仕事離れというのも理解できます。
若者の未来への希望は、何だろう?
もう、40年近い昔、学生の頃は、「土方仕事は一日一万円」という時代でした。
肉体労働は賃金が高い・・というのが定説、前提にありました。
介護職も、せめて地方公務員と同等の賃金保障をしないと「介護難民」という社会問題が、そこまで来ているのです。
年収数千万円の政治家の方ならば、家族の高齢者の介護は、御自分ではしないでしょう。
政治、メディアも、そして大学教授も「地方優先」と言うのならば、自ら率先して地方へ移住すればよいのにと思います。
この視点で、今、課題提出の「夏休みのトモ」を書いています。
八月末・・もうすぐ、九月です。
子どもの頃、いつも、この時期は、泣き叫びたいぐらい悲しくて辛くて嫌な日々でした。
何で、こんなに宿題が残っているんだろうか?・・という悲嘆でした。
この現実問題は・・大人になっても全く変わりません。
「明日やろう。来月やろう」・・今、大学の単位取得のための提出課題が、どんどんと溜まっているのに気がつきました。
この歳になれば、「ゆっくり学んで、楽しむ」と思えば、いいのでしょうが・・そう、いいのです。
でも、商売同様に「気力」と「体力」と「資金力」が無くなれば、まったく異なった「焦燥感」が始まります。
それに加えて、借金生活にもなれば、人生の拘束力が働きます。
生きてゆくうえで、その一つでも「人間の資本力」が揺らぐと、すべて人生色褪せてゆきます。
テレビドラマで、入院患者がベッドに寝ているシーンがあります。
普通は、ベッドの両脇に2本のベッド柵があるのですが、ドラマでは、ベッド柵のないベッドに寝ています。
あれでは、床に転落しています。
ところが、あのベッドに4本(左右2本)のベッド柵をしていると「拘束」とみなされ、寝たきりの高齢者であっても「拘束」すなわち「虐待」とみなされます。
・・ベッドに繋ぎ止めるからでしょう。
そう、生きることに拘束されるのです。
ならば、高齢者の経管栄養(胃瘻、鼻注)も「虐待」なのではないか?・・と考え始めています。
それでも、恵まれた年金給付の高齢者の多くの家族は、一日でも長生きしてほしいと思うのも理解できます。
本人の意向は、無視です。
どこの家族も、生活苦はツライものです。
しかし、逆に、この頃は、生活の資金力もない高齢者、その家族も増えています。
だから、放置状態の高齢者も増加の一方です。
・・その反面、打ち出の小づちならぬ「大事な大事な高年金の高齢者様」の家族に、モンスター・クレーマーのような存在も増えています。
実に細かいことまで要求してきます。
爪が長く掻き毟って、擦り傷でも出来たら「さぁ、大変です」。
何を言われるか・・「ご自宅へ、お持ち帰りください」と言いたくなるような戦々恐々の医療・介護現場です。
もうひとつ、人手不足が、人材不足につながります。
たしかに、スピーディに仕事ができない、読み書きも発表も苦手、注意散漫・・とりわけ介護現場には多いような気もします。
でも、実際、認知症の高齢者が弄便したあと、その糞だらけの手指を口にくわえた高齢者の清拭をしている現場を見ていると・・かれらの介護従事者の給与は低すぎます。
その糞だらけの手指を口にする高齢者の年金の方が、介護従事者の給与よりも、かなり高額なのです。
ちょっと・・変でしょう?
若者の仕事離れというのも理解できます。
若者の未来への希望は、何だろう?
もう、40年近い昔、学生の頃は、「土方仕事は一日一万円」という時代でした。
肉体労働は賃金が高い・・というのが定説、前提にありました。
介護職も、せめて地方公務員と同等の賃金保障をしないと「介護難民」という社会問題が、そこまで来ているのです。
年収数千万円の政治家の方ならば、家族の高齢者の介護は、御自分ではしないでしょう。
政治、メディアも、そして大学教授も「地方優先」と言うのならば、自ら率先して地方へ移住すればよいのにと思います。
この視点で、今、課題提出の「夏休みのトモ」を書いています。