朝日新聞2021年10月19日の「天声人語」に、「明治23年に実施された初めての衆院選」について、つまり神聖天皇主権大日本帝国政府下での第1回総選挙について、近年の投票実績に比して、「投票率は93%だった。女性に参政権がなく、有権者は全人口の1%という制限選挙だったが、驚きの高さだ」とあった。ところで、私としてはこの事については、もう少し別の角度からの大切な面を伝えてもらいたいものだと思った。
この衆院選は神聖天皇主権大日本帝国政府が1889年2月に大日本帝国憲法制定とともに公布した議員法と衆議院議員選挙法に基づき1890年7月に実施したものである。帝国議会(現国会)は天皇の立法権行使の協賛機関として位置づけており、貴族院・衆議院の2院制で、両院は対等(現在は衆議院優位)とした。貴族院は公族・華族・勅選議員・多額納税者からなり、解散はない。皇室を守り、民選の議員(衆院議員)を抑える役割を担った。衆議院は小選挙区制で直接国税(地租・所得税・営業税)15円以上の男子納入者による制限選挙で、被選挙権は満30歳以上、選挙権は満25歳以上とした。直接国税15円以上とは、農家では2町歩(約2㌶)以上の地主(当時としてはかなりの豪農)、自家営業や勤め人では年収1000円(現在では3000万円?)以上であった。また、この衆議院議員選挙法は、全国一律に施行したのではなく、北海道は1900年になるまで、沖縄県は1912年になるまで施行しなかった差別行政を行った事実を伝えるべきである。このような条件により、有権者は約45万人で、全人口の約1.1%であった。この後、このような高額の税金で選挙権を買うというような制度は、さすがに批判が起こり、財産や収入に関わりなく選挙権を得る普通選挙運動が起こる。また、候補者は立候補した事を行政機関へ届ける必要はなく、「供託金」の支払い義務も選挙費用の制限もなかったが、1928(昭和3)年の男子普通選挙制(中選挙区制)から候補者は行政機関へ届け出る立候補制が実施された。
※男子普通選挙法の公布は、1925年5月、第1次加藤高明・護憲三派内閣時。
※供託金制度……1925(大正14)年に男子普通選挙法が制定された際、保証金を供託する制度が導入された。「候補者の乱立防止」がその理由で、貧困な労農無産政党系の人々などが立候補の制約を受けた。今日では、衆院・参院の比例代表で600万円、衆院小選挙区・参院選挙区で300万円。没収規定は、衆院小選挙区は有効投票総数の10分の1未満の得票。参院選挙区は有効投票総数を議員定数で割った数の8分の1未満。参院・衆院の比例代表は当選者の2倍を超える立候補人数分。
米国・ドイツ・イタリア・フランスをはじめ大多数の国では制度自体なし。イギリスは約6万円、カナダは約8万円、オーストラリアは約4万円。没収点も日本より低い。
ちなみに、供託金制度は法の下の平等を定めた憲法第14条や議員と選挙人の資格を「財産や収入で差別してはならない」と定めた憲法第44条に違反しているのではないだろうか。
更に付け加えておくが、1945年12月17日幣原喜重郎内閣が衆議院議員選挙法を改正公布したが、米軍政下にあった沖縄県は施行の例外扱いとした。つまり、現憲法を審議した1946年の国会には沖縄県選出議員は選出せず、現行の「平和憲法は、沖縄県民を除外したうえで成立」したのである。
(2021年10月26日投稿)