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随筆 「俺の自転車」  文科系

2021年11月11日 14時34分24秒 | スポーツ
 
 今七十七になる俺は、週に三回ほど各十キロ近くランニングしている。その話が出たり、ダブルの礼服を着る機会があったりする時、連れ合いがよく口に出す言葉がある。
「全部、自転車のおかげだよね」。
 この礼服は、三十一歳の時、弟の結婚式のために生地選びまでして仕立て上げたカシミアドスキンとやらの特上物なのである。なんせ、俺の人生初めてにして唯一の仮縫い付きフル・オーダー・メイド。これがどうやら一生着られるというのは、使い込んだ身の回り品に凄く愛着を感じる質としてはこの上ない幸せの一つである。よほど生地が良いらしく、何回もクリーニングに出しているのに、未だに新品と変わらないとは、着るたびに感じること。とこんなことさえも、自転車好きの一因になっているのだろう。

 初めて乗ったのは小学校中学年のころ。子供用などはない頃だから、大人の自転車に「三角乗り」だった。自転車の前三角に右足を突っ込んで右ペダルに乗せ、両ペダルと両ハンドル握りの四点接触だけで漕いでいく乗り方である。以降先ず、中高の通学が自転車。家から五キロほど離れた中高一貫校だったからだ。五キロほど離れた大学に入学しても自転車通学から、間もなく始まった今の連れ合いとのほぼ毎日のデイトもいつも自転車を引っ張ったり、相乗りしたり。
 上の息子が小学生になって、子どもとのサイクリングが始まった。下の娘が中学年になったころには、暗い内からスタートした正月元旦家族サイクリングも五年ほどは続いたし、近所の子ら十人ほどを引き連れて天白川をほぼ最上流まで極めたこともあった。当時の我が家のすぐ近くを流れていた子どもらお馴染みの川だったからだが、俺が許可を出した時には、文字通り我先にと身体を揺らせながらどんどん追い越していった、子ども等のあの光景! この元旦サイクリングと天白川極めとは、今でも度々思い出す俺の人生の幸せハイライトだ。元旦の川岸や平野の向こうなどに四人で観入った日の出も!
 
 この頃を含む四十代には、片道九キロの自転車通勤もあった。この距離をロードレーサーでほぼ全速力するのだから、五十になっても体力は普通の二十代だ。生涯最長の一日サイクリング距離を弾き出したのも、五十近くになったころのこと。知多半島から伊良湖岬先端までのフェリーを遣った三河湾一周では、豊橋から名古屋まで国道一号線の苦労も加えて、確か走行距離百七十キロ。一回りよりもさらに下の今は亡き親友と二人のツーリングだった。
 その頃PTAバレーにスカウトされて娘の中学卒業までこれが続けられたのも、その後四十八歳でテニスクラブに入門できたのも、この自転車通勤のおかげと理解して来た。ただ、高校、大学とクラブのレギュラーだったバレーボールはともかくとして、テニスは最後まで上手くならず、その後はトラウマになったほど。なんせ今でも、絶好のボレーを失敗した場面などが悪夢となって出てくるのだから。

 さて、五十六歳の時に作ってもらった現在の愛車は、今や二十年経ったビンテージ物になった。愛知県内は矢作川の東向こうの山岳地帯を除いてほぼどこへも踏破して故障もないという、軽くてしなやかな逸品である。車体のクロム・モリブデン鋼フレーム・チューブなどは非常に薄く作ってある割に、トリプル・バテッドと言ってその両端と真ん中だけは厚めにして普通以上の強度に仕上げてある。いくぶん紫がかった青一色の車体への装着部品は、シマノ・デュラエースのフルセットだ。赤っぽい茶色のハンドル・バー・テープは最近新調した英国ブルックス社製。このロードレーサーが、先日初めての体験をした。大の仲良しの孫・ハーちゃん八歳と、初めて十五キロほどのツーリングに出かけたのである。その日に彼女が乗り換えたばかりの大きめの自転車がよほど身体に合っていたかして、走ること走ること! 「軽い! 速い、速い!」の歓声に俺の速度メーターを見ると二十三キロとか。セーブの大声を掛け通しの半日になった。
「じいじのは、ゆっくり漕いでるのに、なんでそんなに速いの?」、「それはね、(かくかくしかじか)」という説明も本当に分かったかどうか。そして、こんな返事が返ってきたのが、俺にとってどれだけ幸せなことだったか!「私もいつかそういう自転車、買ってもらう!」と、そんなこんなで、この月内にもう二度ほどサイクリングをやることになった。片道二十キロ弱の「芋掘り行」が一回、ハーちゃんの学童保育の友人父子と四人のが、もう一度。芋掘りは、農業をやっている俺の友人のご厚意で宿泊までお世話になるのだが、彼にも六歳の女のお孫さんが同居していて、今から楽しみにしているとか。

 残り少ない人生になったが、まだまだこんな場面が作り続けられるだろう。そして、ランナーで居られる間は、続けられると考えている。自転車で作った体力が退職直前になってランを生んで、退職後はランが支えている俺の自転車人生。
 
 
(2018年10月の同人誌冊子に掲載した作品です)
コメント (4)
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