■スター誕生 / ルー・フィン・チャウ (Casablanca / ポリスター)
あれやこれやと画策ばかりが先行し、全く平和の兆しも見えないイスラエル ~ パレスチナ、そしてウクライナ周辺の惨状は資本家連中の我欲の犠牲に他なりませんし、結局は当地の住民が生贄的な被害者という現実は悲しいばかり…… (>_<)
もちろん、人間社会は大昔から、そ~ゆ~歴史の上に成り立っていたとはいえ、そこから這い上がり、逃れんとした民衆のエネルギーこそが現在の繁栄に繋がっている事も決して忽せには出来ないでしょう。
さて、そこで思い出したのが本日の主役たるルー・フィン・チャウと名乗るアイドルシンガーで、彼女はベトナム戦争後に弾圧された中国系ベトナム人として、所謂「ボートピープル」と称された難民であり、最初に日本の支援を受けて来日した時は、相当に話題性が高かったと記憶しています。
というか、その時は確か、ベトナム戦争により生き別れになっていた母親との再会という感動の場面もありましたからっ!
そして彼女は日本に定住し、その生活の中でアグネス・チャンに勧められたという逸話もあるみたいですが、とにかくも芸能界入りを目指し、テレビオーディション番組「スター誕生(日本テレビ)」へ出場、見事にチャンピオンに輝き、デビューしたという立志伝(?)は、これまた公式デビュー時から大きく喧伝されておりました。
ただし、彼女は全くのトーシロではなく、父親はベトナムで様々な音楽ショウをプロデュースしていた業界人であり、そこに出演するダンサーが母親、そして彼女は子役として活動していたというのですから、芸能的な資質は満点であり、前述した「スター誕生」へのチャレンジ前後から、みっちりと芸能スクール等々で研鑽を重ねていた事が後に知れてみれば、さもありなん!?
そして昭和57(1982)年12月、いよいよ公式デビュー作となった本日掲載のシングル盤A面曲がプロデュース&作詞作曲:谷村新司、そして編曲:馬飼野康二による「スター誕生」というのも、なかなか念入りな企画でありました。
なにしろ当時はテレビ出演でも目立った扱いだったと思いますし、ジャケ写ポートレートの岩崎宏美っぽ面立ちを裏切らない彼女のアルトボイスによる落ち着いた歌唱力は流石の仕上がりだったんですが、曲調そのものが当時のアイドル業界においては、ちょっぴり「大人びた」感じであり、加えて彼女の歌唱力がジャストミートし過ぎた感が…… (^^;
う~ん、今聴いても、これは当時……、確か17歳だったと思われるルー・フィン・チャウにしても、既にしてAOR歌謡の領域なんですよねぇ~♪
そのあたりが早過ぎたという感想は今も変わりありませんが、話題性に比して、大きなブレイクに届かなかったのは勿体ないんじゃ~なかろうかと…… (^^;
しかし、彼女には翌年に発売する2作目のシングル曲「愛を届けて」という名曲名唱、さらに決定的な名作アルバム「スター誕生」を残しているだけでも、決して忘れられない存在と思っております。
そして毎度のお願いではありますが、現在であればこそ、ルー・フィン・チャウが日本で残してくれた音源の集成復刻を強く希望するところです。
ということで、平穏な生活こそが何よりも大切な事は皆が分かっていながら、それを蔑ろにせねばならないところに人の世の哀しさ、難しさがあるのでしょうか……。
そんな世の中なればこそ、見つめるものは十人十色と思うばかりです。
あぁ……、それにしても今日の冷たい雨は……。