安倍首相は、すでに衆院選には勝利するという自信を持っているようで、選挙後の予定を立てている。日本史上初の姑息で異常な、自己にかけられた疑惑からの「逃げ切り解散」をやっておきながら、いまだ衆院選の投票さえ済まないうちから、安倍自民党の勝利をまったく疑わない高慢な態度をとり、11月のトランプ米大統領来日の際、ゴルフの予定を立てているのである。主権者国民はこの安倍の態度に怒りを新たにすべきではないのか。しかし、ここで考えなければならないのは、このように安倍をのぼせさせてしまい高慢にさせてしまったのは、ほかでもなく主権者国民自身であるという事である。政治は国民の意識のありようを表す。今日のような国民の権利や主権を奪い取る現在の日本社会の状態をもたらした原因はこれまでの衆院選と参院選において、国民の多く(特に若者)が安倍自民党の正体を正しく理解せずに積極的に支持してきた事と、自己の意思を示さず主権者としての責任の重さ罪深さに気づく努力をしてこなかった多くの投票棄権(白紙委任)者の存在によるものである(選挙制度にも国民の意思が反映されないという問題もあるが)。
この衆院選ではこれまでと同様な態度をとらず、安倍自民党の高慢な鼻を折ってやろうではないか。そして、主権者国民が真に主権者として政治が行われる日本をつくろう。「あとの祭り」となって後悔してもそれでは取り返しがつかない。相手を変えるためには自分が変わらなくてはならないのだ。
安倍自民党の鼻を折る(政治を変える)ためには、まず自分自身の姿勢を変えなければならないという事だ。