(東京・九段坂にて)
6日夜 少々緩んだ心地よい風が頬をなぜる中 街を歩いていると
暗い歩道の隅に ”何かがある”。
花粉も飛んでいるのか かゆい眼をこすりながら
凝らして見ると 大きな「蛙」だった。
今 冬篭りから出てきたばっかりなのだろ
このような状態で 身動き一つしなかったが・・・
3月5日は 二十四節気「啓蟄」 だった
暦どおりの現象に まさしく”春”を感じる。
(東京・九段坂にて)
6日夜 少々緩んだ心地よい風が頬をなぜる中 街を歩いていると
暗い歩道の隅に ”何かがある”。
花粉も飛んでいるのか かゆい眼をこすりながら
凝らして見ると 大きな「蛙」だった。
今 冬篭りから出てきたばっかりなのだろ
このような状態で 身動き一つしなかったが・・・
3月5日は 二十四節気「啓蟄」 だった
暦どおりの現象に まさしく”春”を感じる。
シェーンブルン宮殿といえば マリア・テレジア!
マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ(1717~1780)は
神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして 共同統治者
オーストリア大公(在位:1740年 - 1780年)
ハンガリー女王(在位:同じ)
ベーメン女王(在位:1743年 - 1780年) でもあった。
夫のフランツ1世との30年間に 5男11女を授かった。
その中には フランスのブルボン家に嫁いでいて フランス革命の際に、
夫のルイ16世とともに断頭台にあがった 「マリー・アントワネット」もいる。
一般に「女帝」と呼ばれ 政治的手腕は大したもので 実質的にも女帝で
あった。
実際には皇帝に即位してはいないが 夫の皇帝が養子的存在であり
ハプスブルク家領国内において実際の政治的権力をほとんど持たなかった
ことや 帝位は夫のものであったが ハプスブルク家当主が継承してきた
オーストリア大公の位には彼女が就いていたことなどから
そう呼ばれたとも。
まさに 母は強し!