「麻生グループ」の起こりは、1872年に麻生太吉が北九州筑豊(福岡県)での石炭産業を興した事に始まる。1910年代後半には、「麻生炭鉱」での「朝鮮人」使用を開始した。1939年後半には、「麻生炭鉱」への「朝鮮人強制連行」も行い、1945年までに1万人を超えた。
麻生太吉は1899年には衆議院議員、1911年には貴族院議員となった。1933年に太吉が死亡すると、孫の麻生太賀吉が後を継いだ。
「麻生」は、労働者に「労資一体」による「君国奉公」を説き、働かせた。1942年からは海軍省の委託を受け、南ボルネオのロアクール炭鉱やブラオ炭鉱の開発を行った。麻生系炭鉱はアジア太平洋戦争下に年100万㌧を超える石炭生産を行った。
麻生太賀吉は戦後、石炭とセメントを生産する麻生産業の社長や九州電力の会長となった。中央政界ともつながり、1949年には衆議院議員となり、吉田茂を財政面で支えた。政界引退後は、1965年に日本石炭協会会長となった。麻生太賀吉は吉田茂の娘と結婚したが、その子が麻生太郎である。太賀吉の娘は皇族の寛仁親王と結婚した。麻生太郎の妻は鈴木善幸の娘である。
さて次に、麻生太郎氏の2000年代のウソ発言を以下に紹介したい。
○2003年5月、自民党政調会長時代、東京大学の学園祭にて
「創氏改名は朝鮮人が望んだ」
○2005年10月、九州国立博物館の開館記念式典にて
「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本の外にはない」
○2006年8月、外務大臣時代
「靖国に弥栄あれ」を記し、靖国には国の為に尊い命を投げ出したという日本人の集合的記憶があり、日本人を貫く棒のようなものがあるとし、靖国を特殊法人な形で国営化する事と天皇の参拝を求めている」
○2007年2月、米国議会での日本軍による性奴隷制に対する決議案に対して、衆議院で
「客観的な事実に基づいていない」と批判
○2007年9月、自民党総裁選にて
「自虐史観」批判の立場を公言した
※麻生太郎氏及び麻生グループは今日においても、戦時下の朝鮮人強制労働(死者は200人を超えるとされる)に対して、謝罪や賠償をしていない。
(2023年10月28日投稿)