あかない日記

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東欧旅行(166) ラテン橋

2013-05-18 | 東欧5カ国紀行

 

 

  図書館からミリャツカ川沿いに進むと 少々アーチ型の石橋がある。 
   
これが「ラテン橋」 かつての「プリンツプ橋」。 

 1914年6月28日 オーストリア・ハンガリー帝国の
  フランツ・フェルディナント大公が ボスニア・ヘルツェゴビナ駐留軍の
   演習を観閲するためにサラエボを訪問した際
    同帝国のボスニア・ヘルツェゴビナ占領・統治に反対する
     「青年ボスニア党」のセルビア人青年ガブリエロ・プリンツィープ
      により暗殺された「サラエヴォ事件」の現場すぐそばにあり
       歴史の舞台となった橋として有名。 


  この暗殺を契機に第一次世界大戦が勃発している。

   橋は ユーゴスラビアの愛国主義を記念し
   プリンツィプ橋と改称されたが ユーゴスラビア崩壊後には
    再びラテン橋に戻され 2004年に修復されている。