街中には 紛争の銃撃戦により破壊され廃墟となった建物
弾痕がある壁や建物などが あちらこちらに建っている。
紛争から20年経つが 紛争を忘れないための措置なのかは分からないが。
また 前回でもふれたが 資料によれば
街に住む人々は ネレトヴァ川脇の幹線道路を挟んで
イスラム系の住民の居住地域と
クロアチア人居住地域とに分断されており。
話す言葉は同じでも この道路を堺に公用語の名も変わり
立ち並ぶミナレット(イスラム教寺院の塔)もカトリック聖堂へと
姿を変え 通う学校も 郵便も 電気も 水道も 病院も
この道路を挟んで別々の世界になっていると。
まさに “目に見えない民族の境界”が存在しており
我々旅人には 窺い知れない世界があることを知る。