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日本サッカー希望の星とザック監督など(44)サッカー評論の好い加減さ 文科系

2011年02月18日 13時51分10秒 | スポーツ
ザックの評価について、あるところにこういう文章を書いた。
【 ザックジャパンのアジアカップ総括に関わっていろんなコラム、評論などを読んだが、サッカージャーナリストってまー随分勝手なことを書くモノだというのが第一印象である。どんな物事を論ずるのでも多くの側面があり、それらが絡み合って「あー言えばこー反論」と難しいモノであることは確かだが、「話を始める視点を先ず正しく据える」ということが実にいー加減なのである。僭越ながら、ザックについて何を語る前にも先ずこれだけは出発点としてという、その例を示してみたい。以下の点に先ず触れずには、何を語っても正しいザック評価にはならないはずだと考える。
1 就任以来無敗である。その相手も、韓国2回、アルゼンチン、オーストラリアと、ガルフカップ優勝者などが入った強敵揃いだった。
2 なぜ1が起こったかと言えば、従来の代表よりも得点力が増えたことが第一の原因であるのは明らかだ。これは岡田ジャパンも含めて、日本の最大の課題であり続けてきたことだ。だから、逆転、スリルなど、見ていて楽しいゲームをするようにもなってきたと言える。
3 従来より失点が多いのをあげつらう論があるが、サッカーとは失点を恐れすぎたら得点も減るゲームであって、かつ「得点が失点より1点多ければ勝つ」ものだ。これはザックも常に強調してきたこと。マイナス思考ゆえにゴール前で縮こまってしまう日本人には、こういうプラス思考の方がよほど合っているのではないか。
 なお、以上の2と3はザックが全て意識して選手に植え付けようとして、見事果たしてきたことであるというのが、大事な点だと思う 】

 さて、以上のような批判は、多くの評論に当てはまると思う。欧州サッカー贔屓には、イタリアでけっして成功したとは言えないザックを素直に評価せず「今に失敗するだろう」まがいの変な「期待感」まで滲ませている感じの人もいる。ちょっと前金子達仁が、同じゲームについて「結果こそ大事」と「結果はどうでも良い」と2様の文章を書いて顰蹙を買った。私見を言えば、スポーツ評論ではこれもありなのである。が、以下の様な評論は論外だと思う。ゲーム総括で、監督や選手の総括の言葉を聞きもしないで書いていることもよく見られるし、ポゼションとかシュート数とかの数字も余り出てこないから、随分勝手に、一面的視点から書いているというのがほとんどではないか。スポーツ評論のはずがいつのまにか、面白くもない「関連エピソード随筆」に転化しているのを見ることもあるが、気楽な売文商売だなという気さえしてくる。
 以上全てにサッカー評論は難しいということが関わっていよう。何よりも、論理性がいるし、矛盾する諸側面を統一的に、できるだけ全体を見なければならないからもっと難しいということもある。例えば「得点を狙い攻勢的に出れば失点も増える」し、南ア大会パラグァイ戦のように「同じレギュラーでも守備重視に傾けばたちどころに点が入らなくなる」。反面、「攻撃は最大の防御なり」という側面もあったりするからまた、難しい。事ほど左様に「あー言えば、こう反論」と、一つだけの命題や視点からゲームを見たら必ず反論が出てくるし、多分その反論にも正しい側面もあるのだから、難しい。
 こんな難しい世界で、新聞のサッカー担当記者はどんどん入れ替わっていくという。強くなってまだまだ間もない日本サッカ-、評論の質が上がらないわけだ。大マスコミが、サッカー人気は上がらなくとも良いと思っているフシもあるから、なおさら話がややこしくなる。いつも言うように、大マスコミはことスポーツに関しては野球互助会である。さらに、国民のごく少数がやっているだけのスポーツでも、視聴率を稼ぐ人物を生み出せればよいとしているのは明らかだ。こうして、マスコミには国民皆スポーツとか、生涯スポーツとかいう考え方はないらしい。国民皆スポーツの思想が広まらないと、実際にスポーツをする人口が減っていって、プロを目指すような少数の選手だけが残り、長い目で見れば結局、マスコミスポーツも人気が無くなっていくのではないか。相撲人気の陰りも、やる人々が少なくなって若い人が観なくなったという側面があるはずである。

 矛盾する2側面にいつも気を配るなど、広く浅くでもゲームの全面を見ている評論を良しとすることにしている。野球のようにボールだけを追いかけているサッカー観戦が大事なことが見えないのと同じ理屈で。もちろん、観ていて楽しければよいという考えも当然ありえようが、僕はサッカーをより深く理解したいと思っている。これを、世界最大の、ダントツメジャー・スポーツ文化だと観ているから、広く世界の人々と共感しあえるような気もするのである。次回ワールドカップ・ブラジル大会前に日本が世界10位突入(2月現在は世界206カ国、地域中で、17位)などと期待するから、こういう楽しみがさらに増しているこのごろだ。

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金は天下の回りもの     らくせき

2011年02月18日 10時26分15秒 | Weblog
オバマさんがアメリカの経営者に、国内に投資をしてほしいと訴えた。

菅さんは法人税を5%もオマケします、という。
この時、雇用も考えてほしいと言ったが、
経営者たちは、そんな約束はできないとツレナイ返事。

卒業する大学生のために就職口をひろげて欲しいとも。
でも色よい返事は聞えてこない。

同じ民主党を名乗っても、迫力に圧倒的な違い。

オバマさんは、金を国内に回せ、と言っている。
利益があがったら、国内にも投資して、ということ。
菅さんなど、プレゼントをしてお願いしても、全然聞く耳もたぬ相手。
大体、格下に見られている。

日本は資源のない国。材料を輸入して、国内で加工、製品を輸出して
お金を稼ぐ。
この方程式でやってきた。

輸出最優先。競争力が落ちたら、どうする!という恫喝に弱い。
私も、子供のころから、そう教えられてきたから
5%のプレゼントも仕方にないか・・・と思っていた。

ところが、輸出最優先は豊かになった国に採用する国策ではない、という。

東京大学の松原隆一郎さん。

グローバル経済のなか、競争力を上げろ、というのはオカシイという。
変動相場制の現在、日本の競争力があがれば、
円高になって、自動的にハンディ・キャップが与えられるという。
(競争力をあげて利益を得るのは、固定相場の場合。
現在の中国のように実質的に固定相場であれば、競争力を
高めることが良いのか?)

現在、トヨタなど日本の輸出企業は、グローバル化のなかで生き残るために、
雇用を切り、給料をあげずに、利益をあげている。
それが、円高となって自分の首を絞める結果となる。

アメリカの金利が高かった時、輸出産業は儲けたお金をどうしていたのか?
米国の国債に投資していた。
今は、どこへ投資してるのか?ブラジルや南米かな・・・

問題は、お金が日本に投資されなかったこと。
菅さんは、日本国の総理として、国内への投資を訴える力があるはず。
日本国のため投資するなら、法人税も下げても良い。
つまり国の政策として法人税の減税をする意味があり、
多くの国民の賛成が得られるはず。

目先の自己の利益のみを考えて行動している輸出企業に、
国として便宜を図るのは確かにオカシイ。

加工して輸出しないと国は成長しない、
だから輸出産業を保護して当然、という思い込みは
もう時代遅れだ、というのが松原さんの主張。

これは目からウロコでした。

先進国の公平な経済政策は、どうあるべきか?
TTPなども輸出産業の利益を優先するためのもの。
金は天下の回りもの。
それが偏った流れをしているのが今の日本らしい。
どうしたら隅々まで、健康的に流れるようになるのか?
一旦、立ち止まって考えてみよう。

金は天下の回りモノ、といって、人間が中心なら良いが
現在では、金という絶対的な力を持った『神』が世界制覇を狙っている。

金の前での平等・公平といった価値観が最優先されているのがTTPみたい。

ローカルの神々は絶滅するのだろうか?

河村さんの『税金を払っている人が苦労して、
税金を使っている人が楽をするのはオカシイ』という主張。
これも金の神の神託かも・・・




コメント (2)
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