2008年9月11日(木)、ツアーのフリータイムに前年同様、一人でルーヴル美術館の日本人向けツアーに参加しました。わたしの中で前年のリベンジをしたいような気持ちがありました。
なにをどこまで書いてしまったのかすっかり忘れており、ようやく復習して久しぶりにアップ。気がつけばもう9年前ですか。クソ会社で必死に必死に働いていた頃でした。二人分労働のストレスにまみれながら、言葉にしようのない辛さを誰にも話すことができず、誰にも辛さを分かってもらないまま、あとはよろしくね、って言って海外出張に出かける奴らを見送っている自分がみじめでみじめで仕方なくって、こうして遠い空のもとへ、地球の裏側へ飛び立たないではいられませんでした。出発前、男性の添乗員さんから挨拶の電話を携帯にもらったときも、昼休みにようやく出られた時余裕がなくってなくってつっかかるような言い方しかできませんでした。仕事辛くって仕方なくすみません、って謝りました。そんな日々を今でも体が記憶しています。同じことを何度も書いているような気がしますが、色々とありつつも苦しみ抜きながらやっと出かけた旅はわたしの中でかけがえのないもの。ルーブル美術館ツアー、テンションがあがって楽しくってたまらなかった記憶があります。
ミロのヴィーナス、正面からみるのとは全く違う後ろ姿の表情に魅了されて何度も何度も後ろに回って鑑賞しました。後ろ姿にたくましいエネルギーを感じました。上手く言えませんがなんだか自分の体に響いてくるものがあってすごく心が震えました。なんだろうなあ、その時その場で出会わなければ味わうことのできないなにかがありました。
当時持っていた解像度の低い携帯で撮った写真なので全くたいしたことはありません。もっと素敵に撮れた写真がネットの中にはあふれかえっていると思いますがわたしだけのミロのヴィーナス。モナリザの間のように、日テレがお金を出してミロのヴィーナスの間が創られるという話があったのにまだできていませんねとガイドさんがおっしゃっていました。その後創られたんでしょうか。
「ミロのヴィーナスは、1820年4月8日に小作農であったヨルゴス・ケントロタス(Yorgos Kentrotas)によってオスマン帝国統治下のエーゲ海にあるミロス島で発見された。彼は最初、官吏に見つからぬようにヴィーナス像を隠していたが、トルコ人の官吏に発見され没収された。
後に、フランス海軍提督ジュール・デュモン・デュルヴィルは、この像を見て価値を認め、フランス大使に頼みこんでトルコ政府から買い上げた。これは修復された後にルイ18世に献上された。ルイ18世はこれをルーヴル美術館に寄付し、現在でもそこで管理されている。
以後、ルーヴルを出て海外へ渡ったことはただ1度、1964年4月~6月、日本の東京都(国立西洋美術館)京都府(京都市美術館)で行われた特別展示のみである。この際、日本への輸送時に一部破損が生じ、展示までに急遽修復されている。
1900年頃にルーヴルで一度だけ型取りされており、現在もその型を元にレプリカや縮小モデルが作られている。」(ウィキペディアより)
なにをどこまで書いてしまったのかすっかり忘れており、ようやく復習して久しぶりにアップ。気がつけばもう9年前ですか。クソ会社で必死に必死に働いていた頃でした。二人分労働のストレスにまみれながら、言葉にしようのない辛さを誰にも話すことができず、誰にも辛さを分かってもらないまま、あとはよろしくね、って言って海外出張に出かける奴らを見送っている自分がみじめでみじめで仕方なくって、こうして遠い空のもとへ、地球の裏側へ飛び立たないではいられませんでした。出発前、男性の添乗員さんから挨拶の電話を携帯にもらったときも、昼休みにようやく出られた時余裕がなくってなくってつっかかるような言い方しかできませんでした。仕事辛くって仕方なくすみません、って謝りました。そんな日々を今でも体が記憶しています。同じことを何度も書いているような気がしますが、色々とありつつも苦しみ抜きながらやっと出かけた旅はわたしの中でかけがえのないもの。ルーブル美術館ツアー、テンションがあがって楽しくってたまらなかった記憶があります。
ミロのヴィーナス、正面からみるのとは全く違う後ろ姿の表情に魅了されて何度も何度も後ろに回って鑑賞しました。後ろ姿にたくましいエネルギーを感じました。上手く言えませんがなんだか自分の体に響いてくるものがあってすごく心が震えました。なんだろうなあ、その時その場で出会わなければ味わうことのできないなにかがありました。
当時持っていた解像度の低い携帯で撮った写真なので全くたいしたことはありません。もっと素敵に撮れた写真がネットの中にはあふれかえっていると思いますがわたしだけのミロのヴィーナス。モナリザの間のように、日テレがお金を出してミロのヴィーナスの間が創られるという話があったのにまだできていませんねとガイドさんがおっしゃっていました。その後創られたんでしょうか。
「ミロのヴィーナスは、1820年4月8日に小作農であったヨルゴス・ケントロタス(Yorgos Kentrotas)によってオスマン帝国統治下のエーゲ海にあるミロス島で発見された。彼は最初、官吏に見つからぬようにヴィーナス像を隠していたが、トルコ人の官吏に発見され没収された。
後に、フランス海軍提督ジュール・デュモン・デュルヴィルは、この像を見て価値を認め、フランス大使に頼みこんでトルコ政府から買い上げた。これは修復された後にルイ18世に献上された。ルイ18世はこれをルーヴル美術館に寄付し、現在でもそこで管理されている。
以後、ルーヴルを出て海外へ渡ったことはただ1度、1964年4月~6月、日本の東京都(国立西洋美術館)京都府(京都市美術館)で行われた特別展示のみである。この際、日本への輸送時に一部破損が生じ、展示までに急遽修復されている。
1900年頃にルーヴルで一度だけ型取りされており、現在もその型を元にレプリカや縮小モデルが作られている。」(ウィキペディアより)