OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

大晦日・イン・マイ・ワールド

2022-12-31 17:56:55 | 日本のロック

イン・マイ・ワールド (In My World) / 沢村和子とピーターパン (RCA / 日本ビクター)

GSブームも終焉を迎えていた昭和45(1970)年前後には、そんなこんなで登場したバンドも変革の波に晒されたというか、それまでの純粋な(?)洋楽系歌謡ロック路線から、本格的なサイケ&ニューロックを目指したグループもあれば、歌謡フォークやムード歌謡コーラス風のレコードを出して、其々に生き残りを図っていたわけですが、それで解散を免れたバンドのひとつが本日ご紹介する沢村和子とピーターパンです。

まあ……、今となっては、昭和46(1971)年に発売された掲載盤A面収録の「イン・マイ・ワールド (In My World)」が日活最後の一般制作映画である夏純子主演のニューアクション作品「不良少女魔子(昭和46年・蔵原惟二監督)」に使われていたので、件の本篇のDVD化に伴って再発見されている事もありますが、沢村和子とピーターパンは昭和44(1969)年にレコードデビューした時は、ほとんど歌謡コーラス系のGSであり、ワワワワァ~~、なぁ~んていう、如何にものムード歌謡コーラスもやらされていた(?)のとは一転、これは作詞:岡まどか&作編曲:中島安敏が企図したソフトロック&イージーリスニングジャズ風味のサウンドを構築したフォーク系歌謡ロックに仕上がっているんですねぇ~~ (^^♪

ちなみに沢村和子(vo,etc) は沢村美司子の妹ですから、つまり中島安敏は実兄という強い絆があればこそ、小松崎純(g,vo)、加藤光一(g,vo)、白尾国洋(b,vo)、加藤武(ds,vo) という顔ぶれのピーターパンの面々も、心置きなく歌い、演奏出来たのかもしれません。

とにかく、ここでの転がりまくったピアノ、アップテンポで強いビート&リズムを打ち出すベース&ドラムスという演奏の弾けっぷりは相当なものですし、コール&レスポンスのスタイルで歌われる楽曲の新鮮味と高揚感は、時代が変わろうとも、その熱気溢れる歌謡世界は必ずや共感されるものと思っています (^^)

ちなみに前述した日活映画「不良少女魔子」の本篇中では、夏純子を含むズベ公達が溜り場にしているゴーゴー喫茶で、沢村和子とピーターパンとピーターパンが歌って演奏している場面をご覧になれるんですが、もちろん、そのサントラ音源と掲載盤収録のシングルバージョンは異なっており、件のサントラバージョンのグルーヴィな仕上がりこそは、このバンドの真骨頂かもしれませんよ (^^♪

以前、このサントラバージョンは「GO!CINEMANIA REEL9 (ユニバーサル)」と題されたCDに収録発売されていますので、気になる皆様は、お楽しみくださいませ (^^♪

ということで、アッという間に今年も大晦日!

正直、社会情勢は最悪だと思いますし、暗い世相が蔓延している中にあって、なかなか自分だけの喜びや希望に浸りきるという心持には程遠い1年でありました。

ですから、拙ブログも、決して楽しい事ばかりは綴れなかったわけですが、それでも大勢の皆様が訪れてくださった御厚情には、心から感謝 <(_ _)>

来る新年も、サイケおやじの姿勢は、まあ……、それほどの変わり様もございませんが、よろしくお付き合いいただければ幸いでございます <(_ _)>

そして皆様のご健勝、祈り申し上げます <(_ _)>


日本語ロックは歌謡ポップス

2022-09-08 18:12:31 | 日本のロック

素敵なあなた c/w 悲しきロックン・ロール / 沢村美司子 (日本コロムビア)

我が国独自の大衆音楽である「歌謡曲」が、その汎用性故に洋楽の影響を素早く吸収応用した歴史は、所謂ポップス歌謡として演歌や日本語ロックにも繋がる美しき流れだと思いますが、その源流を辿る時、必ずや邂逅するのが作曲家の中島安敏と彼の妹である沢村みつ子=沢村美司子でありましょう。

良く知られているとおり、この兄妹は沖縄県那覇市の出身とされていますが、実は未だアメリカの統治下にあった沖縄において、幼少時から音楽に親しみ、それが当然ながらアメリカ直通のポピュラーミュージックであった事から、兄・中島安敏は昭和28(1953)年に渡米して、本格的に音楽を学び、そこでは殊更ジャズやR&B等々の黒人音楽の知識を体現吸収し、昭和34(1959)年に帰国すると日本コロムビアやポリドールをメインに作曲活動を本格化させ、例えば今日まで数多くのカバーバージョンが吹き込まれている「涙の太陽 / エミー・ジャクソン」や「モスクワの灯 / The Spotnicks」等々の本格的な和製洋楽のヒットに貢献した事は忘れられない歴史と思います。

また、妹・沢村みつ子も小学生の頃から沖縄の米軍基地で歌っていた天才少女であり、昭和30(1955)年には14歳で渡米し、ハリウッドのミュージカル映画に出演する等々の大活躍から、ナチュラルに育んだ洋楽フィーリングは、帰国後にも我が国歌謡界で異彩を放っていたのですが、しかし、それは当時の日本では早過ぎたカッコ良さだったのでしょう、今に伝わるほどの記憶が一般的には薄れている気がしてなりません……。

さて、そこで本日掲載したのは、件の「沢村みつ子」が「沢村美司子」として、昭和41(1966)年に出した和製洋楽の傑作シングル盤で、なかにし礼の作詞に実兄の中島安敏がロッキンポップなメロディを附した決定的なアップテンポのビート歌謡 (^^♪

絶え間ないロッキンリズムとラテンフィーリングのオーケストレーションで作られた演奏パートにノリまくった沢村美司子の明るい声質によるボーカルの弾み具合は、なかなか余人をもって代えがたいところと思いますが、いかがなものでしょう (^^♪

そして、同じソングライターコンビから提供のB面曲「悲しきロックン・ロール」が、これまた強烈なアップテンポのエレキ歌謡!

イントロから炸裂する激しいエレキギターにホワイトドゥーワップな男性コーラスもニクイところですが、全編を押し通すロック丸出しのリズム&ビートをバックにグイノリで歌ってしまう沢村美司子のノーテンキな節回しは痛快ですよっ!

あぁ~~、エレキ歌謡ならではのリズムギターとリードギターのコンビネーションも最高にイイ感じ♪♪~♪

う~ん、この2曲こそが歌謡ポップスの源流のひとつだとしたら、中島安敏と沢村みつ子=沢村美司子の兄妹が共に作り出した音源は全て、きっちり復刻されるべきでしょう。

と念じていたら、2年ほど前に「沢村みつ子スーパーべスト( SUPER FUJI DISCS)」という2枚組CDが発売され、一応日本コロムビア時代の音源が未発表と云われるトラックまで入れて復刻されたのは朗報でしたが、出来ればポリドール時代の音源も出して欲しいものです。

ということで、ちょいと最後に不満も書いてしまいましたが、とにかく沢村みつ子=沢村美司子に興味を抱かれた皆様であれば、前述のCDは速攻でゲットされる事を強くオススメする次第です。

歌謡曲の間口って、本当に広いですねぇ~~~♪


週末の混乱も結果オ~ライは、これでっ!

2022-08-12 17:17:27 | 日本のロック

夢見るシェルター人形 / ジューシィ・フルーツ (BLOW UP / 日本コロムビア)

連日の混濁した世相の週末故に、思い出してしまったのが筒井康隆が1970年代に発表した短篇小説「ウィークエンド・シャッフル」、さらにそれを原作として、1982年に制作された同名映画でありました。

もちろん、内容は共々にスラップスティックでカオスに満ち満ちた世界が描かれているんですが、サイケおやじは筒井康隆の著作は学生時代にジャズ喫茶の「お供」として、それなりに読んでいた事もあり、その中でも映像化が相当に賛否両論になるであろうと思っていた作品が、なんとっ!

成人映画の名匠・中村幻児監督が自ら脚本にも関わって撮るというのですから、これには公開前から、なかなかワクワクさせられていましたですねぇ~~ (^^)

また、出演者の顔ぶれが秋吉久美子、伊武雅刀、泉谷しげる、美保純、池波志乃、風間舞子、秋川リサ等々、如何にもの面々だった事にも、不安と期待がミックスされまくり!?

そして案の定、公開された映画「ウィークエンド・シャッフル(ジョイパック)」は、一応は一般映画という扱いではありましたが、日常ありがちな土曜日の安寧が、子供の誘拐と強盗犯の出現から、強姦や発狂、虐待や狂乱、加えて諸々の不条理と捻じれた正義や真っ当な悪徳……、等々が次々に積み重なっていく映像演出の連続で、しかも撮影技法が客観的な長回し、あるいは被写界深度の浅いボカシ等々を用いながら、ある局面ではエグ味の強いアップの描写という、如何にもピンク映画の趣が濃厚!?

ちなみに配給会社の「ジョイパック」とは成人映画でお馴染みの「ミリオンフィルム」と同じルーツを持っているので、さもありなんでしょうか (^^♪

また、劇伴がフリージャズの人気者だった山下洋輔というのも、これしか無いという人選だったと思いましたですねぇ~~♪

しかし、映画そのものは全くの支離滅裂であり、その破天荒な流れは収拾不可!?

だからこそ、キャストの人格描写が秀逸に感じられるという結果オ~ライぶりは出色で、特に泉谷しげるの気持ちの悪さは絶品ですよっ!

サイケおやじは、それを観られただけで、ちょっぴりですが、納得して満足した気分になりました (^^;

そして圧巻だったと思うのは、散々ゴタゴタした最後の最後のラストテーマに流れ出す、本日掲載のシングル盤A面曲でして、それがジューシィ・フルーツの演じる「夢見るシェルター人形」という、ドシャメシャな反戦ロック!?!

あぁ……、その正体(?)はセルジュ・ゲンスブールが作詞作曲し、フランス・ギャルが歌って大ヒットした「夢見るシャンソン人形」の替え歌カバーであり、今回の日本語詞を担当したのは、ちあき哲也!

そしてポップでハードロックテクノなアレンジは戸田誠司とジューシィ・フルーツの共同作業とクレジットされいるあたりが、満願成就の仕上がりに繋がったと思うばかり (^^♪

いゃ~、これはカバーバージョンとしては、トゥインクルのモッズな仕様と双璧に好きですよ

ちなみにジューシィ・フルーツは近田春夫のバックバンドが独立する形で昭和55(1980)年頃にデビューした4人組で、メンバーは元ガールズのイリア=奥野敦子(vo,g)、柴矢俊彦(g,vo)、沖山優司(b,vo)、高木利夫(vo,ds) という面々がキッチュでテクノな歌謡ロックを演じ、幾つかのシングルヒットを飛ばした業績は説明不要でしょう。

それは、一座のスタアであったイリアのロリポップな歌いっぷりと軽薄さを意図的(?)に優先させたアレンジと演奏スタイルがあればこそ、相当に辛辣で意地悪な歌詞の世界でさえも、お茶の間に浸透させてしまった実力は高く評価されるべきであり、だからこそ、この残酷な「夢見るシェルター人形」をやらかしても、全く違和感はありませんし、つまりは吐き気がしそうな映像描写さえ連なっている映画「ウィークエンド・シャッフル」のラストにはジャストミートじゃ~あぁ~りませんかぁ~~~♪

ということで、件の「ウィークエンド・シャッフル」は現在、堂々とパッケージソフト化されていますので、気になる皆様は騙されたと思ってとは申しませんが、一度ぐらいは鑑賞しても、人生の汚点にはならないと思っております (^^;

う~ん、それにしても、ここまで欺瞞と混乱に満ちた現在でさえ、もうこんな映画は作れないだろうなぁ~~?

そんなこんなを思ってしまうのは、なんだか情けない気分であり、だからこそ、ジューシィ・フルーツの「夢見るシェルター人形」が愛おしいのでした (^^♪


強欲婆々にエレキの洗礼

2022-01-14 19:21:47 | 日本のロック

キャリア・ウーマン・ブルース / 水谷ミミ (ワーナーパイオニア)

今日も強欲な女経営者に苦しめられたんですが、実は……、この人とは長~い付き合いで、初めて一緒に仕事をやった昭和54(1979)年には既に、バリバリのキャリアウーマン!?

サイケおやじは、もう……、彼女の激しさ(?)に終始圧倒されっぱなしだった実状が、今に至るも弱気の虫のトラウマなんでしょうか…… (-_-;

ですから、そんなこんなの苦界にあった頃から耳に焼き付いてしまったのが、本日掲載のシングル盤B面曲、水谷ミミが渾身の「キャリア・ウーマン・ブルース」でありました。

なにしろ、これが世に出た昭和54(1979)年初夏には珍しいほどの純正(?)エレキ歌謡でして、伊藤秀志が作詞作曲した主題を徹底的にエレキで彩ったのが小谷充なんですから、とにかく皆様には、一聴して仰天していただきたいと願うばかり (^^♪

あぁ~~、このアップテンポのエレキ節は、完全に日本のロックならではの魅力でしょうねぇ~~♪

もちろん、歌詞の内容はキャリアウーマン=強い女性という偶像崇拝を逆手に笑い飛ばした、所謂コミックソングではありますが、これを果たして件の女経営者が耳にした事があったか……、否か?

サイケおやじとしては、この楽曲で思いっきりエレキを弾きまくりたい衝動が本日も、抑えられないところまで……!?

ちなみに歌っている水谷ミミは名古屋方面で活躍していたローカルタレントらしいんですが、しぶとい感じと可愛らしさの両面を持ち合わせた雰囲気は、ちょっぴりですが、以前にテレビで接しただけでも伝わって来るものがありましたですよ (^^)

ということで、本日は所謂「B面押し」ではありますが、こ~ゆ~コミックソングにはエレキ歌謡サウンドがジャストミートしているという真実に触れていただければ、幸いでございます。

まあ、それ自体がパロディと断じられれば、それまでなんですが、ひとつよろしくお願いいたします <(_ _)>


ちょっぴりでも光明だったピンナップス

2021-09-04 16:58:18 | 日本のロック

抱きしめてBABY / ピンナップス (invitation / ビクター)


 
基本的にパンク~ニューウェイブはNGのサイケおやじではありますが、もちろん、その全てを否定するものではありません。

なぁ~んていう、聊か居直った言い訳を弄したところで本日ご紹介するのは、昭和56(1981)年にメジャーデビューしたピンナップスが2nd シングルのA面曲として出した「抱きしめてBABY」です。

ちなみにサイケおやじが抱いている「ニューウェイブ」という音楽ジャンルは、エルヴィス・プレスリーやビートルズによって世界中の文化を変革させた「ロック」が、あらゆる音楽様式を取り込みながら肥大化し、それが一回りして後にスタートした温故知新の白人音楽というイメージですから、ちょいと先日も触れましたXTCあたりがやっていたモダンポップなスタイルが象徴的なところと思っているもんですから、ここに掲載したジャケ写のキッチュな感覚は、それだけでジャストミート!?

そして肝心の「抱きしめてBABY」は、オールディズ歌謡にバブルガム風味を塗した楽しいポップロックなんですねぇ~~♪

そこで制作クレジットを確認すると作詞作曲はピンナップス、そしてアレンジには近田春夫が参画しているというのですから、さもありなん?

と言うのも、近田春夫はGSブーム末期にプロ活動をスタートさせたキーボード奏者で、ロック・パイロットやクニ河内のバンド等々の他に歌謡曲やアイドルシンガーのバックバンドで稼ぎながら、ハルヲフォンと名乗る自己のグループもやっていたんですから、芸能界の酸いも甘いも知り尽くしていた異才?

なんでしょうが、平たく言えば、業界の裏方的な仕事も普通にやれていたのでしょう、あのジューシィ・フルーツを誕生・ブレイクさせたのも、近田春夫の功績が大きかったと云われています。

で、このピンナップスなんですが、メンバーは野元貴子(vo)、江蔵浩一(g)、堀井隆之(b)、今井智(ds) という4人組で、野元貴子にはリタと名乗ってガールズに参加していた履歴がありますから、それなりに最初っから固定のファンが付いていたのかもしれませんが、それはそれとして、音楽的には当時人気が高かったデボラ・ハリーとブロンディの路線を狙っていたと思うんですが、いかがなものでしょう。

実際、ライブステージではモータウン系のヒット曲に日本語歌詞を乗せた様な替歌洋楽(?)をガレージロックなサウンドでやっていましたからねぇ~~、この「抱きしめてBABY」の強いビート感には、思わず納得させられてしまいます。

しかし、残念ながらピンナップスは大きなブレイクもないままにフェードアウトしてしまったというか、確か翌年には近田春夫と野元貴子が新バンドを結成したという記憶もありますし、本家(?)ブロンディにしても、同じ頃に解散してしまった事も、なんらかの影響があったのかもしれません。

それでもピンナップスとして残した2枚のLPは、アメコミ風のジャケットデザインが今も人気のアイテムであり、収録楽曲も楽しさ優先のトラックばかりなので、再評価を望みたいバンドのひとつであります。

ということで、有名な歌のセリフになっちまいますが、古い奴こそ、新しいものを欲しがるもんでございます、とはサイケおやじの極めて片隅の心情吐露であり、だからこそ、鼻白んでいたパンク~ニューウェイブの音楽的流れの中に、ひとつの光明を見つけたいと願っていたのは偽りのない本音でありました。

そしてピンナップスは、そ~した気分のサイケおやじには、ホッとさせられたバンドだったのです。

もちろん、失礼ながら、毎日とか、何時も聴きたいバンドではありませんが、たまぁ~~に耳にすると、我知らず浮かれた気分にさせられるのが、ピンナップスの「抱きしめてBABY」というわけです。


ガリバーズは、やっぱりイイですねぇ~♪

2021-08-10 17:11:12 | 日本のロック

赤毛のメリー c/w ダークな瞳 / ザ・ガリバーズ (東芝)

昭和40年代前半に社会現象ともなったGSブーム期には、それゆえに様々な伝説や逸話を残したバンドが有象無象登場しましたが、昭和43(1968)年夏に本日掲載のシングル盤を出してレコードデビューしたガリバーズも、なかなか忘れられない存在です。

それは多瀬正隆(vo)、中村保雄(g)、小柴英樹(g)、平田利男(key)、北久保誠(b)、高橋利昭(ds) というメンバーが当時公表されていた年齢では、16~20歳と若く、それでいてパフォーマンスにド派手なプロっぽさを表現出来ていたというか、モンキーズを目標としていたというだけあって、時にはコミカルでありながら、演奏の纏まりも良く、サイケおやじは実際に見た事はなかったんですが、ステージライブで激した場合にはギターの破壊もやっていたと云われているんですねぇ~~!?!

ですから、ミュージックライフの人気投票ではGS部門で上位にランクされていた時期もあり、テレビや芸能誌への登場も多かったと記憶しています。

で、肝心の掲載盤なんですが、A面「赤毛のメリー」は作詞:橋本淳&作編曲:筒美京平という、このヒットメーカーコンビにとっては初期の作品になるんですが、ここで聴かれるロック性感度の高さは素晴らしく、アップテンポで炸裂するワウワウなギターとブルースロックなベース、シャキッとしたリズムギターとドラムスのコンビネーションもニクイばかりで、しかも中メロで一転して歌謡フォーク調のメロディ展開をやってしまうあたりが最高なんですねぇ~~♪

もしかしたら、レコーディングにはスタジオセッションのプレイヤーが助っ人に入っているのかもしれませんが、テレビで接した時でも同じ様なガレージっぽい音を出していた記憶がありますから、かなり実力派のバンドだったんじゃ~ないでしょうか。

それは同じソングライターコンビから提供されたB面「ダークな瞳」でも遺憾なく発揮され、まあ……、曲調としてはタイガースの「シーサイド・バウンド」の焼き直しっぽいところは否めませんが、すっきりとしたガレージ感覚は充分にロックしていると思います ♪♪~♪

ところが、ここまで完成度の高いレコードを出したガリバーズは以降、鳴かず飛ばずというか、新曲が出ないどころか、テレビ出演も激減……!?

後に知ったところでは、バンド側と所属事務所の間で意見の相違が拗れていたとか、レコーディング済の楽曲の権利関係諸々の問題とか、あれやこれやからメンバーチェンジや所属事務所からの独立があったそうで、なかなか現実は厳しかったんですねぇ……。

一説によると、ガリバーズには未発表の音源が相当残されているらしく、もしかしたら、既に纏められて流通しているのかもしれませんが、気になる皆様は、とにかく唯一公式に残された掲載盤だけでも、お楽しみくださいませ。

ちなみに以前、GS関連の懐かし系イベントにガリバーズが登場するという話を耳にした事がありましたが、サイケおやじとしては、もう一度だけでも見たいバンドのひとつが、ガリバーズであります。

ということで、何故に本日はガリバーズなのかと問われれば、実は昨日会った某外国人女性が見事(?)な赤毛だったからでして、この「赤毛のメリー」を瞬時に思い出したというだけの話なんですよ (^^ゞ

でも、久々に取り出して聴いてみたら、やっぱりイイんですねぇ~~、これがっ!

やっぱり日本のロックの全盛期はGSブームの頃だったという自説を再認識しているのでした (^^ゞ


大友裕子のロック魂は消えず

2021-06-18 20:10:24 | 日本のロック

フォービートで愛して c/w ワン・ウェイ・ストリート / 大友裕子 (東芝)

掲載したのは大友裕子がリアルタイムでの活動も末期だった昭和57(1982)年春に出したシングル盤なんですが、このジャケ写の雰囲気、そしてA面曲タイトルに「フォービート」なぁ~んて言葉が使われているところからして、ついに彼女も時代にアクセスしたAORシンガーに転身したのか……?

なぁ~んていう心配はご無用っ!

きっちりっ! ロックシンガーとしての矜持を体現した歌を聴かせてくれるんですよっ!

それは作詞:湯川れい子&作編曲:松任谷正隆から提供のA面曲「フォービートで愛して」が、イントロからエレピとギターの忍び泣きに重いビートのドラムスにノセられてしまうミディアムテンポの歌謡ロックに仕上がっておりまして、当然ながら大友裕子のハートウォームな節回しはニクイばかり (^^♪

結果論ではありますが、初期の頃のエグ味が抑えられつつも逆にクールが熱いという大人の女の魅力が滲み出ているあたりは、サイケおやじのツボを直撃ですよ (^^♪

そして、その意味で尚更に好きなのが作詞:湯川れい子&作編曲:新川博から提供のB面曲「ワン・ウェイ・ストリート」で、これがアンプグドなブルース歌謡の趣も強い、ちょいとボニー・レイット風の歌謡ロックなんですから、サイケおやじとしては、もちろんと言えばお叱りは覚悟で、こっちが好きなんですよ、このシングル盤に関してはねぇ~~ (^^♪

ちなみにプロデュースは松任谷正隆とされていますから、確かに両面2曲共に都会的なフィーリングと粗野なロック風味がバランス良く配合された人気レコードになってもイイはずだったんですが……。

そして大友裕子は以前にも述べたとおり、同年秋に傑作「ボヘミアン」のオリジナルバージョンを出した直後に結婚から引退の道を選ばれたのですから、ファンとしては彼女の決断を静かに受け入れるのが冥利というものでありましょう。

ということで、歌謡ロックも時代の流れでAOR化していったのは歴史ではありますが、それを演じる主役に強い芯があれば、ロック魂は消えず!

そんなふうに思い込んでいるサイケおやじは、やっぱり古い体質を自覚してしまうのでした (^^;


勿体ないぜっ! 一色ゆかり! 

2021-02-28 19:28:25 | 日本のロック

ギャンブラー / 一色ゆかり (Zen / ビクター)

女にロックは出来ねぇ~!

なぁ~んていう陳腐なセリフは今や昔というよりも、既に昭和40年代から数多のレディスロッカーが登場して来た中にあって、サイケおやじが密かに注目していたのが、昭和56(1981)年に本日掲載のシングル盤を出して公式デビューしたとされる一色ゆかりでした。

というのも、実は彼女も所謂ヤマハ系のミュージシャンで、前年に開催されたヤマハのバンドコンテスト「イースト・ウエスト」の決勝大会に出場したほどの有望株でして、サイケおやじは残念ながら、この時のステージには接する事は叶いませんでしたが、音源だけを知り合いから入手して聴いていた中にあって、名前は知る由も無かったんですが、なかなかロックしているボーカリストに耳を奪われ、それが皆様ご推察のとおり、一色ゆかりとしてデビューする事になる彼女でありました。

ど~です、ジャケ写ポートレートの彼女はルックスもロックぽく、イケてるでしょう♪♪~♪

そして肝心の収録A面曲「ギャンブラー」は、作詞:長戸秀介&作曲:長戸大幸が提供した、これがツッパリ歌謡のハードロック的展開であり、笹路正徳のアレンジによってアイドル歌謡メタルの先駆けとも云えそうなムードも溢しているんですが、だからこそ一色ゆかりの芯の強い、ガッツ溢れるボーカルが全開し、何よりも前ノリっぽい姿勢は高得点なんですねぇ~~♪

ところがレコードとして仕上がったサウンドが個人的には全くのマイナス要因で、ボーカルは強く前に出ているのに、演奏パートが薄っぺらに引っ込んだミックスにされていますし、失礼なながら、曲メロに魅力的なフックが足りず……。

つまりは一緒に盛り上がれない様な感じでは、大ヒットするはずもありません (~_~;)

いゃ~~、本当に勿体ないかぎりだったと思います。

そんな所為もあったのでしょうか、その頃のテレビの仕事としてはバラエティのアシスタントとか、キュートなルックスがあればこその存在感ばかりが印象に残っているのは、せつないところです。

また、レコードの制作発売に関しても中途半端なアニメの主題歌みたいな楽曲とか、ライブギグにしても、それほど一般的な話題性は無かった様で、噂では何時しか声優の仕事へ入ってしまったとか?

う~ん、現実の厳しさは芸能界の常ではありますが、一色ゆかりには、もっとメジャーな活躍をして欲しかったと思っています。

ということで、実はサイケおやじは彼女について、デビュー前後の事柄しか知りませんので、昭和末期~平成、そして令和の今日、活動状況は如何に?

そんなことなを思わずにはいられないのでした。


新年は紋付羽織とエレキでGo!

2021-01-01 19:35:49 | 日本のロック

津軽じょんがら節 c/w 黒田節 / 寺内タケシとブルー・ジーンズ (キングレコード)

あけましておめでとうございます♪

昨年来、すっかり世相は様変わりし、本日のお正月と云えども、めでたさも中位ではありますが、それでも新しい年の始まりですからねぇ~~、パァ~~っと派手にっ!

ということで、勇んで(?)鳴らしたのが本日のシングル盤でして、もちろん中身は説明不要、寺内タケシが渾身のエレキ魂を日本民謡に注入した名演であり、個人的には聊か後付けなんですが、こ~ゆ~温故知新の和洋折衷こそが、世の中の進歩させる最良の手段かと思っております。

つまり急進的な思想には若者が飛付き易い反面、保守的な者は取残され、殊更齢を重ねている立場であれば鼻白む事も珍しくありませんからねぇ……。

その典型が往年のエレキブームだった箏は言わずもがな、その最中に第一人者だった寺内タケシが身を以って示した正解が昭和41(1966)年に出した掲載のシングル盤であり、この収録両面2曲が収められているLP「レッツ・ゴー・エレキ節」でありました♪♪~♪

いゃ~~、聴くほどに、おめでたい気分が沸き上がってきますねぇ~~♪

ということで、触発されたのでしょう、以前は時折に着ていた紋付きの和服まで取り出してしまいました(^^♪

明日は、ど~しても外せないところへ年始に出掛ける予定があり、時節柄、玄関先での挨拶だけで退去するつもりですから、せめて服装だけでも、心意気を見せたいという思惑なんですが (^^;)

今年も多難は覚悟せねばならない状況ではありますが、温故知新を心していく所存であります。

皆様、よろしくお願い致します <(_ _)>


これが日本のロックの原点回帰

2020-11-19 19:21:43 | 日本のロック

■GS / DOWN TOWN BOOGIE WOOGIE BAND (東芝)

  A-1 フリフリ
  A-2 好きさ 好きさ 好きさ
  A-3 君に会いたい
  A-4 長い髪の少女
  A-5 ノーノーボーイ
  A-6 おかあさん
  A-7 想い出の渚
  A-8 青い瞳
  B-1 シーサイドバウンド
  B-2 神様お願い
  B-3 スワンの涙
  B-4 小さなスナック
  B-5 恋はもうたくさん
  B-6 白いサンゴ礁
  B-7 ブルーシャトウ
  B-8 Yesterday's Yesterday

我が国で一番熱くロックが盛り上がっていたのは昭和40年代前半、西暦に置き換えれば、1965年からの4年ほどで、つまりはグループ・サウンズ=GSと称されたロックバンド形態のグループが洋楽のカバーと日本語歌詞によるオリジナル曲をゴッタ煮で演奏披露していた時期でありましょう。

もちろん、そこから影響された音楽性を前面に出したソロシンガーやコーラスグループも次々に登場し、ですから、昭和40年代後半に殊更無理強い的に議論されていた「日本語のロック]なぁ~んていう難題にしても、全ては件のGSに収斂するのでは?

というのが、サイケおやじの偽りない本音です。

そんなわけですから、学生時代に入れてもらっていたバンドのリアルな実演現場が夏場のビアガーデンや年末のダンパ等々だった所為で、往年のGSやエレキインスト、そしてエレキ歌謡を演じる事に対しては何らの抵抗感も無く、むしろ嬉々としていたんですが、それに納得出来ずにバンドを去ってしまう先輩諸氏の気持ちも分からないではありません。

その頃は歌謡フォークの大ブームから、アマチュアであっても自作自演が出来なければ、所詮ハコバン!

なぁ~んていう風潮が当たり前になっていて、まだまだ数が少なかったライブハウスのオーディションにしても、カバーよりはオリジナルをメインにやれるバンドやグループに需要が高まっていたもんですから、サイケおやじが入れてもらっていたバンドがカバーに拘っていたというか、現実的には、そっちの方がバイトであるにせよ、お金を貰える演奏の場があった事も大きいのです。

第一、これはサイケおやじばっかりじゃ~なかったと思うんですが、つまんないオリジナル曲を作って、ターヘな演奏を披露するよりは、しっかり有名曲のカバーをやっていた方が楽しいんですよっ!

しかし、それでも矜持らしきものは確かにあって、一応はアメリカンロックを標榜していたもんですから、往年のカバーをやるにしても、イーグルスやドゥービー・ブラザーズっぽい味は付加追及していたんですけどねぇ……。

さて、そこでGSのカバーをやる時、参考書的に大いにコピーさせてもらっていたのが、昭和51(1976)年にダウン・タウン・ブギウギ・バンド=DTBWBが出した本日掲載のLPで、スバリっ! 中身は「GS」のタイトルに偽り無しという有名GSヒットのカバー曲集なんですねぇ~~♪

それは上記した収録演目をご確認願えれば、皆様にも納得していただけるはずと思うばかりなんですが、ここでは宇崎竜童(vo,g)、和田静男(g,vo)、千野秀一(key,vo)、新井武士(b.vo)、相原誠(ds,vo) という当時のDTBWBに加えて、演目のオリジナルバージョンに関わっていた往年のGSスタアがゲストで登場しており、それがスパイダースの「フリフリ」では、かまやつひろし! またブルー・コメッツの「青い瞳」と「ブルーシャトウ」では井上忠夫(ts,fl)、ゴールデン・カップスの「長い髪の少女」ではデイブ平尾(vo)、ダイナマイツの「恋はもうたくさん」では瀬川洋(vo) という豪華版♪♪~♪

ちなみにレコードにクレジットされたデイブ平尾の担当が「dozo vocals」となっているのは言わずもがな!? オリジナルのシングルバージョンのリードを歌っていたのはマモル・マヌーで、デイブ平尾が演じていたのはサビのキメ「どぉぞぉ~~」っていう合いの手だった事に由来するはずと思うんですが、いかがなものでしょう。

いや~~、これが本家本元の魅力と申しましょうか、実にイイいですねぇ~~♪

このあたりの面白さは、DTBWBならではの歌謡ロックでは無い、ロック歌謡との対比でもあり、演目各々のオリジナルバージョンについては、一応リンクを拙ブログ内で入れておきましたので、よろしくお願い致します。

そしてアルバムのオーラスに置かれたのが、作詞:阿木燿子 &作曲:宇崎竜童が書いたGSへの渾身のトリビュートソング「Yesterday's Yesterday」で、歌詞の中には有名GSのグループ名がテンコ盛りに出て来るもんですから、それで泣くとか、泣かないとか言う以前に、偉大なる先輩達に対する深い敬意と感謝、そして愛情を感じてしまうのは、サイケおやじだけでしょうか。

ということで、コロナ禍の現況からすれば、今年は忘年会とかクリスマス会なんかは無理に決まっているとはいえ、実は流行り病が収束していたら、昔の仲間とバンドをやろうってな話が盛り上がっていたんですけどねぇ…… (>_<)

何時か、また、そんな機会が再燃する事を願いつつ、このアルバムを聴いているのでした。