2020年11月1日、大阪維新の会の松井大阪市長、吉村大阪知事は、大阪市民から要望した事ではない「大阪都構想(大阪市廃止4特別区設置)」の住民投票を、コロナ禍の渦中でもある事を不安視した市民が「投票延期」の要望を訴えたにもかかわらず、耳を傾ける事もなく実施を強行したが、反対の立場が勝利し目論見は潰えた。しかしそれに対し、数日後に次は、住民投票を必要とせずに、条例だけで彼らの目的を達成できると考えた「広域行政の一元化条例案」と「8つの総合区設置案」を21年2月の定例議会に提出する事を表明した。しかし、この条例による手法は「大都市地域特別区設置法」に基づく「住民投票結果」の「拘束」に違反(「設置法」自体も憲法に違反している法律であるが)する手法であり、非合法的手法である。しかし、それを無視して強行し、条例を制定してしまおうという魂胆なのである。条例を制定してしまえば、市民が「悪法」だと考え批判しても、彼らは「法治主義」(彼らにとって都合の良い法律をつくりそれに基づいて権力を行使する事)を「根拠」に市民に押し付けようと考えているのである。この手法は詐欺手法であり、民主的ではない。このような手法はかつてナチス・ヒトラーが当時世界一民主的であったワイマール憲法を形骸化し全体主義(ファシズム)の第3帝国を樹立し動かした手法そのものなのである。ちなみに、「悪法も法なり」という理屈により「法は守らなければならない」とする法治主義の考え方は、ドイツを淵源としナチス・ヒトラーを生み出したもの(英・米国では「法の支配」)で、神聖天皇主権大日本帝国政府(伊藤博文)はそれをテキストとして受け入れ、臣民(国民)を教化(洗脳)し浸透定着させ支配した。「悪法も法なり」の典型的な例が「治安維持法」である。「法治主義」は敗戦後の日本国憲法のもとにおいても未だに生き続けており、帝国政府への回帰をめざす政治団体・日本会議や、その勢力を基盤とする安倍自公政権や菅自公政権が、法律を権力行使のために手前勝手に作り解釈し、民主主義を破壊し尽くし国と国民を私物化いるのである。その別動隊・補完勢力が「大阪維新の会」「日本維新の会」なのである。
【ナチス・ヒトラー略史】
1928年5月、国会選挙で、ナチス12名当選(全議席数の2.4%)
1930年9月、国会選挙で、ナチス107名当選(全議席数の19%、社民党に次ぐ2位)ヒンデンブルク大統領は、ブリューニングを大統領緊急令により首相に任命(議院内閣制の停止、憲法に従い憲法の一部を停止)
1932年4月、ヒトラーが大統領選に出馬。しかし、ヒンデンブルク大統領再選。
1932年7月、国会選挙で、ナチス第1党となる(全議席数の38%)。ヒンデンブルク大統領はパーペン内閣を命じた。
1932年11月、国会選挙で、ナチス第1党となる(全議席数の34%)。ヒンデンブルク大統領はシュライヒャー内閣を命じた。共産党の進出に怯えた大資本はナチス支援を決意。シュライヒャー内閣は2カ月で倒壊した。
1933年1月、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に指名し、ヒトラーが政権獲得。軍部・大資本家の支援で国民的協力内閣の名で発足し、直ちに議会を解散した。
1933年2月、国会議事堂炎上事件でヒトラー内閣は大統領に「人民と国家防衛のための」緊急令を公布させ、炎上犯人を共産党員と決めつけ4000名以上を逮捕するとともに、憲法が定める集会・出版の自由など基本的人権を停止し、ワイマール憲法を空洞化した。
1933年3月、国会選挙で全議席数の45%を獲得し、第1党。その際、共産党の当選者81名(13%)を無効として逮捕し、ダッハウやオラニンブルクの強制収容所へ送った。加えて共産党を非合法組織とした。
同年3月末、ヒトラーは会場オペラハウスをナチス親衛隊SAに包囲させたうえで、全権委任(向こう4年間)法(「民族と国家の困難を除去するため」政府に立法権を委ねる法)を数の力で可決した。この法は、議会政治を廃止する決議をするという形で成立させた。この法律は憲法を変更するものであったから、3分の2の賛成が必要であった。出席議員535人、社民党94人全員が反対したが、賛成441名で可決された。共産党の出席は認めなかった。この背景には、ナチス・ヒトラーによる議会に対する破壊行為や反ナチス議員に対するテロ・脅迫などの非合法行為が存在し議員活動をできなくした事とカトリック政党である「中央党」がヒトラーの弾圧を恐れて「賛成」に回ったという事があった。これにより、ヒトラー内閣は憲法に縛られない立法権を掌握し、憲法の機能を停止した。議会政治・議会制民主主義も廃止し、ナチスの1党独裁へ向かう。
同年6月、社民党を非合法組織とした。
同年7月、政党新設禁止令を発令しナチスは1党独裁体制を樹立した。
同年11月、国会選挙で全議席数の99.7%を独占した。
1934年8月、ヒンデンブルク大統領が死去し、ヒトラーは総統に就任し、首相と大統領を兼ね、大統領制を消滅させた。国防軍もヒトラーに忠誠を誓い、独裁体制に移行した。
(2020年11月17日投稿)