あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

東欧旅行(164) サラエボ

2013-05-16 | 東欧5カ国紀行

 

           サラエボの歴史を映し出してきたミリャツカ川

 

  夕方5時前  ボスニア・ヘルツェゴビナの首都 サラエボ市内に入る。

  「サラエボ」の地名は 「キャラバン・サライ」の「サライ」から。
   「サライ」とは「館」とか「城」という意味で「城の町」と。
    隊商貿易がさかんであったため
 文明の十字路ともいわれてきたが
     大国の支配に翻弄されながらも

      さまざまな宗教を信仰する多様な民族によって共存してきた。

  しかし 1914年 この地でオーストリア皇太子夫妻が暗殺され
   それを契機として第一次世界大戦が勃発し 
    さらに1992年から95年のボスニア紛争により
     サラエボは最大の激戦地となり セルビア人が
      ボスニア人(モスリム人)やクロアチア人らを攻撃した
       民族間の衝突により一般市民を含む1万人以上が
        犠牲になったといわれている。

  1984年には冬季オリンピックも行われて
    我々にもサラエボの名は耳にしてきたが

      これから先のツアーは まさに 紛争の跡を巡る旅になっていく。

 


東欧旅行(163) ヤブラニツァ

2013-05-15 | 東欧5カ国紀行

  

                           ヤブラニツァのレストラン脇から望む

  ツアーバスは モスタルから約1時間
  ヤブラニツァのレストランにてトイレ休憩をとる。

  「ヤブラニツァ」といえば 第2次世界大戦中の1943年1~4月
  チトー率いるパルチザンとドイツ軍を筆頭とした枢軸軍が
  戦闘を交えた「ネレトバの戦い」の舞台になったところ。

  ネレトヴァ川を背後にした谷間に押し込められ
  進退窮まっていたパルチザンは 川に架かる唯一の橋を
  自ら爆破し敵を欺くというチトーの巧みな計略により
  圧倒的多数の枢軸軍を出しぬいて壊滅を免れ
  最終的な勝利への道を開いたといわれている。


  この近くに 映画「ネレトヴァの戦い」(1969年制作)の撮影時に作られ
  爆破された鉄橋がそのまま川に落ち込んでいる場所があり
  周辺には記念碑や博物館もあるそうだ。

 


東欧旅行(162) ネレトヴァ峡谷

2013-05-14 | 東欧5カ国紀行

 

 

     モスタルでの昼食後 ツアーバスは 140km先の「サラエボ」に向けて走る。

  車窓に 「ネレトヴァ峡谷」が見えてきた

  石灰岩を多く含む大地が ネレトヴァ川によって 侵食されて出来たもので

  両側にそびえ立つ 奇怪な岩石群が迫ってくる。

  このように険しいネレトヴァ峡谷は 第二次世界大戦中 パルチザン勢力が

  ナチス・ドイツの追手から逃れた場所としても 知られている。

  この峡谷には サラエボへ向かうこの路と 鉄道も 並行して走っており
 
   ともに 重要な幹線となっている。

 

 


東欧旅行(161) DONATION 贈り物

2013-05-13 | 東欧5カ国紀行

 

  旧市内の見学を終え バスで移動中 ガイドから説明がある。

  「この黄色いバスは 日本からの贈り物です。
    バスの横か 後ろに書いてありますので見て下さい。」と

  なるほど 走っているバスの後部に日の丸があった。
  日本の旗の下には
   「DONATION FROM THE PEOPLE OF JAPAN」と
    表示されている。 

  これは 「ODA」(政府開発援助)によるもので
   発展途上国の経済援助や 福祉の向上のために
 
   援助・出資がなされるもの。

  こうして 日本援助の手が向けられていることが
   このように具体的にあればよく分かる。

   我々も 彼の地にきて 
    日本貢献度が示されていることは うれしいものだ。

 


東欧旅行(160) トルコの家

2013-05-12 | 東欧5カ国紀行

 

    ツアー一行は 「トルコの家」に案内される。

  ネレトヴァ川沿いに1635年に建てられたオスマン朝時代の伝統家屋で

    建物の一部は 高さ14mの石柱で 支えられている。

    2階建で 2階のリビングは 川に面し張り出していて 眺めが良いとここと。

    今は 博物館になっていて
    オリエンタルな雰囲気が漂う室内には 当時の生活調度品が
    展示されているそうだが 我々は 既にトルコ旅行も終えている
  ことなので 館内の見学は 割愛させていただいた。

  

 

 


東欧旅行(159) クユンジュルク通り

2013-05-11 | 東欧5カ国紀行

 

 

モスク周辺は テパ市場で オスマン時代より賑やかなバザールがある。

このクユンジュルク通りは オリエントの香り漂い 古い銀細工店が多く。

今日は 銀座なみの観光客が 押しかけている。

 極端だが 石橋一つで 世界中から観光客が呼べる。

 


東欧旅行(158) コスキ・メフメド・パシャ・モスク

2013-05-10 | 東欧5カ国紀行

 

                        スターリ・モストから上流を望む

 

  中央のミナレットは 1619年完成 
   イスラム系の「コスキ・メフメド・パシャ・モスク」で
     一般に無料で開放されていて モスクからから逆に
       スターリ・モストを見るのは
 絶景ポイントになっている。

  中庭には 六本の柱で囲まれた清めの泉、「シャドルヴァン」があり
   左手はモスクで 12m四方の正方形で
    屋根は丸型のドームになっている。

  また右手奥にも ミナレット一本のモスクが見えるが
   これは「カラジョスゴヴァ・ジャーミヤ」で

    1557年に建てられ へルツェゴヴィナを代表するイスラム建築。


東欧旅行(157) 世界遺産?

2013-05-09 | 東欧5カ国紀行

                              「通潤橋」の放水

   前回掲載しているが「スターリ・モスト」を見ていて

  当方は 以前 訪れたことのある 熊本県の「通潤橋」を 思い浮かべ

    その美しさは 負けず劣らずとも想う。 

  スターリ・モストの復元には ユネスコの力と お金が あったので
   当然如く 世界遺産に登録されている。

   「富士山」が 世界遺産に登録されると 先日のニュースにあったが

   更に
 この通潤橋 そして熊本地方には めがね橋の石橋が多くあり

    その技術や 歴史等からも 申請すれば

      世界遺産に登録なるのではと・・・

    また スターリ・モストは 湾曲で階段状になっているので

     歩きづらいが 渡るのは人だけと思う。

    一方 通潤橋は平坦で車もOKで 水道橋として実用的だが

     

 


東欧旅行(156) ダイビング

2013-05-08 | 東欧5カ国紀行

    

  橋の欄干に 若者が 今にも橋の下のネレトヴァ川に
  飛び込みを しようとしている姿が見えた。 

  周囲の人から小銭を集め 一定の金額になったら 飛び込むのだそうだ。 

  しかし 一向に飛び込みならず 我々は橋を通り過ぎてしまったので
   その後 飛び込んだのかは分からない。 

  以前 NHKの世界遺産の番組で  この橋から飛び込む大会が
   放映されていたことを思い出した。

    紛争前は 毎年開かれる大会に クロアチア人も 参加して 

     400年もの歴史ある大会だったが 
      紛争時 クロアチア勢が橋を 爆破したことにより

       今では クロアチア人の参加はない。 

    しかし 内容はクロアチア人も参加させようと
        民族和解を願う若者の姿を描いていた。

 

 


東欧旅行(155) スターリ・モスト

2013-05-07 | 東欧5カ国紀行

 

  

                           「コスキ・メフメド・パシャ・モスク」から望む「スターリ・モスト」

  ツアー一行は モスタルの町の中央を流れるネレトヴァ川に
    架かる石橋 「スターリ・モスト」へ

  全長30m 幅4m 川面からの高さは24mあるが
   橋台を用いず 両岸からアーチ状になっている。

  1566年 オスマン帝国期に架けられ 紛争前まではこの橋を利用し
   人や文化が宗教の違いを越えて往来していたが
    1993年 ボスニア紛争時 クロアチア勢力により破壊されてしまった。

  2004年 ユネスコの協力のもと 破壊された石を拾い集めるなどして
   古来の美しい石橋に復元された。

    2005年 その歴史的価値と民族融和の象徴として
     世界遺産「モスタル旧市街の古橋地区」に登録されている。

  その紛争の記憶にとどめるためか
   橋のたもとには「DON'T FORGET '93」の記念碑が置かれている。

 

               破壊された後の石橋(橋脇の博物館展示物)


東欧旅行(154) 聖ペーター教会

2013-05-06 | 東欧5カ国紀行

      

 

  モスタルに着いて 最初に目に付いたのは
   大型バスの駐車場横に建つ
    
高さ100mもある鐘楼だ この教会は「聖ペーター教会」で

   1533年カトリック系教会として建てられたが
    オスマントルコに攻められ破壊されてしまい
     
1847年に聖ペーター教会として再建された。

   しかし ボスニアヘルツェゴビナ紛争で また破壊されてしまった。

   その後 2000年 今の教会に建て直しされているそうだ。

                               外観のみ。

 


東欧旅行(153) 銃弾痕

2013-05-05 | 東欧5カ国紀行

 

  街中には 紛争の銃撃戦により破壊され廃墟となった建物
  弾痕がある壁や建物などが 
あちらこちらに建っている。

  紛争から20年経つが 紛争を忘れないための措置なのかは分からないが。 

  また 前回でもふれたが 資料によれば

  街に住む人々は ネレトヴァ川脇の幹線道路を挟んで
   イスラム系の住民の居住地域と

    クロアチア人居住地域とに分断されており。

  話す言葉は同じでも この道路を堺に公用語の名も変わり
   立ち並ぶミナレット(イスラム教寺院の塔)もカトリック聖堂へと
    姿を変え 通う学校も 郵便も 電気も 水道も 病院も
     
この道路を挟んで別々の世界になっていると。

   まさに “目に見えない民族の境界”が存在しており

  我々旅人には 窺い知れない世界があることを知る。


東欧旅行(152) トイレの神様

2013-05-04 | 東欧5カ国紀行

 

  モスタルに到着し ツアーバスは 駐車場に止める。

   当然これから時間をかけて 見学になるので トイレに行くよう指示がある。

  しかし トイレの前には ふくよかなお姿の
    “トイレの神様”が おわしました。

  どこへ行っても 公衆トイレはありませんが
    有料トイレがあって このような神様がおられます。 

  お賽銭を お渡しいて すっきりはしてきましたが・・・ 

   どこへ行っても女性群は いつも長蛇の列になりますね~


東欧旅行(151) モスタル

2013-05-03 | 東欧5カ国紀行

 

                                      買い求めた”指貫”

  ツアーバスは 昼前 人口ではボスニア・ヘルツェゴビナの
  5番目の都市 世界遺産の「
モスタル」に到着する。

  15世紀中頃にオスマン帝国の支配化に置かれて 軍事上の要衝として
  また 
ネレトヴァ川の両岸に 発展したオリエントの香りが漂う街並みと
  数百年にわたり町のシンボルである
  アーチの石橋(スターリ・モスト:古い橋)が
この町を発展させてきた。

  モスタルの名も この橋(モスト)に因んでいるそうだ。(橋の守り神)

  しかし 1993年 ボスニア紛争により 街並も 石橋も 
  破壊されてしまったが 
2004年になって 石橋は復元された。

  だが 街中には 20年経っているが 
  まだまだ 紛争の傷痕が あちらこちらに残ったままだ。

 


東欧旅行(150) メジュゴリエ

2013-05-02 | 東欧5カ国紀行

 

    ツアーバスは ボスニア・ヘルツェゴビナの小さ町をモスタル向かって走る。

    鹿児島の開聞岳のような 印象的な山が目に入ってくる。

    ここはどんな町か分からないが この近くに「メジュゴリエ」という町があるのだが。

    1981年6月に メジュゴリエに住む6人の子供たちの目の前に

   聖母マリアが現れ
お告げがあったと 一時 世界中の話題になったことがあった。

    そして 今でもこの「メジュゴリエ」にはカトリック教徒にとって

    “奇跡の地”として
巡礼者が多く訪れているそうだ。