たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

緊張の中で・・・

2015年06月28日 14時01分37秒 | 祈り
先週の金曜日の昼間に書いたものを載せきれていませんでした。
毎回長文ですみません。
よろしかったら読んでください。

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いつも頭の中のコンピュータがフル稼働しているような日々に別れを告げました。ようやく今まで知らなかった世界に一歩踏み出してみようかというエネルギーが生まれてきたので踏み出しみようとしています。すり減った心が十分に回復できているわけではないので、私大丈夫かなってすごく不安です。人はみななぜか大丈夫って言ってくれるのですが、私自身がなかなか大丈夫って思えなくって不安と緊張でいっぱいです。
混乱によってすり減り回復途上にあることは話せないので苦しいところだなあと思います。
今振り返ってみると連日長時間労働の超ハードワークの日々で、どれだけの仕事量を自分がこなしてきたのか思い出すと頭がくらくらしてきます。やれたのは何年も同じ会社にいて勝手がわかっていたからでしょう。
そこを新しく踏み出していくのはやっぱり大変。一歩出せるまでが大変。
でも、あのままハードワークの日々が続いていたら、たぶん体をこわしていましたね。だからこれでよかったんだと思えるような日々が私を待っていると信じたいです。
何年も同じ会社にいるのも苦しいことでした。始まりの頃は余裕があってむしろ楽しかったのに、社会の流れと共にどんどん息苦しくなっていきました。
雇用形態がすごく複雑になっていって、それに伴う膨大な量の書類を連日作成して、人と人との間の仲立ちになって調整をしたりしながら、自分自身も正規雇用ではないのでどこまで本当に自分は安全なのかわからない不安をいつも心の隅っこに抱えながらの日々でした。結果的に自分は安全ではなかったということがわかりました。心のどこかでいつも小さい不信感とまではいわないまでも心配、不安を持ちながらの働き方は健全ではありませんでした。振り返ると完全オーバーワークの日々も含めて苦しいことの連続でした。こんな異常な状況の中でよくやっていたものだとあらためて思います。生活があるので、自分から別れを告げることはとうとうできませんでした。そうしたら残念なことになってしまいました。だからといって自分が一生懸命にやったことを悔やんでしまっては自分が可哀想すぎますね。これはこれだったんだと思います。
楽しいことだってあったし、すごく社会勉強をさせてもらいました。
ただ冷静に振り返ってみて、吐き気がしそうなほどに大変でした。
インフルエンザにかかって、タミフルをのみきったらあとはまだ熱があってフラフラでもおでこに冷えピタを貼って会社に行き、トイレで吐きながらも仕事をしたこともありました。他にも具合が悪くなったことがなんどかあります。
他に人がいなかったので仕方ありませんでした。私の責任感でした。そんな思いまでしてやってきたのに、正規雇用ではなかったために終わるとき
全てゼロになりました。何もなかったのと同じことになってしまいました。
その悔しさを鎮めて回復していくためには、ちょっと無理しても新しい場所をみつけて行くことが必要なのかな。新しい場所に行ってみて、私自身がどう感じるかが大事だというアドバイスをもらっています。私の心が動くような場所との出会いが待っているでしょうか。緊張しています。

先日書き切れませんでした。20年前の私と出会い直します。
すでに他界した両親への批判をしている記述があります。必ずしも適切ではない表現もありますが、そのまま書きます。妹とのお別れを受け入れずにもがいていた20年前の私が書いたこととして読んでいただければと思います。そんな私が今こうして今も生かされている。なぜだかわからないけれど妹の分まで生きるという役割を与えられているのだと思いながら日々を生きています。

「1995年11月12日(日)

寒くなってきた。まだ風邪をひいたままなのか、空調が悪くてすっかりのどをやられてるし、なんだか身体がだるかったり、今ひとつの調子だ。通勤だけで疲れるし、さっさと寝ればいいものをねつけないとこわいのでぼうっと起きていたり・・・。
以前ほどには無理が効かなくなっている自分にはがゆいものを感じないではいられない。最近は疲れてしまうことの方が、無理を越えてさっさと帰りたいと思ったり・・・いいのか、悪いのか・・・。
昨日はすごーく久し振りの(大学の通信教育の)試験を終えて、なんにもしたくないので、ぼんやりしている。単位になるといいな。
ほんとに勉強も自分へのプレッシャーというよりはもっと楽しめるといいのに・・・。
ひとりでいると、いろんなものが頭の中をぐるぐるとまわってしまう。疲れるんだからよせばいいのに、ことばを組み立てはないではいられないのだ。
まだまだ青くさいね。未熟だね。
どんどん自分に自信がなくなっていって、何者なのかみえなくなってしまう。
とろいわたしっていう意識。どこにいっても人に対して自信がない。口下手コンプレックス。新しいことにも、人にも慣れていくのにうんと時間がかかってしまう。こんなことでこれからもずっと社会生活を営んでいけるのだろうか。
自分なりにがんばろう、なんとかなるサって思うといつも思い浮かぶのは父と母の顔・・・。あの二人の子どもであることが恐ろしいのだ。
もう帰ってこないMちゃん、大バカヤローと思ってしまうのだ。
子供の苦しみを知っているのかよ、と思ってしまうのだ。
もっときちんと責任をもってほしかった。親なら、子供がひとりで歩く
力をもてるように導いてほしかった。人と接していくことを、ちゃんとおしえてほしかった。こんなふうに今だに人と付き合えないなんてどうかしてるよ。
閉鎖的なのはもういやだよ。
わたしはおそまきながら気づくことができたからいいけど、気づかないまま
自分で自分を追いつめて逝ってしまった妹。親なら、親なら責任をもってほしかった。やることがズレてるよ。肝心なことがわかってないよ。
枝葉末節にばっかりとらわれてないで、大事なことをおしえてほしかった。
自分の親のようにはなりたくないと思っている自分が恐ろしい。あんな家族のこと、だれにも言えないよ。ほんとは人が好きなくせに新しい人間関係を求めているのに、臆病になってしまう。
わたしは、なにに縛られているのだろう。
もっと楽になりたい。解き放たれたい。父と母に似ていることに気づく度に
たまらなくいやになる。
もっと、自然に気負わないで生きたい。
ほんとにほんとにわけがわからなくなってしまう。
ほんとは割り切るなんていやなんだ。いやだけどそうしないと自分がつらいからそうしてるんだ、なんて思ってることを純粋というのだろうか。
ただ、自分で自分を追いつめ、閉鎖的になることだけはよそう。
考え込んでばかりではつまらない。希望を捨てないでサ、心の扉をあける
努力を続けよう。
また、カウンセリングの先生にお話をきいてもらえば少し楽になると思う。」

20年前の私でした。
なぜ妹が逝って私が生き残っているのか、その答えはどこにもなかったです。
まだ実感がないけれど父も母もお星さまになりました。
私に与えられた時間を一生懸命に生きるのみです。

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