会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

梅雨だる

2015-06-14 11:47:36 | 草花と花木
2015年6月14日(日) 30.6℃~17.3℃

   「アジサイが美しい」

 暑いかと思うと寒い、寒いかと思うと暑い。庭のアジサイのがくが大きくきれいに色づいてきた。




盆栽ヤマアジサイは可憐な花姿。



暦の上では11日が入梅となっているが、沖縄から北海道まで同じ日ではない。蒸し暑くじとじとした日々は気がめいりやる気がなかなか起こらない。
 このような状態をテレビで「梅雨だる」といっていた。

 このような言葉を知らなかったのでネットで調べたら、血めぐり研究会のメンバーである東京有明医療大学 教授 川嶋朗先生は、次のように説明しています。

「入梅前および梅雨時は、低気圧配置により、副交感神経が優位になってしまうので、身体が”お休みモード”になってしまい、多くの人が『だるい』、『やる気がでない』といった症状を感じやすくなります。その結果、活動量が減り、『血めぐり』が悪くなります。
また、気圧の低い状態は、炎症物質(発痛物質)であるヒスタミンの分泌が多くなると言われています。そのため、肩こり、偏頭痛、腰痛などがひどくなる人も増えるのです。ヒスタミンは、身体を緊張させる交感神経を刺激するので、身体は「ストレス」を感じやすくなります。ストレスを感じた身体は、”戦闘モード”となり、末梢血管を収縮させ、手足の先まで血がめぐりづらくなり、『血めぐり』が悪くなってしまいます。その結果、手足の先の冷えにつながります」


梅雨だる対策として

・こまめに肩を動かすこと

・熱を発散しやすい首・手首・足首の3か所を温めること

・体の「温めポイント」(肩、首、腰回り、太もも、二の腕の裏側、ひざの裏)を温めること

・目を温めて気持ちをおちつかせること

これらのことに気をつけて、梅雨に負けない心身を作りたいですね

血めぐり研究会:http://chimeguri.com/

 

生きがいづくり講座 第2回学習

2015-06-12 16:08:41 | Weblog
2015年6月12日(金)雨 25.9℃~19.8℃

   「物づくり体験講座・カリントウ饅頭づくり」

 今年度も「教育=今日行くところがある」と「教養=今日用事がある」を生活の基本において、公民館主催行事にいくつか申し込んだ。
その一つが大戸公民館主催の「生きがいづくり」。
 1.ねらい:中高熟年期の人生に相応しい社会認識を保ち続けるために、また熟すほどに多くの人と交流し友達を得るために、広く講師を招いて楽しい  学習や体験を通じて理解を深め、また地域文化の伝承者として地域とかかわりながら充実した生きがいある生活を送れるような学習を進める。
 2.実施期間:5月かより12月まで8回予定
 3.学習目標:生きがい楽習(学習)、若さでがんばりましょう。
        ①自分の健康は自分で守りましょう!
        ②趣味と仲間づくりで、楽しい時間を過ごしましょう!
        ③地域での役割と活動できることに挑戦しましょう!
        ④地域文化や、生活文化の伝承を進めましょう!
 4.学習計画:
        1回目:5月13日 【開校式 講演】 ◇「カナダと会津を結ぶ~国際理解について考える」 
        2回目:6月11日 【物づくり講座】 ◇カリントウ饅頭づくり
        3回目:7月16日 【移動学習】   ◇大人の社会科見学
        4回目:8月19日 【健康講座】   ◇ピアノのリズムで「ヨーガと唱歌の生き生き講座」
        5回目:9月10日 【物づくり体験講座◇ハーブ苔だまづくり
        6回目:10月 8日 【歴史講座】   ◇白虎隊士「山川健次郎」と妹「山川捨松」の生涯
        7回目:11月12日 【生き生き映画館】◇昔なつかしい映画をみんなで
        8回目:12月10日 【閉校式 健康管理】◇「心身の冬支度】

1回目は湯川村在住の手代木 トロイ先生。(英語塾 講師)だったが、別な用事があり欠席。
2回目から参加した。カリントウ饅頭づくり。班ごとに材料が用意されていて粉を練る、伸ばす、餡を包む。後は講師と手伝いの人で揚げた。
 あまり作業することはなかった。



笹川流れ遊覧船

2015-06-10 19:24:22 | 旅行
2015年6月10日(水)晴 27.3℃~17.1℃

   「友との旅は終わり」

 5月25日(月)友との旅行記はこれで終わります。
 どうしても泊まりたかった銀山温泉。どうしても見学したかった加茂水族館。二つが終わり笹川流れへ。何度か山形県を旅行したがバスで通過、この笹川流れを船で遊覧したことはなかった。今回は遊覧船に乗船。


 観光遊覧船開港56年。初代創業者渡辺栄太郎が昭和27年に漁船から夫婦2人で始め、現在に至る。奇岩の中の「恐竜岩」の名付け親である。創業以来、船内での案内説明はテープを一切使わず、船長の生声で源義経公の奥州落ち延び伝説や笹川流れのみどころ ◇君戻し岩(ききもどしいわ) ・・・等を説明した。


 今や美しい海の代名詞といってもいい、見事な景観を誇る延長1kmの笹川流れ。その名は、岩の間を盛り上げるように流れる潮流を、中心地笹川集落の名にちなんで付けられたといいいます。日本海の荒波に侵食された洞窟や、奇岩が絵巻のように続き、昭和2年に国の天然記念物に指定された。遊覧繊維に乗って海上からの望む景色はまさに格別であった。







加茂水族館

2015-06-09 18:52:58 | 旅行
2015年6月9日(火)曇 26.3℃~14.3℃

   「まだまだ友との旅は続く」

 5月25日(月)友との旅行記はまだまだ続きます。
 この旅行の大きな目的のもう一つが鶴岡市の加茂水族館です。この水族館は皆さんもご存知のように片田舎の小さな水族館。


 あまりのみすぼらしさに、要らないとまで評された床面積たった1,300平方mの日本一小さな水族館。内容が乏しく、老朽化し、倒産を覚悟した加茂水族館をクラゲの展示で見事甦らせ、誰も思いつかない楽しくもアッと驚くアイデアを駆使して入館者と売り上げの増加に結びつけ、世界にたった一つのクラゲの水族館を誕生させることが出来た。
水槽のガラス超しにみると人を虜にする魅力を秘めている。じーっと見ていて飽きない。他の水族館でもクラゲを展示しているが、ここではクラゲが主役である。
 クラゲ水族館誕生の内幕は、誰も知識がなく何もかも分からなかったが、飼育員が餌を与えたらクラゲになった。それを展示したら、お客さんが大喜びしてくれた。この偶然が水族館の誕生らしい。大型水槽や、イルカショーやシロクマ。ジンベイザメ、マンタなどがいたら果たしてクラゲに命運をかけたかどうかわからない。何もない老朽、弱小、貧乏水族館だったから可能だったと村上龍男館長が語っていた。
クラゲの写真を3枚ほどアップします。







銀山温泉へ

2015-06-08 14:38:04 | 旅行
2015年6月8日(月)曇 26.3℃~14.3℃

   「まだ友との旅は続く」

 5月24日(日)友との旅行記はまだ続きます。
この旅行の大きな目的の一つが銀山温泉に宿泊することであった。数年前区長会の旅行でこの温泉に泊まったことがあった。
有名な「能登屋旅館」やアメリカ人の女将のいる旅館は、人気があり料金も高く予約が取れなかった。温泉街から少し離れた高台にある「瀧見館」へ宿泊した。その時は、温泉街を散策してから宿へ行った。三層。四層に見える旅館街に感動したことを思いだす。
 今回も「能登屋旅館」には泊まれず「瀧見館」へ宿泊。まっすぐ宿に行き、入浴し夕食を食べてから、宿の車でライトアップした温泉街を散策した。
夜は冷え込み防寒具をまとはないと風邪をひいてしまう。各旅館全室に明かりがついてライトアップ。木造3階建ての能登屋旅館は耐震構造に改築していて古木よき風情が少し感じられなかった。また、アメリカ人の女将は辞めて母国へ帰ってしまっていて時の流れを感じた。


 季節の移ろいを見下ろすてっぺんの湯「瀧見館」。露天風呂からは樹林に流れ落ちる滝がみえる。高台から稜線を望む絶景のロケーション。
 「能登屋」に宿泊できなくてもおいしい料理を食べ、自然の美しさが胸にせまる至福の温泉を楽しむことができて満足した。




 NHKの大河ドラマ「おしん」の撮影地や大正ロマンの湯の街として知られている銀山温泉。また、宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」の舞台になったとの噂もちらほら。明治より賑わいを見せた銀山温泉は一度洪水によって街が崩壊してしまう。
その後建て直して今の街並みがあるのだそうだ。 
 日本秘湯を守る会」のホームページによると
 『銀山温泉の入口に立つと、時代の歯車が大正時代でとまってしまったような錯覚にとらわれる。川をはさんで両側に建つ旅館は、まるで昔の宿屋の舞台装置である。 能登屋旅館は、その中ほどに、望楼のような三階建ての木造建築を保っていた。なるほど文化財的な古い建物である。 銀山温泉は、名のように銀山で栄え、寛永年間の最盛期には2万5000人もの人夫がいたという。温泉と銀山の町の繁栄のほどが伺える。
 銀山は、川の上流20分ほどのところに廃坑の跡を見せていた。この銀山には佐渡のような哀史がない。よほど政策がよかったのだろう。人夫が集りすぎて札止めをしたこともあるそうである。悲哀な歴史がないから観光的には売れないのだと、観光係員がこぼしていたが、なるほど世の中の流れはわからない。 能登屋は、他の秘湯のように深山や渓谷の一軒宿ではないが、古い温泉街を保存している点では珍しい存在である。』

芭蕉記念館へ

2015-06-06 15:50:15 | 旅行
2015年6月6日(土)晴 19.7℃~13.3℃

 木曜日の雨でほっとしたが、土中深くは浸透しなかった。金曜日の夕方から朝方までの雨は恵みの雨。野菜や草花、木々が生気を取り戻した。
植え付けたばかりのジャガイモや枝豆もこの雨で根付いてくれるだろう。あちこちに芽を出していた大葉を堀りおこし植え直しをした。塩づけした大葉でのおにぎり、キュウリやナスとの塩もみ、味噌と小麦粉を混ぜたのをくるんで焼くなどして食べるのが楽しみ。
   「友との旅は続く」

 5月24日(日)友との旅行記はまだ続きます。
 旧山形県庁文翔館から山寺芭蕉記念館へ。


芭蕉が「奥の細道」の旅で山寺を訪れてから三百年目、同時に山形市ができてから百周年を記念して、平成元年に建てられたのが「山寺芭蕉記念館」。記念館では、芭蕉に関する文書や映像などが観賞できる他、研修室や茶室などがある。
有名な<閑さや岩にしみ入蝉の声>は『おくのほそ道』行脚の途上、出羽国・山寺の立石寺を訪れて着想した句。この記念館では芭蕉がいくつもいくつも句を作り推敲し最終的にこの句になったと資料展示してあり、名句が生まれる過程を知って記念館を訪れてよかった。
 立石寺は貞観2年(860)、第三世天台座主慈覚大師円仁が開いた、天台宗の御山で東北を代表する霊山。若い時奥の院まで上ったことがあったが、高齢者になっては階段を登るのは無理。ここはパスした。
ネットで調べるとパンフレットでは場所によって違うが、山門からは「800余と登山口からは1050段]だそうです。


このホームページを作っている方は実際に登って数えた1070段のことを載せている。すごい方だと思ったので記録をお借りしました。
 芭蕉は尾花沢の人々に勧められて旅路を変更して7月13日(新暦)午後2時50分から3時40分の間に、麓の宿坊から登った。
 芭蕉が登って句を作ったことや人生50年という時代に46歳の芭蕉が「おくの細道」を歩いたことに驚きであった。

旧山形県庁文翔館

2015-06-05 19:45:33 | 旅行
2015年6月4日(木)曇 19.7℃~14.3℃

 雨が欲しい欲しいと思っていたら、全国的に寒くなり雨の予報。小さな家庭菜園だが夏野菜に水やり、枝豆の苗植えの土づくりなど忙しく過ごした。寒い日だが夕方雨が降ってくれてほっとした。
   「友との旅行を続けて」

 5月24日(日)友との旅行の続きがとぎれとぎれですがもう少しアップします。
 高畠ワイナリーから旧山形県庁文翔館へ。




 ガイドさんがいたが、時間的に余裕がなかったのでそれぞれ自由に見学した。
一度ガイドの案内で見学したことがあったので、県庁舎のみで渡り廊下で結ばれた県会議事堂には行かず廊下から写真を撮った。


余裕があるときはじっくりと見学しみる価値は十分ある文翔館である。
 山形県のホームページによると
 『1876年(明治9)現在の山形県が成立し、初代県令三島通庸によって翌1877年(明治10)に県庁舎が、1883年(明治16)に県会議事堂が建設された。
しかし1911年(明治44)5月の山形大火によって両棟とも焼失し、直ちに同地での復興が計画され、1913年(大正2)4月に建築に着手、1916年(大正5)6月に完成したのが現在の建物である。
山形県庁舎と同時に建設された県会議事堂は、県庁舎と渡り廊下で結ばれている。創建当初の議員の数は35名で、議会のある時は議員の机と椅子を並べて会議が行なわれ、議会のない時は演奏会や展示会などに貸し出されるなどして、多彩なイベントホールとして使われていた。
1986年(平成7)に復原工事が県庁舎と同時に行なわれ、当時の姿を今に伝える文化財となっている。』



『山形県旧県庁舎の設計は、東京都出身の田原新之助が担当し、米沢市出身の中條精一郎が顧問を勤めた。イギリス・ルネッサンス様式を基調とし、両翼62.721メートル、中央の時計塔までの高さは25.149メートルである。
建物は、レンガ造りの3階建で、外壁は花崗岩の石貼り、屋根は玄昌石のスレートになっており、石柱、明かり窓、換気塔を施している。内部の設備や装飾は、リノリウムの床と照明器具、壁や天井の漆喰装飾と木部の装飾など、大正時代初期の洋風建築の特長を伝える貴重な文化財である。
また時計塔は、札幌の時計台に次いで2番目に古いもので、銅板飾りの塔屋と重錘式の動力で動く時計が珍しい。
山形県旧県庁舎は、1975年(昭和50)まで県庁舎として使用されていたが、同年県庁が山形市松波に移転して新庁舎を建設した後、1984年(昭和59)12月に国の重要文化財に指定された。1986年(昭和61)からは修理工事が始められ10年の歳月を経て1995年(平成7)9月完成した。 修理工事にあたっては必要な構造補強を行ない、在来の材料と工法で進められ創建当時の姿の復原が図られた』。

高畠ワイナリーへ

2015-06-02 12:54:09 | 旅行
2015年6月1日(月)晴 30.4℃~11.6℃

 毎日暑い日が続いていると涼しい場所に行きたくなる。7ヶ月ぶりに99ナインのゴルフコンペに参加した。天栄村羽鳥湖高原(約海抜1,000m)にある太平洋クラブでプレーした。気温は15℃で軽やかな涼風が吹いている。青空にボールが飛び、芝生に転がる。広いフェアウエーをカートで自由に走れるゴルフ場でのプレーは最高。スコアは100を切ることができなかったが、103でまわることができた。
真っ赤に日焼けし、大汗をかいたが一日楽しく過ごせてよかった。
   「高畠ワイナリーで試飲」

 5月24日(日)友との旅行の続きをアップします。
 亀岡文殊堂の見学を終えて「高畠ワイナリー」へ。日曜日だたので機械は動いていなかったが、職員の案内で工場を見学し、ワインづくり説明を受けた。




<平成2年創業のワイナリー。高畠産のブドウにこだわって醸造されるワインはコンクールに入賞するほど上質のものばかり。サクランボやモモ、リンゴなどのフルーツワインも豊富に揃う。>
製造工程の見学を終えてテイスティングルームでの試飲をし、売店でお土産を買った。 山形方面に旅行するとこの高畠ワイナリーに寄ることが多い。
おつまみをつまみながら試飲をして回っていると酔ってしまうので、それぞれがお土産を買ってバスに戻り旧山形県庁文翔館へ向かった。
おつまみ人気第1位の「米沢牛のさらみ」をお土産に買った。


ブドウ栽培は棚に枝を伸ばすのではなく、背の低い垣根づくりで育て収穫している。