歴史のいつでもどこにも「世紀末」があったように思うが、今の世界、日本にもそれを感じてならない。 広辞苑を調べてみたら、こうあった。
「19世紀末のヨーロッパで、頽廃的・懐疑的・冷笑的な傾向や思想の現れた時期。また、そういう傾向、思潮の現れた或る社会の没落期」
ただ、こういう特徴は、世界や社会の上層部、支配層の相互作用からこうなってきたと見る方が良い。たいていの庶民はいつでもどこでも家族、隣人を大事にして、懸命に生きているはずだからだ。
世界の未来である若者の失業率は、スペインで50%、イタリアで40%と読んだ覚えがある。ギリシャ、ポルトガルなども同じようなものだろう。正職員がどんどん少なくなって、大きすぎる格差がさらに広がっていく社会、世界。大会社は国を捨て、税を払わぬ道を創り上げている。世界的大銀行はと言えば、空売りでもって中小国が汗水垂らして貯えたお金を、社会資本もろとも奪いさっていくのだ。加えるに、こんな流れ全てを正当化、強行させる学者、理論の跋扈。
創られた嘘の理由でイラク戦争が起こり、その関連死も含めると五十万人だかが亡くなられた。なのに、お膝元のアメリカでも、参戦したどの有志国でも、誰かが罰されたという話は聞いた事がない。嘘の理由で戦争を起こすって、国家、国旗などをコケにし、それにべったりと泥を塗る行為であるにもかかわらず、何の反省も見られないのである。さらにあろうことか、戦後処理のどさくさに紛れていつの間にかイラクがアメリカ資本の食糧世界基地へとまっしぐらという有様だ。
フクシマ事故とその大惨状は五十年に一度もないようなシロモノと見えるのに、誰も責められないばかりでなく、地震原因説の調査さえ継続されないこの不可思議、不条理。「犯罪」証拠を隠し続け、その隠滅さえ国家から許されているやの独占的大電力会社。
権力者の大罪が放置されれば、罪を隠すために罪が罪を呼ぶことになるのは必定。権力者たちが、罪に罪を重ね、嘘に嘘を積み重ねる世界、社会。これでは、正直者が馬鹿を見るだけでなく、正直者が馬鹿にされる世界である。世界大国の権力者たちがその相互作用によって、無意識も含めて創り上げつつある「世紀末」である。しかも、人は「歴史的な今」からなかなか出られず、「これが世の中、これが人間」となりやすいもの。世紀末が世紀末を呼ぶのだろう。19「世紀末」は2回の世界大戦まで突っ走ってしまったが、今度ははて、どこへ?