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僕の日本人論(拙稿の再掲です)   文科系  

2014年02月04日 14時01分51秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 以下は過去ログから取った物。日本人論として自分でもまーなんとか読めるものと見ている。近代民主主義生成の歴史と哲学を否定するような思想潮流が生まれているように思う昨今、ご笑覧頂ければ幸いだ。確か、2度目の再掲になるはずだ。
 
【 「昭和くさい」に因んで  2010年1月15日 
 
 即席の日本人論と昭和人論を一つ。まず歴史的背景について分かりやすいように、歴史順に箇条書きにしてみましょう。
①織豊時代、戦国時代に、日本の経済力が凄まじく伸びた。
②その力が、徳川の安定期に入って鎖国もあったりして、ほぼ「国内消費」にだけ使われた。回船など国内流通、商業もおおいに発展して、100年もたたないうちに、大都市などでは元禄の町人文化という形で、庶民文化も先進国相当の発展に達した。日本人が1日2食から3食にかわったのも、このころだと聞く。基本的に「生産と消費の国内好循環」は徳川末期まで波はあっても続いていたのではないだろうか。この、アジア有数の力が、明治維新でいわゆる近代化が達成されていく原動力になっていったのだと思う。
③明治維新は一種の革命だったと僕は思う。下級武士により旧来身分制度(の固定化)が崩れ、できる庶民が、あの時代のアジアとしたら差別少なく登用された。こういう民主主義の一例が、例えば学校制度にある。庶民登用型学校制度という側面のことである。全国に女子と男子二つずつの高等師範学校が、西と東に設けられた。男子は広島と東京、女子は奈良と東京に。この四つは一般帝大よりはるかに難しく、それだけ教師が大切にされていたということだろう。ここには何の身分、家柄はなくとも成績がすごくよい人(今の超難関医学部ほどか?)なら、多少のお金があれば(一般帝大平均よりも貧乏な人でも)入れた。逆に金があっても、家柄がいくら良くても、成績が満たなければ入れなかった。ここを出た人々が、日本教育界の指導者としてそれぞれ東と西の全国に派遣されたから、こういう「立身出世流儀(教育)」が全国に広まっていった。明治、大正時代の世界でもずば抜けた識字率向上は日本人の民主主義的教育水準の高さを示していると思う。
④そして、敗戦である。廃墟からの再建熱と「民主主義的出世流儀」・学校制度のゆえに、60年代まで庶民の教育熱がどんどん広がっていく。この60~80年代ほど大学就学率が高まった国はこのころまでの世界ではちょっと希なのではないか。この平均的教育水準の高さという点は、英仏など過去の先進国からも驚かれている所だ。
 ただしその教育が目指すモノが、戦前とはちょっと変わった。戦前の旧制高校は「弊衣破帽」「末は博士か大臣か」に象徴されようが、戦後は「博士、大臣よりも『大企業の社長』に」というように。つまり、仕事内容よりも金が大事な社会になったのだろう。
 以上が、昭和人なのだと思う。

 以上のマイナスの負の部分、側面にも触れねばならないだろう。相当民主主義的で、世界の時代にも合った?ものだったとは言え、基本的に上からの改革であったということだ。各界の戦略、つまり長期的・全体的な方針は「上から下りてきた」ということである。組織、団体の上に上るほど戦略に絡めるが、そういうのはごく少数の人だったし、封建的身分制度の残りかすもあったりして、民主主義の全体的定着は近代化の進展に比べれば非常に弱かったということである。例えばこういうように。
 明治、大正の日本近代文学の最大テーマは、近代的自我であった。村の身分、家柄、本家分家、男女差などなどに押しつぶされる個人の苦しみを描いたものだったということだ。

 よって昭和人の特徴は
①平均的に世界1と言って良い働き者で、仕事上気も利いて、働きの質も高い。
②上に従い、競争を好む。上の顔色を見ながら、組織人として多分世界でもトップクラスの有能さを示す。ただし、「専門」と「組織」以外には弱い。
③過労死、ノイローゼ・鬱病、自殺の多さなどは、以上の結果でもあるのだろう。以上の反面として、「社会性という習慣、心をも含んだ広い意味での人間関係」に極端に敏感なところがあるということではないか。非民主的な公私混同習慣なども、そうさせているのだろうが。
④趣味、文化活動は大いに必要だと思っているが、若い頃にその養いが少ないので、趣味とか、ましてや相当の知識人でも「文化」とかいうようにはなりにくい。戦前までの伝統文化が欧米文化移入によって途切れてしまった事も関係していよう。
 廃墟育ちでもあり、味覚、聴覚、視覚など五感の養いが少なかったからでもあるのだろうが、「好き」ということが弱いと思う。音、形・色、味、運動感覚など(の芸術・文化)というものは好きでなければ極めようもない。飯は掻き込むモノ、古い家は壊して新しくするのがよいという具合である。文化への尊敬、その鑑賞者は結構多いと思うが、アマチュア創造者が少ないのではないか。
⑤その教養・精神は、便宜主義で、哲学がない。あっても、また相当の知識人でも、便宜主義の哲学、生き方ノウハウ論の延長程度である事が多い。物事を突き詰めて考えず、習慣的にだけ反応し、考えてきたのだと思う。常識の範囲から出ることが少ないということだろう。③④が関係しているのではないだろうか。

 以上と、後の人々、例えば平成成人組などとを比べなければ、昭和人論としてはまだ不十分だろう。
 ①の現在は、「平均的には」最も落ちてきていると思う。②は、①ほどではないがやはり平均的には落ちてきていると思う。③は一種もっと深刻になっている。④はオタクというのも含めて、大事にされるようになってきた。ここが、後の人々が昭和人と最も違う「豊か」なところではないか。お祭り好きなど、「楽しい」がすきでもあるし。⑤は相変わらず弱い。日本知識人の最も弱いところだと思う。だからこそ③が整理できず、④がオタクになってしまうのではないか。

 昭和人受け継ぎ、この国の未来に関わる結論
 少子化の成熟国の子ども、人間は、親、先輩がその成熟を作ったよい所を受け継がず、悪いところを見ていて、反省、改善はするのだが、はてまっとうに改善できるのかどうかといったところ。それで成熟国は、古今東西常に衰えてきたのではないか。その「正しい民主主義度」のエネルギー、「格差固定」の排除があるか無いかによって、現状維持継続期間の長短はありながらも。ちなみに、イギリス、フランス、ドイツなど明治日本がその民主主義で模範にした国々も、今や新たな身分固定社会になり、発展の芽はなくなっているのではないか。これだけめまぐるしい世界、社会になれば、3代目が家をつぶすと言われることが国にも当てはまってくるようだ。
 ワスプなんて習慣があったアメリカだって超大国で100年ほど続いているが、移民と東欧没落がなければとっくに没落していたと思う。明治、大正生まれを祖父とすれば、現日本の中心は丁度3代目だし、移民は毛嫌いしている人がまだまだ多そうだ。】
 
 
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ザックジャパン(138) ザック続投!   文科系

2014年02月04日 11時41分05秒 | スポーツ

 スポーツ報知 2月1日(土)に、こんな記事があった。「ザック続投も、W杯8強以上なら18年まで長期政権」。僕にはとても嬉しいこと、お伝えしたい。

『 サッカー日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督(60)が、ブラジルW杯後も続投する可能性があることが31日、分かった。日本サッカー協会幹部は、W杯で史上最高となる8強以上の成績を残した場合に続投を要請することを明言。指揮官も「W杯後に退任すると日本協会に伝えた事実はない」と話しており、W杯の結果次第では異例の長期政権が実現する。
 4年後の18年ロシアW杯までザック・ジャパン体制が継続される可能性が浮上した。8強以上で続投要請か、という問いに日本協会幹部は「それは当たり前。監督がW杯後に退任するとは決まっていない」と明かした。

 98年フランスW杯を指揮した岡田武史監督が、地元開催で予選のない02年日韓大会までの続投を開幕前に要請されたことがあるが、外国人監督では初めて。これまでは結果にかかわらずW杯で一区切りとなることが慣例で、ザッケローニ監督への期待の高さがうかがえる。指揮官はイタリア代表の後任候補にもリストアップされているだけに、早めに信頼関係を強固にすることが得策。選手からの人望も厚く、続投に向けた障害はない。
 日本協会は次期代表監督に関して、日本代表がW杯で戦い終えた後に結果や内容を分析してから選考に入ることを決定済み。日本協会幹部も「W杯の結果というのは、普通の大会と違って今後の強化に大きな影響を及ぼす」と話した。過去最高となる8強以上の成績を残せば、まずザック監督に続投を要請する流れになる。

 指揮官も日本での生活を満喫している。イタリア紙には昨年9月に「私の契約はW杯の後に切れるが正直なところ、ここに残りたい」と告白。今年1月にも「W杯後に退任すると日本協会に伝えた事実はない」と続投希望を示唆している。好物のスシや刺し身のほか、最近ではトンカツ、しゃぶしゃぶ、お好み焼きにもトライ。ブラジルで結果を残せば“相思相愛”の関係がさらに4年間続く可能性が高まってきた』

 明日はもう一度、ウディネーゼ時代から監督ザックが上げてきた実績と人柄などを、改めて振り返ってみたい。旧稿の再掲になるが。海外ではよくあることらしいが、プロ選手経験がほとんどなくとも彗星のように現れてこういう実績を上げる監督が、現代の世界サッカー戦術を大きく変えた歴史的名監督アリゴ・サッキを初めとして多く存在するのである。よほど頭がよいのだろうが。経験主義だけのように見える日本スポーツ界にはめったに見られない光景だろう。

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