安倍首相は、2016年、71回目の全国戦没者追悼式の式辞で、13年から4年続けてアジア諸国への「加害」と「反省」に触れなかった。13年には、首相は「誰のため、何のために開く式なのか抜本的に考え直して欲しい」と指示し、官邸幹部も「参列者が遺族中心のためアジアへの謝罪はなじまない」として、「加害」や「反省」や「哀悼」を消したという。
この事は彼らの「歴史認識」を表しているものであり、今日普遍性を持たない「価値観」であり「歴史認識」である事は言うまでもないが、この首相たちの「判断」、「価値観」は何を背景にしているのだろう。
これこそ、「靖国神社」の思想(国家神道)そのものなのである。サンフランシスコ講和条約発効後の1952年9月30日に、靖国神社は東京都知事の認証を得て、「宗教法人法」による「単立宗教法人」を設立した。そして、「宗教法人『靖国神社』規則」と「靖国神社社憲」を定め、敗戦までの靖国神社の思想性格を継承する事を表明した。靖国神社は、「明治天皇の『安国』の聖旨」に基づく神社である事を強調し、戦没者を「万代に顕彰」し、「その神徳をひろめ」る事を目的に掲げて、大日本帝国下での役割を復活する事を公然と表明したのである。そして、「国家護持」運動、「天皇・首相らによる公式参拝実現」運動をへて、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」による集団参拝運動の今日に至ってるのである。
○「宗教法人『靖国神社』規則」1952年
(目的)第3条 本法人は、明治天皇の宣らせ給うた「安国」の聖旨に基づき、国事に殉ぜられた人々を奉斎し、神道の祭祀を行い、その神徳をひろめ、本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し、……。
○「靖国神社社憲」1952年
(前文)……嘉永六年以降国事に殉ぜられたる人々を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その「みたま」を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため、……。
第一章 総則
(目的)第2条 本神社は、御創立の精神に基づき、祭司を執行し、祭神の神徳を弘め、その理想を祭神の遺族崇敬者及び一般に宣揚普及し、社運の隆昌を計り、万世にゆるぎなき太平の基を開き、以て安国の実現に寄与するを以て根幹の目的とする。
以上
そして、靖国神社へ神として祀られる対象が、天皇への忠誠を基準としており、天皇に敵対した者は厳重に排除している事である。この価値観こそが安倍政府の主催によって行われている「全国戦没者追悼式」であるという事だ。
「追悼式」までもが、安倍政権の価値観によって作り変えられているのである。「追悼」という名称であるが、実態は「顕彰」なのである。安倍政権からすれば「戦没者」は「平和」のために尽くしたという事になるのである。
また、敗戦後の自民党の政治政策は天皇制護持を目的としたものであり、それが「平和」を守る事を意味したのである。朝鮮戦争やヴェトナム戦争などへの支援もそうなのである。そして、「これからも……世界の平和と繁栄に貢献し、万人が心豊かに暮らせる世の中の実現に全力を尽くしてまいります。希望に満ちた国の未来を切り開いてまいります。」という文言は他でもなく「積極的平和主義」の正当性をアピールしているのである。
また、おまけに、「その事が御霊に報いる途であると信じて疑いません」という文言は、「戦没者(御霊)の後に続く事を誓います」という意味を含めており、国民の意識を鼓舞しているのである。
これに反対する国民は、みずからの価値観で安倍政権とは別に「追悼式」を実施する決意を持たねばならない事態になったという認識が必要である。
ちなみに、昭和天皇の動きを見ると、1952年10月16日、「靖国神社」が一宗教法人として復活を遂げた後初めて、皇后と共に、参拝し、翌年の秋季例大祭から、秋季例大祭ごとの「勅使参向」を復活させた。これによって天皇と靖国神社の結びつきが敗戦までのように復活したのである。
そして、この時点から、先日の「生前譲位のお言葉」の中に「象徴的行為」についての悩みを述べていたが、「国民体育大会」や「植樹祭」という「象徴的行為」を始めたのである。そしてさらに重要な事は、この旅行の際には、地元の「護国神社」への参拝をするようにした事である。護国神社は、1946年に、国家神道の延長線上で、神社神道を宗教として存続させるために設立されていた「神社本庁」に所属していた。「神社本庁」は庁規第61条に「(伊勢)神宮は神社の本宗として本庁之を輔翼す」と定めており、神社本庁の設立は、国家神道時代の天皇中心の国体の教義と神社の中央集権的編制が、形を変えただけで基本的に存続する事を意味した。敗戦までの国家神道の組織は見事に復活したのである。
つまり、昭和天皇は、国民に知られないように「政治的行為」(憲法の政教分離原則違反)を行っていたのである。メディアもその重要性を国民に伝えてこなかったのである。そして、現行天皇もこの象徴的行為を継続してきており、国民は放置してはいけない。また、天皇自身が責任を明らかにすべきである。しかし、それはあり得ないであろう。
象徴的行為の中身は天皇の「慈愛」の顔であるが、この顔は、純粋なものではない。極めて計算されたもので、時の政権(現在であれば安倍政権)の政治政策に対する国民の不満のガス抜きをさせる役割を担っているのである。つまり、天皇の象徴行為は、時の政権と無関係ではなく、深く関係しており、両者がセットになって機能しているため、極めて政治的な行為とみなすべきであるという事である。
天皇はそのような認識を持っていないようであるが、これは「無責任」以外の何物でもない。ハンナ・アーレントの言葉に、ナチス・ドイツのアイヒマンについて、彼の罪は「考えない事」だと言っているが、それと同様である。アイヒマンは、ユダヤ人虐殺であると知りながら、自分に与えられた仕事であるからと、それ以上の事を考えようとしなかった。
(2016年8月29日投稿)