ポピュリズムとは、「大衆迎合主義」の政治といわれ、「大衆の人気に基づいた(大衆の機嫌を取る)政治」という意味である。すでに敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府において、「それ」は行われていた。日露戦争後の「日比谷焼き打ち事件」(1905年9月)に始まり、日米アジア太平洋戦争戦争(1941年開始)へ進めて行った政治が「それ」であった。
「ポピュリズム」とは、「普通の人々」と「エリート」、「善玉と悪玉」、「味方」と「敵」の二元論を前提に、リーダーが「普通の人々」の一員である事を強調すると同時に、「普通の人々」の側に立ち、彼らをリードし、「敵」に向って闘いを挑む「ヒーロー」の役割を演じる、「劇場型」政治スタイルである(大嶽秀夫『日本型ポピュリズム』)という。
又、大衆に甘い期待を抱かせ、かつ長期的展望を無視して、短期的な利益提供を撒き散らす政治(大嶽秀夫『小泉純一郎 ポピュリズムの研究』)ともいう。
様々な選挙において、少しでも多くの議席や政権を獲得するために、公共事業の誘致や様々な補助金や給付金の新設や増額、減税には熱心に人気取りに取り組む一方で、国民に嫌われないように支持されにくい「増税」や「将来の国全体のあり方」などについては、公約や政策ではごまかしたり提示しようとしない「政権」や「政治家」や「政党」の政治姿勢を意味している。例えば、自由民主党はこれまでを見ればもちろんそうであるが、国民民主党や日本維新の会などもそうである。そこには、国全体の将来のあるべき姿に関しての「責任感」は毛頭うかがえない。だから、国民は憲法で主権者であると定められている事を改めて自覚し、国全体に責任を持つ政治を行うべき主権者として、ポピュリズムに惑わされない「賢明さ」をそなえ、無責任なポピュリズムを払拭する政治体制をつくる事を目標とすべきである。
(2025年3月3日投稿)