前回 話題に挙げた「旧横田家」
この中級武士の家から
その後多くの秀才が生まれていることを知る。
世界遺産にもなった「富岡製糸」にかかわる「和田英」
1857(安政4)年-1929(昭4)年
明治時代の製糸技術者で 横田家の次女である。
1872(明5)年10月に開業された富岡製糸場では
工女の募集がうまくいかないなか
その募集の責任者であった父の指示により
英は国益と家の名誉のために
翌年の明治6年(16歳)伝習工女として
応募し一等工女となる。
1年3カ月後 郷里に帰り まもなく開設された
地元の西条村製糸場のちの「六工社」や
県営長野県製糸場の教婦などとして
工女に対する技術指導に活躍した。
1880(明13)年 退職して
陸軍軍人和田盛治と結婚したが
1907(明40)年ごろ
回想記「富岡日記」をのこし
近代日本の息吹を示す貴重な記録であり
開業間もない富岡製糸場の様子がいきいきと描かれているという。
一方 弟の秀雄は大審院長に その子正俊は最高裁長官になり
二代続いて裁判官の最高の地位を務めている。