30分2回の各前半は7~8キロ時で走り、各後半を10~11.5キロ時で走るというのが、最近のやり方になっている。そして、22日、前進がさらにはっきりしてきた。
22日の後半30分では、5.3キロ走れた。これは、10年にカテーテル手術をするに至った心房細動が酷くなる直前の07年以来の記録だろう。高速時の心拍数もその頃と同じように下がってきて、平均するとこんな風になったと言える。まず、時速7キロでは125を切る。10キロ時でも140を切り、11キロ時で145ほどになってきた。これは前の好調時1~2月よりも、同じスピードでの心拍数が5ずつ下がってきたということ。その成果は例えば11キロ時で特に顕著に現れて、当時は160近かったものが今は145になっている。上に書いたように、本日22日に8年ぶりほどで30分に5.3キロ走れたというのは、このように高速の心肺機能が前進、安定してきたおかげなのである。23日にはさらに、時速11.8キロで走ってみたが、これも07年以来のスピードだろう。
こうしてまたまた、思った。こんなに年をとってもまだ前進できる!
ただ、何度も言うように身体は明らかに老いているのである。ウオームアップ時間、つまり汗が出始めるまでの時間が8年前は5分で済んだのに、今は15分以上と長くなってきた。ちょっと部分補強運動をサボると、最高速度走行をした日などには例えば膝の疲労痛が出たりする。11キロ時以上で走った時の汗などは、凄い量になる。1枚のTシャツがほぼずぶ濡れになり、その重いこと! 11.8キロ時で走り終わって着替えたシャツを膝にのせた時、そのずしりとした重さに一種心地よさを感じていた。一つの山を究めた感慨でもあったのだろう。近く12キロ時にも挑戦してみようとか、まだまだ夢は膨らんでいく。12キロ時の心拍数も、155にはならないだろうと十分に計算できるからである。155なら、今の僕の守備範囲なのだ。
こんなに身体は老いても走りがまだまだ前進していると感じられるって、この歳まで試行錯誤して貯えてきた知恵のおかげというもの。故障も以前より少なくなったし、僕のトレーニング方法が僕の身体にどんどん合ってきているということだろう。心拍計と相談しながら走る科学的トレーニングで07年時点の走力にほぼ戻れたわけだが、その威力は本当に凄いものだ。
22日の後半30分では、5.3キロ走れた。これは、10年にカテーテル手術をするに至った心房細動が酷くなる直前の07年以来の記録だろう。高速時の心拍数もその頃と同じように下がってきて、平均するとこんな風になったと言える。まず、時速7キロでは125を切る。10キロ時でも140を切り、11キロ時で145ほどになってきた。これは前の好調時1~2月よりも、同じスピードでの心拍数が5ずつ下がってきたということ。その成果は例えば11キロ時で特に顕著に現れて、当時は160近かったものが今は145になっている。上に書いたように、本日22日に8年ぶりほどで30分に5.3キロ走れたというのは、このように高速の心肺機能が前進、安定してきたおかげなのである。23日にはさらに、時速11.8キロで走ってみたが、これも07年以来のスピードだろう。
こうしてまたまた、思った。こんなに年をとってもまだ前進できる!
ただ、何度も言うように身体は明らかに老いているのである。ウオームアップ時間、つまり汗が出始めるまでの時間が8年前は5分で済んだのに、今は15分以上と長くなってきた。ちょっと部分補強運動をサボると、最高速度走行をした日などには例えば膝の疲労痛が出たりする。11キロ時以上で走った時の汗などは、凄い量になる。1枚のTシャツがほぼずぶ濡れになり、その重いこと! 11.8キロ時で走り終わって着替えたシャツを膝にのせた時、そのずしりとした重さに一種心地よさを感じていた。一つの山を究めた感慨でもあったのだろう。近く12キロ時にも挑戦してみようとか、まだまだ夢は膨らんでいく。12キロ時の心拍数も、155にはならないだろうと十分に計算できるからである。155なら、今の僕の守備範囲なのだ。
こんなに身体は老いても走りがまだまだ前進していると感じられるって、この歳まで試行錯誤して貯えてきた知恵のおかげというもの。故障も以前より少なくなったし、僕のトレーニング方法が僕の身体にどんどん合ってきているということだろう。心拍計と相談しながら走る科学的トレーニングで07年時点の走力にほぼ戻れたわけだが、その威力は本当に凄いものだ。