『マイ・フェア・レディ』から『回転木馬』まで(4)
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(1995年『回転木馬』帝国劇場公演プログラムより)
「東宝のミュージカル上演史『マイ・フェア・レディ』から『回転木馬』まで-小藤田千栄子--
70年代最初の東宝ミュージカルの新作は『プロミセス・プロミセス』(71年10月・日生劇場)だった。ビリー・ワイルダー監督『アパートの鍵貸します』のミュージカル化で、ニール・サイモン脚本、バート・バカラック音楽。北大路欣也・那智わたるのコンビで、ホロ苦いラブ・ストーリーが、原作同様に日本人好みだった。那智わたるのミュージカルではこれがベストではあるまいか。
ついでの新作は『スィート・チャリティ』(72年5月・日生劇場)である。まだ宝塚在籍中だった真帆志ぶきの主演で、当時は、宝塚スターの東宝ミュージカルへの出演があったのだ。スータンこと真帆志ぶきが、シルク・ハットを手に「いまの私を見せたいわ」を、しなやかに歌い踊るところたステキだった。
続いては『シュガー」(74年1月・日生劇場)の登場。これはビリー・ワイルダー監督『お熱いのがお好き』のミュージカル化で、ブロードウェイはビリー・ワイルダーがお好きという感じ。このワイルダー好みは、最新作『サンセット大通り』まで続いている。まあ、それはともかく日本の『シュガー』では由美かおるを中に置いて、堺正章と津坂匡章が女装した。
以上3本とも、当時のブロードウェイの話題作で、いわばトレンド・ミュージカル。名作の再演を続けながらも東宝は、常に新作をマークしていたことが分かる。だがこれらの作品は、のちによそのプロダクションに移っている。
同じ1974年には、久しぶり宝塚にブロードウェイ・ミュージカルが登場した。ジーン・ケリーの映画もで有名な『ブルガドーン』である。スコットランドのヒースの丘に、100年にいちど現れるというブルガドーン村の話で、ここに迷い込むニューヨーカーが鳳蘭。ロマンチックで、幻想的な味わいが宝塚にピッタリだった。村の若者役で、高汐巴と峰さを里が、ダブル・キャストで出演していた。星組公演で、宝塚大劇場11月、東京公演は翌年の3月だった。
もう1本、1974年には『旅情』があった。これは言うまでもなく、キャサリン・ヘプバーン主演の同名映画のミュージカル化で、スティーヴン・ソンドハイム作詞、リチャード・ロジャース作曲である。デパートの三越と東宝との提携公演で、淀かほるの主演だった。
70年代の後半には、新作が4本ある。まず『ピピン』(76年4月・帝劇)。これは神聖ローマ帝国の王子ピピンの青春の物語で、ブロードウェイではボブ・フォッシーが手がけたもの。日本では津坂匡章と草笛光子の主演だった。ついで『ザ・ウィズ/オズの魔法使い』(76年8月・日生劇場)。ブロードウェイのブラック・ミュージカル『ザ・ウィズ』の翻訳上演だが、中身は『オズの魔法使い』なので、これをサブ・タイトルとしてつけたもの。岡崎友紀主演だった。
『グリース』(77年11月・日劇)も、日本初演は東宝ミュージカルだった。いま有楽町マリオンの所にあった丸い劇場=日劇での上演で、これも当時のブロードウェイのヒット作だった。日劇ではフィナーレに50年代のヒット曲(たとえば「ダイアナ」や「ヘイ・ポーラ」など)をつけて、なんだかウェスタン・カーニバルのような盛り上がりを見せたものである。あおい輝彦、由美かおる主演。
そして『アニー』(78年8月・日生劇場)も、最初は東宝ミュージカルだった。夏休みのファミリー・ミュージカルとして上演され、ニッセイ児童文化振興財団が協賛している。主演のアニー役はオーディションだったが、宝塚・星組に在籍中だった愛田まちが選ばれた。身長152センチの小柄な女優さんである。ウォーバックスに若山富三郎、ハニガン先生にテアトル・エコーの平井道子。
以上が70年代に初演された東宝ミュージカルで、全部で9本あるが、こう並べてみると、あらためてヒット作を、最初に押さえていたことが分かる。そしていまはそのプロダクションで、あらたな命を得ている作品もある。
だがここで気がつくのは、60年代に比べると、やはり新作が少ないことだ。確かに話題の新作を押さえてはいるが、60年代の草創期ほどの勢いはない。だからといって、全体の上演数が減ってきたわけでhない。ということは、すでに初演した作品を育てていた時期だということが出来る。つまり再演の70年代であり、再演でさらに磨きをかけた70年代なのである。」
→続く