メイクアップすることを塗装工事をすると表現する知人の言葉を借りると、これで見事な成果を上げている人がいる。高校の友人夢子だ。今の言葉で言えばメイクアーティストということになる。名前も、夢を売るこの仕事にはぴったりの名前だと私は認めている。夢子は小顔で足が長いのでスタイル抜群だ。ばっちり塗装工事を決めて道を歩くと、年齢を重ねた今も誰もが思わず振り返る存在だ。
高校卒業後、夢子は化粧術を究めたくてデパートの化粧品売り場を希望して入社。それを一生の仕事にした。
スタイルは抜群だが顔の造作はちょっとねと、わたしを含めた四人の級友たちは遠慮のない意見を言った。実際この発言をした友達のほうが整った美人顔だった。しばらくたってデパートの食堂で夢子に出会った。化粧した夢子の顔は、実物など関係なしの特上の仕上がりになっていて、彼女の美しい体型を一層ひきたてていた。級友たちはあっけにとられた。あの素材であの仕上がりなら化粧した私たちはもっと美しいはずなのに、そうはなっていない。これはひとえに化粧技術の問題だと認識した一瞬だった。
「顔の造作よりスタイルだ。髪型と化粧で顔はどんな風にも造りかえられるが、体型はごまかし様がない」と洋裁学校の先生が言った。この発言を聞いたわたしはこれは真実だと、夢子を見ていてなるほどと納得した。この思いは年月を経た今も変わらない。
七五歳の夢子は、現役のセールスウーマンだ。夢子の舞台は、幹線道路沿いに建つ生家を改造したこじんまりした店の人工照明降り注ぐフロアーだ。最近は、微粒子素材の光る高級化粧品で歳を感じさせない効果をあげている。
ある時、わたしは、十五歳であまりに簡単に、自分の道を決めた夢子に、化粧術を仕事に選んだ理由を聞いた。
「親からもらつた自分の体型の良さは自慢だったけど、乗っかっている顔が気にくわない。これを何とかしたかったの。それだけよ。中学卒で美容師になる学校はあったが、化粧術を学べる道は開かれてはいなかった。デパートの化粧品売り場なら繋がるんじゃないかと考えたの」とあっけらかんと言った。子供時代に自分の容貌から仕事を考えるなんてわたしに出来る芸当ではない。
夢子の言い分から推測すると、動機は自分を美しく見せたいためだったが、人の顔をお化粧一つですっかり魅力的にする面白さがこの仕事の醍醐味で、夢子は一生この仕事から遠ざかることをしたくないのだとわたしは理解した。この道五十年。化粧術とスタイルが命の夢子は、毎日こまめに手入れをして自分磨きを怠ることはない。
夢子の様に毎日輝くための努力をさぼっている郷里に住む三人の級友は、結婚式、同窓会、踊り、コーラス等、舞台にあがる時は一日単位で輝けばよいと割り切っている。自分はあそこまで顔の手入れをする根気はない。だから、店に予約を入れれば、夢子の手を借りてお気に入りの出来映えにしてもらえる。この方が楽ちんだと級友は、ほくそ笑んでいる。
同窓会の日が近づいて来た。夢子から再三電話がかかってくる。少なくとも二日前には店に顔を出すよう半ば強制的に約束させられる。何でそこまでこだわるのだと、わたしは夢子にやりかえした。
「五人そろって椅麗なのがいいに決まっているわよ。それに塗装工事で手間暇を一番食う人はあなたなんだからさ」と夢子。
級友たちのいるところで、塗装工事という言葉は使った覚えはないはず。なのに、なんでこの言葉がわたしに向けられるのだ。他人から見れば相当老けたばあさんという印象なのだろうか。じぇ。じぇ。じぇ。