たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

漂流していた手紙

2020年08月27日 20時43分02秒 | 祈り
「Mちゃんへ

 こうして手紙をあなたに向けて書くのは十数年ぶりですね。あなたが15年前突然逝ってしまってからははじめてのことです。今まではこわくてできませんでした。15年の歳月が流れ、やっと外に向かって語れるようになり、「自己」をテーマとして創作することになった時、ちょっときついかなと思いながら、思い切って手紙をしたためてみることにしました。投函することはありませんがきっといつもどこかで見守っていてくれるにちがいない、あなたのもとへ届くといいなと思います。わたしの話にちょっとだけ耳を傾けてやってください。

 15年前あなたの突然の死をきっかけに私の自分と向き合う本当の心の旅は始まりました。それまで自分という者を探求し、自分はこうなんだと思い込み、自分の周りに壁を築き上げ、これが自分なんだとわかったようなつもりになって、私は自分で創り上げた壁を守ることに必死になっていたように思います。けれど、その壁は突然人の死という事実を目の前に突きつけられた時、ガラガラと音を立てて崩れ去りました。あなたの死を伝えられ、音が消えて周囲が真っ白になった瞬間を今も忘れることはできません。自分を責めました。何通も手紙をくれましたよね。死を選ぶ一週間前には電話もくれましたよね。弱々しい声でした。あれは、お姉ちゃん助けてよ、というメッセージだったのではないか。そのメッセージに答えてやろうとするどころか疎ましくさえ思ってしまった。あの時答えてあげていたら・・・という自分を責め続けました。全てはあとになって思うことでした。なにがどうでこんなことになってしまったのか。その答えを見つけられたら、自分が背負わなければならなくなった荷物が少し軽くなるのではないかと錯覚していました。でも、その答えはどこにもありませんでした。答えはどこにもなく、また荷物が軽くなることもないのだとわかるまでに十年以上かかりました。物事の全てに説明のつく答えがあるわけではなく、あいまいなまま受けとめていかなければならないこともあるのだということを、カウンセラーの先生との関わりの中で学びました。

 カウンセラーの先生との出会い、先生が私のエンパワメントを信じ続けてくれたことが、今の私を支えてくれているように思います。先生とはじめて出会ったのは、あたなの死から1カ月か2カ月後のことだったでしょうか。何をどう受けとめればいいのかわけがわからず、ワラにすがる思いで相談室の扉を開けました。面接の間中泣き続けている私に、すごく苦しんだろうな、でも実家を出て一人暮らしができる、そういう力がある人なんだと先生は思ったそうです。先生は私を支え、寄り添い、一緒に歩み続けてくれました。そんな人にわたしもなれないだろうかという思いから、2年前には専門学校の通信教育を経て、精神保健福祉士という国家試験に合格しました。合格したらかといって、すぐ仕事に結びつくような資格ではなく、具体的にこれからどんんな方向へ進んでいけばいいのか、今は全く見えていません。色々な研修に出てみると福祉の世界の閉鎖性が垣間見えてきて、戸惑いさえおぼえています。自分が本当にしたいことは何だろうか。今はわりと暢気に英語で『赤毛のアン』を読んでみたり、雑学的に本を読んだりしながら、あらためて自分に問いかけ続けています。仕事には直結していないけれど、身をすりへらすような思いでがんばり続けたことでやっと自分を許せることができるようになり、責めさいなむ日々にピリオドを打てたことが今のわたしには大きな意味を持っています。

 一年前からは先生がご自身の通うプロテスタントの教会で月に一度始められた出会いのグループに通い自分を語っています。それまで先生との関わりの中でしか話せなかったことを語り、耳を傾けてくれる人達がいることで自分自身が解放されていっているように思います。

 おねえちゃん、もう泣かなくっていいよ、自分を責めたりしなくたっていいんだよ、そんなあなたの声がきこえる気がします。あなたの人生にどんな意味があったのか、それはあなた自身がわかっていればそれでいいのです。Mちゃん、突然の死はわたしにたくさんのことをおしえてくれました。それらを受けとめ、背負い続けながら、わたしはこれからも歩いていきます。私の中には、大きな樹が生えています。大地にしっかりと根っこをはやし、まっすぐ上に伸びていこうとする木です。その木を信じて立ち止まったり、戸惑ったりしながら歩き続けていきます。またいつか会える日まで見守っていてください。まだまだ話し足りない気もしますが、ひとまずこれにてペンをおきます。
 

  平成21年5月31日 たんぽぽ」

 6月にまた家を出るため荷物を整理した時に出てきた手紙。すっかり忘れていました。自分の中に真っすぐのびる木が生えていると感じたのはフォーカシング合宿での体験。こうして長い年月をかけて事実を受けとめることができるようになったと思いました。また振り出しに戻ってしまいました。自分で帰省の道を選んだことにより振り出しに戻してしまったという後悔。8年前母の旅立ちと共に天涯孤独となっていたことを知った帰省。結果的に弟と音信不通となった帰省。どこにいるのかとたずねてこないし、わたしも特に知らせていない。今のところ知らせるつもりはない。遺品整理にこだわり、走り続けてきたので人生の休息のつもりで選んだ帰省の道は、色々な意味で想定外に自分を苦しめることとなり肯定することが今のところほとんどできません。人生の半分以上を過ごした街に戻ってきて傷はさらに広がってしまったことを自覚。2年前の今頃は倒れそうになりながらもすっごい坂を歩いて訪問していました。戻ればまた同じようにできると思い込んでいました、できなくなっていることに気づいていませんでした。自死ということの重さに今またおぼれそうになりながら、ほとんど歩かない生活を送ってしまったことの大きさに愕然となり涙にくれる日々。あなたが援助職として今のあなたに出会ったらどんなことばをかけてあげることができるか、それがこれからのあなたがどうしていくかの答えだとは6年前ズタボロになったわたしの話を聴いてくれた相談員さんのことば。今また業務の範疇を超えてことばをくれています。なんだか人って哀しいですね。家族ってなんでしょうね、一生もがいても答えのでないわたしの人生の宿題。

 
 歯医者さんのついでに2年前まで暮らした街をようやく歩きました。息抜きによく利用していたハブに入りポイントカードの期限が来る前にまたポイントつけられました。買い物していた店の中を歩いたりしながら、自分はここで家賃払いながら暮らしていたことが幻のような感覚になったりもしますが、たしかにここが自分の日常でした。苦しいこと、悔しいこと、哀しいこと、愚かなことばかりでしたが楽しいこともたくさんありました。ほとんど歩かない生活に自分の体内リズムがどうやらくるってしまっているようだと気づいたは帰省してどれぐらいすぎた時だったか。年齢が高くなってから生活を大きくかえてしまうのは実際リスクが大きすぎました。歩けなくなっていることですっかり自信を失っているオドオド感が出てしまっているんでしょうね。想い出をたどりながら歩くことで自分を取り戻していこうとする日々。間に合っているのか今は不安ばかり。何を問われているのか、さまよい続ける日々。

 封筒に、クルト・レビン、社会心理学者、希望、とわたしメモっています。著書を読んだらそこには希望があるのかな・・・。

 漂流郵便局という宛先のない手紙を送ることのできる郵便局があると知ったのは数年前、友人からのメール。送ることでさまよい続ける想いは成仏できるでしょうか。

https://pop-man.com/mitoyo-3/

 


また連投、お恥ずかしいかぎりをさらけだしました。

訪問、ありがとうごさいます。

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