あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

中欧旅行(16) 王宮

2012-03-16 | 中欧5カ国紀行


                            (新王宮)

 

 ホーフブルク(王宮)は ハプスブルク家とともに650年の宮殿の歴史がある。
 1220
年ごろ最初に立てた館を中核に 歴代の君主が次々と建て増し
 増改築してきた。

 そのため 様式の異なる各時代の建物の集合体になっている。

  王宮の中には 皇帝の居間 シシィ博物館 王宮宝物殿 スペイン乗馬学校
  国立図書館など
見たいと思うところが多くあるのだが
  残念ながら このツアーは ヘルデン広場と新王宮の 
周りを
  なぞるように外観を眺めるだけであった。残念!

 

  この新王宮の建設は 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の命により
  1881年から始まり 
1913年に完成している。 
  しかし 完成時には皇帝は歴史の舞台から降りていたので

  ここに住むことはなかった。

  翌1914年に第一次世界大戦が始まり1918年に敗戦して 
  オーストリア帝国は崩壊した。

  その後の第二次世界大戦が始まる前年1938年には
  ドイツのアドルフ・ヒトラーが 
この新王宮のテラスから
  オーストリア併合を宣言している。

 

      この王宮も 世界の歴史の舞台になっている。

  


 


中欧旅行(15) ウィーンの寅さん

2012-03-15 | 中欧5カ国紀行

     
               (資料から)

  映前回「寅さん」の出番がありましたので 
   映画「男はつらいよ」について
    その“寅さん”が ここウィーンに来ている。

  第41作「寅次郎心の旅路」(1989年)は 
     寅さんシリーズ唯一の海外ロケである。


  マドンナ役に竹下景子がガイドとして登場し シェーンブルン宮殿や
   シュテファン寺院の
北塔で説明するシーンがある。
  そのガイド嬢の魅力にひかれ 後を付いてまわり迷子になってしまう。

  何故 海外でウィーンなのかは 当時のウィーン市長が飛行機内の
   ビデオで「男はつらいよ」を
偶然目にしたところから誘致している結果だった。

  その後 作品公開20周年記念に 東京・葛飾区とウィーン北東部に
   ある第21・フリズドルフ区が 姉妹都市提携を結び ドナウ川の
    ほとりに約3000㎡の「寅さん公園」が誕生している。

     公園内は 日本庭園としても整備され 寅さんのレリーフ付き
      案内板がある。

   * ウィーン市は 東京都と同じく23区になっており 
     その23区と姉妹友好都市提携を結んでいる都市は
      東京・台東区(1) 世田谷区(19) 荒川区(22) 府中市(17)
      大阪・羽曳野市(13) 兵庫・宝塚市(9) 岐阜・岐阜市(12)

     なんだかんだと いろいろ理由付けして あるもんですね!


中欧旅行(14) モーツアルト像

2012-03-14 | 中欧5カ国紀行

 


リンク通り沿いに 王宮の附属庭園『ブルクガルテン』(1819年造園)がある。

庭園は 皇后シシィの夫君フランツ・ヨーゼフ皇帝のプライベートな

英国様式の庭園であったが 死後3年たった1919年に 
一般に開放されている。

 

  庭園のリンク側の入り口から入ると 
  有名なモーツァルト17561791の像が目に入ってくる。
    この像は 1896年にヴィクトル・ティルグナーによって作られた。


左手を譜面台に添えた立像で モーツァルトの容姿は
        近世ヨーロッパの服装ままに彫られている。
 

  また 像の前には ト音記号をかたどった盛り土があり
  春には色とりどりのベゴニアが咲くというが 春にはまだ遠い。

  驚くことに これと同じ完全複製のモーツアルト像が日本にもあるという。
  ウィーン市第21フロリズドルフ区と友好都市提携の葛飾区に  

 「かつしかシンフォニーヒルズ」の」正面玄関に設置されている。 

  映画「寅さん」も この庭園でロケしており その恩恵ですね!


 


中欧旅行(13) ゲーテ像

2012-03-13 | 中欧5カ国紀行

 

 

      王宮庭園脇のリンク通りに面して
          風格と威厳に満ちた「ゲーテ像」がある。


   何故ここに ドイツの詩人 ゲーテ(1749-1832)の銅像が
      あるのだろうか? 
と調べたら

   ゲーテは ウィーンには一度も来てはいないが ウィーンに
      関わる音楽家が
  ゲーテの詩をもとに作曲していることから 
       この像 1900年ウィーンのゲーテ協会から寄贈されている。 

    因みに シューベルトは 『魔王』『野ばら』など70曲をゲーテの詩から
       作曲している。
 

      日本でも 何故ここにあるのか? 
              という銅像が結構ありますよね!

 


中欧旅行(12) ハカリ

2012-03-12 | 中欧5カ国紀行

           

  

   トラムの 停留所脇に 「秤」が鎮座しているの気づく。

   どうして ここに秤があるのだろうか?

 

   ウィーン市民は ダイエットに関心があるのか

  それとも トラムに乗るのに 重量制限があるのか
                      ・・・そんな訳ないでしょう。


 
 女性が人も眼の前で 体重はかるかな~~ 

   しかも 有料になっている。

       当方も ダイエット中 「ハカリ」には少々関心はあるが・・・

     現地ガイドさんの説明では

         『これで 結構儲かっているようですよ!』

 


中欧旅行(11) オペラ座

2012-03-11 | 中欧5カ国紀行

 

  
   リンク通りで バスを降りる。

   目の前に ウィーン国立歌劇場(オペラ座)がある。 外からの見学だ。

  世界遺産「ウィーン歴史地区」の登録建築物であり
   ネオ・ルネサンス様式の建物で
 パリ・オペラ座 ミラノ・スカラ座と並び
     世界のオペラハウスの中でもトップクラスに位置する。


   1969年に完成し モーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」で幕を開けた。
   第二次大戦末期の
1945年の爆撃により 殆んど建物は焼失した。
   戦後1956年に再建され 数々の名演の舞台となってきた。
   グスタフ・マーラー リヒャルト・シュトラウス ヘルベルト・フォン・カラヤン
   小澤征爾らが
歴代の音楽監督を務めている。

   1642の客席があるが 一部には歌詞の翻訳を表示する液晶版があり
   英語とドイツ語の訳が表示される席もある。
   その内500以上の立見席もあり リーズナブルに鑑賞もできるそうだ。

      まだ 本格的なオペラは見たこともないので
       またの機会には 是非とも鑑賞したいですね!

   右横の道は シュテハン広場に通ずる高級店の並ぶケルントナー通り。

 


中欧旅行(10) グロリエッテ

2012-03-10 | 中欧5カ国紀行

 
                           グロリエッテ」

 

 プロイセンに勝ったのを記念して1775年に初期歴史主義の
 コロネード(列柱回廊)として
建築され 
  高さ19m 幅は95mもあり 凱旋門を思わせる中央部では

 女帝マリア・テレジアが好んで朝食をグロリエッテで取ったという。

 上部には、帝国を象徴する巨大な鷲が 地球の上に立って翼を
 広げている。
  
両翼の階段部分には 豪華なトロフィーが配されている。


 

   
  
 グロリエッテの丘から見た宮殿の先に市街地。シュテハン大聖堂が右奥に見える。
   

  グロリエッテの丘までは 「片道15分かかりますよ」と
   ガイドの説明があったが
  とにかく行ってみようと

       息を弾ませ 駆け足で丘を登り 
         振り返ると 
ウィーン市街が 一望できた。

              来たかいがあった。!



中欧旅行(9) ネプチューン

2012-03-09 | 中欧5カ国紀行

 

      宮殿から庭園を挟んで グロリエッテ丘を望む。

  「ネプチューンの噴水」は 手前のグロリエッテ丘の麓にあり

    半円形の泉になっている。

  
 

  
    ギリシャ神話の海神・ネプチューン(ポセイドン)に祈る女神テティスらの

  彫像から噴水が出ていることになっていることだが

       残念ながら 水は噴き出していなかった。
    
 


中欧旅行(8) エリザベート 

2012-03-08 | 中欧5カ国紀行

  
                                                                         (資料から)

        

  20109月に 三夜連続 NHKBSで ロミー・シュナイダー(オーストリア
  出身)主演のシシィの映画を見ていたので ある程度のことは
  わかっていたが 
         実際に ここシシィが生活した宮殿に立ち 感激ものだった。


    1部 「プリンセス・シシー」(1955年)
    第2部 「若き皇后シシー」(1956年)
    第3部 「シシー ある皇后の運命の歳月」(1957年)

  この映画 オーストリアでは シシーの誕生日である
  
クリスマス・イブに放送され続けているヒット作で 
  主演のロミー・シュナイダー自身もシシーと
  愛称されるほど人気を博した。

  ロミー・シュナイダーは 後にルキノ・ヴィスコンティ監督の
  名作「ルートヴィヒ」でも
エリザベート役を演じている。

  第2部では シシーの母親役を ロミー・シュナイダーの実母である
  マグダ・シュナイダーが
演じている。

  あらすじは
   第1部: 自然の中で自由に育った天真爛漫なシシーが 
       皇帝フランツ・ヨーゼフに
見初められ結婚するまで。

   第2部: オーストリア皇后となったシシーは 皇帝フランツと
                 深い愛情で結ばれていた。
       だが奔放なシシーと厳格な姑の大公妃とは衝突が多く、
       やがて産まれた王
女ジゼラの養育を大公妃に奪われた
                 シシーは失意から宮廷を去る・・・。

       両親とフランツの愛に支えられ皇妃として成長していく。

   第3部: オーストリアの支配下となったハンガリーを愛し 
       ハンガリーの人々にも
親しまれたシシーは 
       ハンガリーでの自由な生活を好んだ。
       その後、結核を発
症し死を宣告されたシシーだったが
       ポルトガルの島での療養で奇跡的に
回復した。
       その帰途 大公と合流し 北イタリアとの親善のため
       ヴェネチアを
訪問したが 冷たい出迎えをうける。
       しかし 娘ジゼラとの感動的な再会を
見にした市民は
       次第に大歓迎と変わっていく。

    * この映画で使われた調度品は
     市内にある「
宮廷家具調度品博物館」の展示品が
       
提供されているとのこと。

 

 

 


中欧旅行(7) エリザベート皇后

2012-03-07 | 中欧5カ国紀行

          
                 (資料から)

 

  エリザベート皇后は、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后で
  身長172cm 体重50kg ウエスト50cmのスタイルの良さに加えて
  大変な美貌を誇っていた。

 

  エリザベートは ドイツ・バイエルン州のヴィッテルスバッハ公爵の
  次女として 1837年に生まれ 幼いころから「シシィ」の愛称でよばれて
  自由奔放に育った。
  15歳の時 オーストリア皇妃候補だった 姉のヘレーナの見合いに
  同行した
エリザベートに 若き皇帝フランツ・ヨーゼフは一目惚れし
  皇妃に選んだ。

  16歳でウィーンの宮廷に輿入れし 二人の間には
    ゾフィー      (1855年~1857年)
    ジゼル      (1856年~1932年)
    皇太子ルドルフ (1858年~1889年)
    マリー・ヴァレリー(1868年~1924年)

   の 一男三女が産まれている。


  しかし エリザベートは 窮屈で慎ましいウィーンの宮廷生活を受け入れる
  ことができず 精神を患って 転地療養生活をおくるようになり
  長い旅に出ることがしばしばであった。
  
 1867年 オーストリア・ハンガリー二重帝国が発足し ハンガリー王並びに
 王妃として戴冠式は ブタペストのマーチャーシュ教会で行われた。

   ここにも ”女の一生” がある。



啓蟄

2012-03-06 | 出来事・行事


                                 (東京・九段坂にて)

        

     6日夜 少々緩んだ心地よい風が頬をなぜる中  街を歩いていると

      暗い歩道の隅に ”何かがある”。 

        花粉も飛んでいるのか かゆい眼をこすりながら

          凝らして
見ると 大きな「」だった。 

      今 冬篭りから出てきたばっかりなのだろ

          このような状態で 身動き一つしなかったが・・・  

       3月5日は 二十四節気「啓蟄」 だった 

              暦どおりの現象に まさしく””を感じる。 

    


中欧旅行(6) マリア・テレジア

2012-03-06 | 中欧5カ国紀行

 

  
      シェーンブルン宮殿といえば マリア・テレジア!


  マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ(1717~1780)は 
  神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして 共同統治者 
    オーストリア大公(在位:1740 - 1780
 
   ハンガリー女王(在位:同じ)
 
   ベーメン女王(在位:1743 - 1780) でもあった。

 

  夫のフランツ1世との30年間に 511女を授かった。
  その中には フランスのブルボン家に嫁いでいて フランス革命の際に、
  夫のルイ
16世とともに断頭台にあがった 「マリー・アントワネット」もいる。
 

  一般に「女帝」と呼ばれ 政治的手腕は大したもので 実質的にも女帝で
    あった。

  実際には皇帝に即位してはいないが の皇帝が養子的存在であり
  ハプスブルク家領国内において実際の政治的権力をほとんど持たなかった
  ことや 帝位は夫のものであったが ハプスブルク家当主が継承してきた
  
オーストリア大公の位には彼女が就いていたことなどから
  そう呼ばれたとも。

 

    まさに 母は強し!

 


中欧旅行(5) シェーンブルン宮殿2

2012-03-05 | 中欧5カ国紀行

   
                       庭園からみた宮殿

 

館内見学には “インペリアルツアー(26室)”と “グランドツアー(40室)”の
2コースあるが 我々は前者を見学。

 現地ガイド(日本人)から トラベルイヤホン通して
説明を受ける。
                         (館内は撮影禁止)

見学の順序は

1室 警護の間

2  ビリヤードの間 (謁見を許された人々の控え室) 
3  謁見の間〔クルミの間〕
4  フランツ・ヨーゼフ皇帝の執務室(皇帝とエリザベートの肖像画が飾られている。)
5  皇帝の寝室
 (鉄製のベット洗面台 祈祷台が置かれている。
  191686歳の皇帝は息を引き取った。)
6  西側テラスの小部屋
7  皇妃エリザベートの書斎 〔階段の小部屋〕
8  皇妃エリザベートの化粧室
9  夫婦の寝室 (1854年の婚礼に際して用意された。白と青を基調とした
  紫檀の家具がある。)
10
  皇后のサロン(金と白の内装に ロココ調の家具が配された応接室。
  鏡の前の時計は背後にも 逆回りの文字盤がある。)
11
  ダイニングルーム (マリー・アントワネットの部屋)
12
  子供の部屋 (マリー・アントワネットの遺品書斎机がある。)
13
  朝食の間
14
  黄色いサロン (黄色のイスがある。)
15
  パルコンの部屋
16
  鏡の間(10×40m) (1762年 当時6歳であったモーツアルトが招かれピアノ
  を弾いている。)

17  ローザの間(画家ヨーゼフ・ローザの風景画15点飾られている。)
18
  第一ローザの小部屋
19
  第二ローザの小部屋
20
  ランタンの間
21
  大ギャラリー(10×40m) 祝賀行事用ホール(1814年ウィーン会議
  1961年米国ケネディとソ連フルシチョフの首脳会議も)

22  小ギャラリー 

23  円形の間 (マリア・テレジアと宰相カウニッツ公との秘密の会議に使われた。)

24  楕円形の中国の間(1760年頃に中国の美術品で装飾された。
  羊飼いに仮装したマリア・テレジアの肖像画もある。)

25  メリーゴーランドの間 (マリア・テレジアの乗馬の絵)
26
  儀式の間 (マリア・テレジアの大肖像画)

 

     

    かつて 児玉清さんが司会していたNHKの「世界びっくり旅行社」という

   番組でシェーンブルン宮殿は 観光客に公開されている部分を除いた

   居室が賃貸住宅となっていて 住民がいることを紹介していたが

    これには びっくりでした!。

    

 

 


中欧旅行(4) シェーンブルン宮殿

2012-03-04 | 中欧5カ国紀行

 

 

   早速に 旅行第1日の観光は ウィーン市 
            
  その代表格の 「シェーンブルン宮殿」へ 朝一番に訪れる。

  宮殿は 1996世界遺産として登録された。
     外壁はマリアテレジア・イエローと言われる黄色。
             「シェーンブルン」とは「美しい泉」という意味。


  1695 年にレオポルト1世が狩猟用の別荘として作ったのを 1750年頃に
  マリア・テレジア女帝が「夏の離宮」 バロック様式の華麗な装飾に彩られた
  宮殿として完成させたもの。
  14
41の部屋がある4階建ての建物は 全長180mもある。

 

  マリア・テレジアには 16人の王子・王女がいたが 宮殿の数多くの部屋は
  年間の大半はここで過ごし 子供たちや1500人以上の仕える者たちの
  ために これだけの部屋が必要であったようだ。

  豪華な宮殿と大庭園(1.2km×1km)は ヨーロッパ最大の帝国として君臨した
  ハプスブルク王朝の栄華を反映している。

  また 歴史的に有名な「会議は踊る」のウィーン会議(1814~15年)の
  会場にもなり 1961年には米ソのトップ会談として
   ケネディ フルシチョフ会談もここで開かれている。

 

     華麗なる ハプスブルク家の栄華の一部がうかがえたが

 

 


中欧旅行(3) トラブル!

2012-03-03 | 中欧5カ国紀行

 

  

  先に 航空機は快適に飛行したと書いたが 多少のトラブルがあった。
   といっても 飛行機ではなく 乗客に? 

  機内食も終わり 一息つき 少々うとうと思う頃
   機内に突然大きな音がしたが
    初めは 何があったのか
わからなかった。 

 
  その内 男性乗務員が 一人の男性の脇に両手を差し入れ
  
  男性を引きずりながら 後ろ向きに下がっていったのを見る。 

  推測するに 男性がお酒に酔い 転倒し頭をイスの角にぶっつけたようだ。
   機内の気圧は 標高2400m級の山に登ったときと同じで
    当然 低酸素になる。
  地上とは違う環境になるのだから 
      いくら無料とはいえ 飲みすぎはいけませんね。

 

  それから一時たって

『お客様の中に お医者様か看護師の方が いらっしゃいますでしょうか?

 いらっしゃいましたら 近くの乗務員まで お知らせを お願いいたします。』 

  と機内アナウンスがあった。

 

  これはえらいことになったぞと 場合によっては近くの空港に緊急着陸を
  することにも・・・
  そうなったら 今回の旅行はどうなるのだろうとか・・・
  いろいろと考えだしてしまった。

 

 

 

  
  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    その後 機内は落ち着き 何事もなく飛行は続き
    無事にウィーン空港に着陸した。

  頭に包帯を巻き “その乗客”も 他の乗客と一緒に車椅子で降りてきた!!
 

  いずれにしても 大事に至らなくて ほっとする・・・。が

   もしかすると 一番 ほっとした人は
        ”定年退職する客室乗務員”だったかもしれない。