あかない日記

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インド紀行 102 赤い印(ピンディー)

2016-02-14 | インド紀行

 

 

前回 ホテルの歓迎で「赤い印」に触れたが

これは「ビンディー」といい 原則として既婚で 

夫が存命中のヒンドゥー教徒の女性が

眉間の少し上につけている。

ビンディーは ヒンディー語で 

その語源はサンスクリットで「点」を意味する。

伝統的には赤い顔料 スィンドゥールで

小さな赤丸を描くが


近年では 装飾的なシールやアクセサリーも

多く使用されているという。

また 性別や既婚・未婚を問わず

聖職者や修行者がつけているものは ビンディーとは違い


「ティラカ」(またはティラク)といい

宗教的な装飾で

 
色や形で信仰する宗派を示すという。

こんな意味合いがあるのに

何故 観光客にまで付けてくれるのか?

単にファッション的で

観光客に喜ばれているからのようだ。

 

 


インド紀行 101 ゲイトウエイ・ホテル

2016-02-13 | インド紀行

 

3日目の行程を終了し 

今夜の宿泊ホテルは 宮殿ホテルではなく

タージ系の「ゲートウェイ・アーグラー・ホテル」へ

到着した時には 女性スタッフが 

当方の額に歓迎の“赤い印”をつけてくれた。


ホテルは タージ・マハルから

南へ約1kmの位置にあって

かつては「タージビューホテル」の

名であったが変わっている。


“タージビューホテル”とあるから 

タージ・マハルが見えるかと思ったが


聞けば 我々の部屋からは見えず 

ごく一部の部屋からは見えるという。


館内ロビー・廊下にも ムガル風の雰囲気が漂い

各種の土産店もあって 


食堂前ではインド楽器による生演奏もあった。

また 敷地は広く プールやテニスコートなどもある。

 


インド紀行 100 大理石店

2016-02-12 | インド紀行

 

 タージ・マハルの見学を終え 
アーグラー市内の大理石店へ案内される。

ここアーグラーは
大理石の象嵌細工の店が多くあり
インドの土産として人気がある。

 タージ・マハルでも触れたが
ペルシャから象嵌細工職人を呼び寄せていた。

その技術が今日まで引き継がれてきている。

ガイドの説明では 
この技術は 男性しか行うことができないそうだ。

また ここでも女性店員の姿はなかった。


店の中では 
職人が 弓状の棒で 手動グラインダ-を回して
貴石のチップを 研磨している。

この研磨により形を花や葉等に
調整して 薄片に仕上げていく。

その色とりどりの貴石を 図柄に合わせて
図柄が手彫りされた大理石に

埋め込み 接着剤で張り付けていく
緻密な作業で 作品にしていくと

店の説明があった。

 店内の陳列棚には トルコ石  珊瑚
マラカイト  ラピスラズリ 
パール
オニキスなどの 半貴石をはめ込んだ
作品が並んでいる。

この象嵌細工の価格は ピンからキリまでで
嵌め込まれている半貴石と細工の細かさと
全体の大きさで 価格が決まるそうだ。


インド紀行 99 黒いタージ・マハル

2016-02-11 | インド紀行

 

皇帝シャー・ジャハーンは

タージ・マハルのカ完成後 

対岸に黒い大理石を用いた使った

自分の霊廟も建設することを構想していた。

もし実現すれば ヤムナー川を挟んで

白と黒の霊廟が建つことになり


イスラーム建築の原則である

対称性(シメントリ)に則し

それこそ 南北に対称形が 果たされただろう。

しかし もうその頃には 国歌財政は傾き 夢は破れ 

更に 実の息子アウラングゼーブ帝に

幽閉されてしまった。


そして その死後は 廟を建てられることなく 

タージ・マハルの地下墓室に 

王妃の棺の横に そっと置かれてしまった、

北岸の胸壁と望楼は

その基礎工事の名残とも言われる。

 

 

 


インド紀行 98 モスクと迎賓館

2016-02-10 | インド紀行

モスク

 

廟内の見学を終え 外へ


廟の西側に 赤砂岩のモスク(マスジッド)と

 東側には 迎賓館(ミーマン・カーナ)が建つ。

特に モスクは 建設当時作業人の礼拝の為に建てたともいう。

この二つの建物は まったく同じ造り

どちらも横幅が65m 何もかも左右対称で


まさに典型的なシンメトリーになっている。


建物の外壁や内部に精緻な装飾が施されて

赤い壁面に白い塗料で描かれた象眼細工が鮮やかだ。

 

  


インド紀行 97 廟の内部

2016-02-09 | インド紀行

 

入場制限があるなど非常に混雑で 

警備員のホイッスルが鳴り響く廟内に入る。


中央に王妃の石棺が置かれ 扉で見えないが 


その左横には皇帝シャー・ジャハーンの

石棺が安置されている。


棺は イスラム教徒として 

頭をメッカの方角に向けているが 


皇帝の石棺の方が王妃の棺よりやや大き目。


息子のアウラングゼーブは 

父親の廟を造らずに 亡骸を王妃の隣に安置した。


このことが 完璧な左右対称(シンメトリー)を誇る

タージ・マハルで
唯一左右対称でないのが
 
この棺の安置室で “左右対称を壊した”と言われている。

なお この石棺は レプリカで 

本物は地下に安置されている。

大理石の棺には草花を連続模様にした象眼細工が施され

花の1つ1つに貴石が嵌め込まれている。

 

 


インド紀行 96 象嵌細工

2016-02-08 | インド紀行

 

白大理石の廟のいたるところに

ルビー サファイヤ アメジスト など


世界各国から取り寄せた最良の貴石がふんだんに使い


草花模様の象嵌がちりばめられている。


この白大理石は この付近では 採石できず


遠く300km先から運び込まれ 


ペルシャからも 象嵌職人を呼び寄せて 造らせている。

また この美しさを保つため 洗浄するのだが

石鹸水だけでも 汚れは落ち 

風雨にも耐えて変色もない。

こおして 500年も経っても

この白亜の廟として保たれている。

 

基台の床にも アラベスクと呼ばれる

幾何学模様が施されており


際限なく広がるイスラム教世界を表現している。

と ガイドの説明がある。 

 


インド紀行 95 アーチ

2016-02-07 | インド紀行

 

既に受け取ったシューズカバーを履き

 いよいよ霊廟内に入場。

見上げる入口アーチには 

イスラム教の聖典コーランの教義が刻まれている。


アラビア文字の装飾は 

上の方ほど大きな文字になっていて


離れて見た時に同じ大きさに

見えるように工夫されており。


また 紅玉石や孔雀石 トルコ石の精緻な象嵌で

 アラベスクの花装飾が為されている。


その外回りにはコーランの詞句が刻まれている。

その意味は「神のしもべとして入れ、神の庭へ」

と ガイドの説明がある。

 

 


インド紀行 94 ミナレット

2016-02-06 | インド紀行

 

廟の四隅に 高さ43mの

ミナレット(尖塔)がそびえているが

「皇妃に仕える4人の侍女」とも喩えられている。

訪れた時は そのうちの1本が

 お化粧?清掃作業のためか

足場が組まれていた。

 
「このミナレットをよく見てください。」

 続けて「傾いて見えませんか?」とガイドがいう。

そう言われば やや外側に傾いているようにも見える。

ガイドの説明では 地震等によって内側に倒れ

 廟を傷つけないようにと 計算された傾きが

施されているというのだ。

廟のバランスと 礼拝の時間を知らせるために

建てられたミナレットだが 

そんな隠された工夫があるとは・・・

 


インド紀行 93 ドーム

2016-02-05 | インド紀行

 

 

廟の巨大ドーム 高さ66m ひときわ高く

何とも言えない曲線とともに 青空に映える。

精工に削られた大理石で

曲線的に積み上げられ 造られている。


この大理石は 西インドのマクラーナーで 採掘されたもの。

最上部には ムガル建築の様式である

三日月と水差しを重ねた 飾りが見える。


繋ぎ部分には 蓮の花弁を象った飾りもある。

 この丸屋根の総重量は 1万2千トンもあるが

二重殻構造になっており


内部の天井と外の丸屋根との間は

空洞になっているという。

 


インド紀行 92 四分庭園

2016-02-04 | インド紀行

 

 霊廟からメインゲート方向を見る。 


霊廟前に広がる庭園には

規則的な4本の水路により 

田の字形の均等に4分割されている。


水路がクロスするところには池になって

水路にも噴水があり 霊廟のわき役を果たしている。


これは 天上の国を表し 砂漠の中の

オワシスでもあるペルシャ様式になっている。

また 23m四方の白大理石の基壇もある。

区画された庭は 更に均等に分割されて

どこまでも 正方形を基として

幾何学的に構成されている。


このような庭園(チャハルパーク)は

ムガル帝国時代の霊廟建築によく見られる。

庭園内には 季節によって 

いろいろな花が咲き 実を結ぶ果樹も植えられている。


水路の脇の糸杉と大きな樹木

また芝生は19世紀にイギリス人が作り変えたという。

なお 糸杉は死を意味し 

花咲く他の木は生を意味するそうだ。

 

 

 


インド紀行 91 タージ・マハル概要

2016-02-03 | インド紀行

 

 

「タージ・マハル」はヤムナー河畔の
塀で囲まれた 580m×300mの敷地を要し

四分庭園の先にある霊廟は
高さ7m 一辺94mの大基壇の上にあり
八角形の廟になっている。


その中央には 尖頭アーチ形の半ドームを
四方に面させた廟本体がそびえ
その上に 高さ 65mのドーム屋根をいただく。

 また 4隅にある尖塔(ミナレット)の高は42mと
四方いずれからも 同じように見えるようになっている。


総工費は 天文学的な予算が使われており

目の前にして その壮大さが 実感できる。

 建物の材料は 国内各地から調達しているが
ラジャスターン州のマカラナから大理石

ファティブル・シキリからは赤砂岩を
更に 外国からも金 銀 ダイヤモンド
エメラルド ルビー サファイア などを仕入れ
各所に使われている。

「このタージ・マハルの設計は
インド人ではなかった?

皇帝の墓碑には デリー城の設計にも参加した
イラン人のウスタド・アフマド・ラホーリーとさている。

しかし 諸説あり確かなことはわからない。

更に 二度と同じものができないように
完成後 携わった建築士たちの手が切り落された?」
と ガイドは言う。

また 霊廟内には 王妃と皇帝の宝石で
飾られた棺が 大理石の台座の上に安置されている。



インド紀行 90 王妃ムムターズ・マハル

2016-02-02 | インド紀行

 

 ウィキペディアから

 

5代皇帝シャー・ジャハーンと

王妃ムムターズ・マハルが 結ばれたきっかけは


皇帝が 城内で開かれたバザールで

宝飾品を売っていた 女性にひと目惚れし


その3年後に 結婚した。

そのとき 皇帝20歳  王妃は17歳。


王妃の名「ムムターズ・マハル」とは 

ペルシャ語で「宮廷の選ばれし者」という意味で



先帝の4代皇帝ジャハーンギール(在位 1605~1627)から

嫁ぐ際 授受された愛称。

本名は アルジュマンド・バヌ・ベグムといい

宮廷の名家の出身であった。


相思相愛の2人は 片時も離れることなく 

遠征にも 王妃と子供を 同伴するほどだった。 

しかし 王妃は 遠征先で発病し 

1630年に 36歳という若さで他界してしまった。


この18年間で 14人も出産している。 


20年間に16人を出産したハクスブルグ家の

マリア・テレジアに負けていない。


その死因は 14人目の出産時の産褥熱という。

苦楽をともにしてきた 妻の急死は

皇帝にとって 嘆き悲しませた。


王妃への限りない愛とともに

その悲しみを乗り越えるために

世界に二つと無い 二度と造ることの出来ないものをと

王妃との約束とおり

この霊廟を 建てたといわれている。




インド紀行 89 タージ・マハル

2016-02-01 | インド紀行

 

 

メインゲートをくぐると 

「世界でもっとも美しい建造物」

といわれる白亜の殿堂

「タージ・マハル」が目に飛び込んでくる。

何度も写真では見ているが 


実際に目にするタージ・マハルは 壮大で華麗だ。



「マハル」とは宮殿だが実際は霊廟

ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、

最愛の王妃ムムターズ・マハルの


死(1631年)を悼んで建造した。


因みに「タージ・マハル」は 


ムムターズ・マハルの「宮廷の選ばれし者」


という意味で名づけられたといわれている。


霊廟の建設に着手したのは 

1632年 日本では江戸時代


膨大な国家予算を投入し 毎日2万人を動員し

22年かけて1654年に完成している。

たった一人の女性・王妃のために建てたものが

1983年に 世界文化遺産に登録され 


今日も 観光客で溢れ 毎日約10万人が訪れている。