アンコールワット建立当時は ヒンドゥー教の寺院であったが
16世紀ごろ仏教寺院になり 千体ほどの仏像が置かれていた。
しかし 今は 首がない仏像がやたらに置かれている。
これは
・ 13世紀の廃仏運動
・ 盗掘により海外に流失
・ 経年劣化
・ 内戦による破壊(ポル・ポト時代)
等によるらしい。
特に カンボジア内戦時には 原始共産主義をめざしたポルポトが
宗教活動を禁止し 宗教関係者の多くを殺害しており
この時期に 多くの奉納仏は 首を砕かれてしまったようだ。
アンコールワット建立当時は ヒンドゥー教の寺院であったが
16世紀ごろ仏教寺院になり 千体ほどの仏像が置かれていた。
しかし 今は 首がない仏像がやたらに置かれている。
これは
・ 13世紀の廃仏運動
・ 盗掘により海外に流失
・ 経年劣化
・ 内戦による破壊(ポル・ポト時代)
等によるらしい。
特に カンボジア内戦時には 原始共産主義をめざしたポルポトが
宗教活動を禁止し 宗教関係者の多くを殺害しており
この時期に 多くの奉納仏は 首を砕かれてしまったようだ。
第三回廊も十字回廊と同じく「田」の形をしており
沐浴の池の跡も同じく4つある。
また 四隅の祠堂と中心の中央祠堂と計5つの祠堂があり
今も昔もアンコールワットは信仰の場所
地元の方々であろう 中にはお身足が悪い方も見受けられたが
中央祠塔まで登り お祈りを捧げていた。
一方 第三回廊の連子窓から西方に 参道・西塔門・周壁が遠く見える。
こちらは十字回廊 地元の子供が熱心にお祈りしていた。
アンコールワットは カンボジア人にとって神聖な場所であり
毎月4日ほどある「仏教の日」には
この第三回廊(中央塔)には 登場できないことになっている。
また 悪天候 事故 高官の訪問などでも 登れないこともあるようだ。
加えて 露出が激しい服装でも入れなく 脱帽も義務付けられていると
現地ガイドから事前に説明があり
ツアー仲間も服装等の点検をしてから出かけている。
第三回廊から外に向け 第2回廊 第1回廊と
遠くに 森林を望むことができる。
アンコールワットが発見まで
如何に森林の中に埋もれていたかが分かる。
第二回廊の内側に一辺60mの正方形
左右対称の造りになっている 第三回廊が聳え建つ。
その中央祠塔は アンコールワットの中心に位置し 最上部でもある。
地上から塔頂までの高さは65m(第二回廊からは34m)ある。
しかし 西参道から正面を見ると 5基ある塔堂は前後が重なって3基に見えるが
カンボジアの国旗にもあるように カンボジアを象徴する部分でもある。
かつて 神が君臨する場所とされ メール山(仏教の須弥山しゅみせん)を象徴しており
王位継承や五穀豊穣の儀式が執り行われていた。
しかし この中央祠塔に行くには
写真左にある傾斜65度の 急な階段を登らなければならない。
現在は手すりがあって 何とか昇降できるが
以前はその手すりがなく 昇降に大変難儀したようだ。
登るよりも 下る方が怖いほどだった。
ツアーは 西側の回廊から 第二回廊と第三回廊の間のテラスに出た。
いよいよ 中央祠堂だ。
手前 左右に「経蔵」2棟が建っているが
櫓が組まれ工事人が働き 修理補修中であった。
経蔵の先には 中央祠堂に上る階段があるが閉鎖されている。
ツアーは その前を通り過ぎ 北東方向へ進む。
第三回廊への搭楼は 階段一か所 人数が制限されているので
順番待ち 当方はその間に
一辺が100mある外壁の内側を一周してみた。
他の回廊より 経蔵のデバターが深く彫られており
また 連子窓が多く見られる。
十字回廊の北側 外側に出っ張った天井の高い部屋がある。
ここは 壁を背にして胸をたたくと その音が大きく反響して返ってくる。
建設当時 ここは その反響の音によって 王への忠誠を試す場所であったとか
また 病気かどうかを調べる場所とか諸説ある。
先客が 既に胸を叩いていた。
また 第一回廊で 野生のサルが突然出没してきて驚く。
サルも 神の使いとして生存しているようだ。
十字回廊 十字に区切られた中に 4つの「沐浴の池」の跡がある。
今は水はないが 神々に礼拝する前に王が身を清めた神聖な所であったという。
同じ沐浴の池跡は 第三回廊にも4つある。
このような高い場所で どのように水を引き込んだのか
また石積であるので漏水の恐れはなかったのか?
加えて4つも必要なのかと思うが。
写真でも少々雨水でろうか水がたまっているところ見ると
そんな心配はいらないようだ。
先にも話題にしたが そもそもアンコールワット全体が「水」に対しての信仰が大きく
水を司る者 水利権を持つ者こそ 王たる者に足りることになるのであろう。
また 沐浴だけでなく 水にまつわる儀式が行われていたのではないかと。
十字回廊の一角の柱に 日本人の落書き
つまり 森本右近太夫一房の墨書が見られる。
しかし その上からもかなり塗られていて
何が書いてあるかは 今は読み取ることはできない。
資料によれば 寛永九年(1632年)の日付と
「ここに仏四体を奉るものなり」とあり
父の菩提を弔うため また老母の後生を祈るために
仏四体を寄贈したと記されているという。
また これ以外に その周りには
有名無名の日本人たちが書いた落書きが14もあるという。
アンコールワットを見て 仏教の聖地「祇園精舎」と思い
訪れた人々の手によるもののようだ。
当時は 壮大な仏教寺院であり 日本にも知られており
右近太夫も 唐天竺の祇園精舎に来たと思ったのかもしれない。
多くの柱からなる十字回廊
第一回廊と第二回廊の間には高低差があるが
それを繋ぐ回廊が「十字回廊」。
日本語の「田」の字形に回廊が交差しており
囲まれた4つの桝には沐浴池の跡がある。
日本人の落書きがあるのも この回廊である。
回廊はすべて灰色の砂岩でできているが
天井などには彩色の名残があり
細密な彫刻が施してあるのも見える。
一方 柱にも少々色彩が見えるが これは “カビ” とのこと
また 柱の根元が細っているが
これは 水分を吸収しやすい砂岩のため
雨水の影響等を受けて剥離しているため。
閻魔大王のヤマ神は 18本の手に剣を持ち 牡牛に乗った姿で描かれている。
第一回廊・南面東側には 乳海撹拌に次ぎ 有名な死後の世界を表した
西から東に 長さ66m に及ぶ 壁画「天国と地獄」がある。
極楽界・裁定・地獄の上下3層で 時系列的に描かれ
途中からは ヤマ(閻魔大王)が現れると天国と地獄の2層になっている。
天国は 輿に乗った王族が日傘や団扇 蠅を追う扇を持つ従者を従え整然と行進をし。
扇の数が多いほど 位は上とのこと。
地獄では 舌抜き 火責め 針責め 鞭打ちなど 責めの苦を受ける人々の姿があり
また 閻魔大王に減刑を懇願する人々
痩せ衰えた亡者が首に縄をかけられて数珠繋ぎになり
象の鼻で逆さ吊りされている亡者など
見せしめのごとく ”拷問”の数々が描かれている。
あな恐ろしや!
下段左に地獄へ落される人たちが見える。 落とされた後は厳しい責めが行われる。
第一回廊・東面には アンコールワットの壁面浮き彫りの中で
最も有名な「乳海攪拌」がある。
神々と阿修羅たちが不老不死の薬アムリタを造り出すため
マンダラ山を采配者とし 大蛇を 綱代わりに海をかき混ぜるという。
(てっきり綱と思っていたら”大蛇”そうだ。)
ヒンドゥー教の天地創造の説話が 全長50mにわたり描かれている。
大亀クールマ(ヴィシュヌ神の化身)の背に大マンダラを載せ
両側から神々(右側)と阿修羅(左側)が大蛇(ヴァースチ)の
胴体を綱として引き合う大綱引き。
綱引きをしながら大海を1000年も続きかき回すと大海は乳色の海となり
当然 1000年もかき回されたら 魚も粉々状態で乳白色になるでしょうね。
海中から天女アプサラや ヴィシュヌ神の妻となるラクシュミーが生まれ
最後に不老不死の薬「アムリタ」が得られたという神話。
面白いのは 神々は阿修羅に比べて人数が足りなく
最後尾にはサルの将軍ハヌマーンが加わっている。
また 敵対する神々と阿修羅が 秘薬を造り出すために協力し合っているのだ。
しかし 後に 阿修羅たちは神々に騙されたことに気付き 一戦を交えることになり
最後には戦いに敗れて地獄に追い落とされてしまった。
神様の世界にあっても 悪い者には嘘をついている。
人間臭いですね。
アンコールワットには 高さ約1m 上半身裸の
「デバター」(女神)を 数多くみることができる。
その一体一体 顔や薄衣 装飾品が微妙に違い
何かしら気品が漂って魅力的だ。
しかし 女官や踊り子をモデルとして彫られていて
たまたまアンコールワットにあるので女神になっている。
この踊り子は カンボジアのアプサラダンス(宮廷舞踊)の踊り手で
天女の舞いを踊る踊り子。
当方には 踊るというよりも 「お・も・て・な・し」の歓迎のポーズで
回廊に招きいれているようにも見えた。
乳房の部分に光沢がみえるが これは かつては
金箔を貼るため漆を塗っていたのが
長年にわたり人に触れて光っているとか。
朝日観賞を終え 聖池脇を通り 回廊左(北西)側階段を登り 第一回廊へ進む。
第一回廊は、東西200m 南北180m の壁には多くの彫刻が施されている。
その主なものは
神々と阿修羅が不老不死の妙薬を手に入れるために
海を千年以上かきまわし続けたという
ヒンドゥー教の天地創造の物語“乳海攪拌”
インド古代の事詩“マハーバーラタ”の戦闘場面
天国 閻魔大王 地獄の責め苦に苦しむ人々を
上下三段に生々しく描いた“天国と地獄”
などが彫られているが よくも これだけ彫刻したものと感心される。
6:28 撮影
6時12分 アンコールワットをシルエットに
東南の方向から 赤く輝く太陽が昇り始める。
一斉にシャッター音が 鳴り始める。
水面に上下対称 鏡に映したように 寺院が浮かび上がってくる。
しかし 今朝は 快晴のため 雲がない!
写真で見るような 朝焼けに染まる寺院のシルエットは
残念ながら見られなかった。
快晴過ぎるのも考えもの
少々の雲は 空の いや”写真の褄”になりますね?
その数分後には 完全に夜が明けて 現実に戻ったように ・・・
「聖池」には 移り行く日の出の変化ともに 遺跡群を池に映す
“逆さアンコールワット遺跡”を撮る絶好の場所。
当初 日の出を見るのはと 現地ガイドに案内された場所(下写真)だが
たしか 池に映るアンコールワットを 写真で見ていたので ここではないと
単独行動で園場所を探し 当方がこの聖地に辿りついたときは
既にカメラ持参の人々で埋め尽くされていて 入り込む余地はない。
やっとのことで入り込むが ポジション的には気に入らず
また絶好の位置を求めていくが
日の出の時間が刻々と迫り 焦ってしまう。
この立ち並ぶ人々 皆外国人 カンボジアの人はいない。
アンコールワットは 世界遺産の中で7番目に登録されている
ほとんどの観光客は この光景を求めてきているのでは・・・と思うほど