図書館からミリャツカ川沿いに進むと 少々アーチ型の石橋がある。
これが「ラテン橋」 かつての「プリンツプ橋」。
1914年6月28日 オーストリア・ハンガリー帝国の
フランツ・フェルディナント大公が ボスニア・ヘルツェゴビナ駐留軍の
演習を観閲するためにサラエボを訪問した際
同帝国のボスニア・ヘルツェゴビナ占領・統治に反対する
「青年ボスニア党」のセルビア人青年ガブリエロ・プリンツィープ
により暗殺された「サラエヴォ事件」の現場すぐそばにあり
歴史の舞台となった橋として有名。
この暗殺を契機に第一次世界大戦が勃発している。
橋は ユーゴスラビアの愛国主義を記念し
プリンツィプ橋と改称されたが ユーゴスラビア崩壊後には
再びラテン橋に戻され 2004年に修復されている。