あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

信州紀行 別所温泉23 北向観音

2018-10-16 | 国内・長野

 

  

別所温泉の中心地にある北向観音へ

 

 

 

寺社は極楽浄土の方向である

東か南に向かって建てられるが


この本堂は北に向いていることから

通称「北向観音」と呼ばれている。


また 長野市にある善光寺に向かい合うように

建てられていることから「裏善光寺」ともいわれている。



長野の善光寺・阿弥陀には「未来往生来世の利益」を

北向観音・千手観音には「現世の利益」を祈願するが 


善光寺と北向観音のご利益は一体のもので

「一方だけでは片詣り」になるといわれている。

 

加えて その由来は

「北斗七星が世界の拠り所となるように
我も衆生のために常に拠り所となる。」

という観音のお告げによるものだともいわれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


信州紀行 別所温泉22 葵の湯

2018-10-15 | 国内・長野

  

 

 

温泉街の東南に 外湯「大湯」がある。
建屋は三層 唐破風の佇まい。

玄関脇には別称の「葵の湯」と
刻まれた碑が建ち ここも飲泉できる。


大湯は北条義政が浴室を設けたと
いわれる伝統ある外湯だが


作家吉川英治(1892-1962)の
「新平家物語」の中で

木曾義仲が愛妾葵御前とともに
大湯に入湯する場面があり

これから「木曾義仲が入浴した湯」
として「葵の湯」ともいわれている。


*「新・平家物語」1950-1957年まで「週刊朝日」に連載された。
現行版は吉川英治歴史時代文庫全16巻。新潮文庫全20巻



 

          

 

 

 


信州紀行 別所温泉21 真田氏隠し湯

2018-10-14 | 国内・長野




 

こちらは 温泉街の西南にある 
”真田幸村隠しの湯” と言われる「石湯」 

玄関わきに建つ「真田幸村公隠しの湯」の碑は
真田太平記の作者  池波正太郎(1923-1990)の筆という。

  
大河小説「真田太平記」で 重要人物 向井佐平次が
真田幸村と初めて逢うのも
真田幸村が女忍者お江(おこう) と結ばれるのも
この湯の岩の間から湧き出す温泉の白い湯気の中だった。

 

*「真田太平記」1974-1982年まで 週刊朝日に連載された。
単行本は 朝日新聞新装版全18巻 新潮文庫全12巻

 

 

 

 
こちらは 石湯から少々下った温泉街の中心部
 湯川沿いに木曽義仲ゆかりの大師湯」がある。

別所温泉には 3つある外湯の中で
一番小さな湯船になっている。

「大師湯」は 平安時代 825(天長2)年 
比叡山延暦寺の座主円仁慈覚大師が
北向観音堂建立のため別所温泉に来た際に
好んで入浴したことから大師湯と呼ばれるようになった。


かつては北向山に参詣した籠の者が
夜通し入替わり利用したので「籠の湯」とも

また 昔矢傷を負った堆子が 湯あみして傷を
いやしたので「雑子湯」とも呼ばれたこともある。

 

 

 


信州紀行 別所温泉20 安楽寺三重塔

2018-10-13 | 国内・長野

 

 

安楽寺本堂の裏から 石段を登っていく先
 木立の奥に三重の塔が見えてきた。

 

 


 

この八角三重塔は、2004(平成16)年 
建築部材の年輪年代調査により
1290年代(鎌倉時代末期)に建立されたと推定される建物で
時代背景から領主だった塩田北条氏が
寄進したものといわれている。


江戸時代以前に建てられた現存する唯一の八角塔で
禅宗様建築としては日本最古の建物とされ、

1952(昭和27)年に 国宝に指定されている。

 

塔の高さ18.75mで 一見 四重の塔のように見えるが

一番下の屋根は裳階(もこし)といい塔の庇になっていて

全体が中国宋時代の禅宗様(唐様)を
忠実に反映しており極めて貴重な遺構となっている。


2011(平成23)年には 
約60年ぶりに屋根(柿葺・こけらぶき)の全面葺き替え
 及び約90年ぶりに相輪(塔頭部)の補修が行われている。

 

内部には禅宗寺院には珍しく大日如来像が安置されている。

 


信州紀行 別所温泉19 別所温泉

2018-10-12 | 国内・長野

 

 

ここで「別所温泉」について 

資料によれば

1500年前 景行天皇の時代 日本武尊が東征の折に信濃に入り
別所のお湯で兵士の苦をいやすことができたので
「七苦難の湯」と名付けられ 
後このいで湯が長く栄えるようにと
「七久里の湯」と名付けられた。

このことが 別所温泉は
我が国最古の温泉ともいわれている。

または 平安時代(794-1185年)中期の
女流作家・清少納言によって書かれた「枕草子」にある
「湯は七久里の湯、有馬の湯、玉造の湯」(三名泉)
という一節の中の「七久里の湯」が
起源ではないかという説もある。

「別所」という地名が
初めて歴史に登場するのは 13世紀であり
その由来は「将軍塚」で有名な平維茂が
戸隠の「活鬼紅葉」という鬼女の退治を
北向観音に祈願して
首尾よく退治に成功したため
この地に「別業」(別荘)を建て
「別処」と言われ 後に別所となった。

 

12世紀に入ると別所は
木曽義仲が信州を平定するために
派遣した軍勢によって火を放たれ、
多くの寺院建築が灰になってしまったが
大悲殿ならびに安楽寺の八角三重の
塔だけは焼失をまぬがれた。
その後 焼失した別所の寺院は源頼朝
次いでに塩田北条氏によって
再建されることとなり大いに栄えた。
別所を含む塩田平が「信州の鎌倉」と
称されたのはこのため。

以来絶え間なく湧き出ている源泉は 
北向観音のご加護による霊泉であるとも。

泉質は 無色透明 単純硫黄泉で
胃腸病 リューマチ 神経痛皮膚病等に効き 
特に女性の肌によく「美肌美人湯」とも呼ばれている。

今も850年前から湧き続ける源泉の湧出量は 毎分1000リットル。

 


信州紀行 別所温泉18 安楽寺

2018-10-11 | 国内・長野

 

 

別所温泉街を進み北向観音の向かいに「黒門」がある。

説明文には
「黒門」は安楽寺境内の入口にあたり、
扁額の崇福山(そうふくざん)は安楽寺の山号である。

江戸時代 1792(寛政4)年 安楽寺13世南沖仏和尚の代に建てられた。
 寺院には各寺号の外に山号があり、寺域全体がこれにあたる。

山号は古く市街地を離れた山の中に寺が建てられたのが初めとされている。」

 

 

 

曹洞宗 崇福山 安楽寺 本尊は釈迦如来。

安楽寺は 天平年間(719年~49年)に行基が建立した、
または天長年間(824年~34年)に
創立されたともいわれているが
鎌倉時代以前の歴史は判然としていない。


安楽寺は 鎌倉の建長寺などと並んで
日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つだった。

その存在が 歴史的に裏付けられるのは、
鎌倉時代 実質的な開山である樵谷惟仙が住してから

しかし 1588(天正16)年)頃 曹洞宗に改めている。

鎌倉北条氏の外護によって信州の中心道場として栄え
多くの学僧を育てていたが

北条氏滅亡(1333年)後は
寺運も傾いて正確な記録も残らなかったが

国宝 重要文化財等 数多くの鎌倉時代の文化遺産を蔵して

信州最古の禅寺の面影を残している。




 

鐘楼は 1769(明和6)年 建立の
和様 禅宗様の折衷様式。

袴腰鐘楼としては この地方最大級である。

また 宝歴年間の古鐘は
太平洋戦争中金属供出でなくなり

現在の鐘は 1957(昭和32)年の鋳造されている。

 

 


信州紀行 別所温泉17 常楽寺

2018-10-10 | 国内・長野

 

 

地蔵堂から北東 一本道の突き当りに「常楽寺」がある。

常楽寺は、北向観音堂の建立された825(天長2)年に
比叡山延暦寺座主慈覚大師によって開かれ
慈覚大師円仁が開山した天台宗の寺で
古くから学問寺として名高く
創建当初より名僧高僧が修学したとされている。


また常楽・安楽・長楽という「別所三楽寺」の一つでもある。


その長楽寺は焼失し
現在は北向き観音堂の参道入口に碑を残すのみ。



 



本堂裏 825(天長2)年 火焔の中から
北向観音が この地に出現した場所に

 1262(弘長2)年の刻銘のある
「石造多宝塔」が保存されている。


高さ2m85cm 安山岩の石塔。

石造多宝塔は 鎌倉時代に天台教学の
拠点として大いに栄えた
常楽寺の歴史を証する貴重な文化財で
国の重要文化財に指定されています。

常楽寺は 北向観音をお守りする本坊で
ご本尊は「妙観察智弥陀如来」。




信州紀行 別所温泉16 七苦難地蔵尊

2018-10-09 | 国内・長野

 

 

早速 自転車にて観光開始!
駅から北 将軍塚交差点脇に
「七苦難地蔵尊」が納められた六角形の御堂ある。


別所温泉は "七久里の湯"と称し

平安時代中期に清少納言が執筆した枕草子の
一節第117段にある「湯はななくりの湯・有馬の湯・玉造の湯」
(この3つの温泉を日本三名泉としている)と記されていた名湯で
その名から"七苦離"に通じ7つの苦難から解放されると信じられた。


また 別所温泉には元々七つの源泉があり
それぞれ効能が異なる温泉」などの理由や鎌倉時代、
順徳天皇が編纂した「八雲御抄」の中に
七久里の湯は「信濃の御湯と同じ」との記述があり、
信濃の御湯とは即ち別所温泉の事とされている。

 
これらことから 北向観音の別当である常楽寺の地蔵尊を
ここに安置し七苦難地蔵尊として祀っている。


因みに「苦難」とは主観的なもので
身体的・精神的なものがある。

その数は七つより多いが・・・。


 

 


信州紀行 別所温泉15 レンタル自転車

2018-10-08 | 国内・長野

 

 

別所温泉駅に併設している観光案内所で

レンタルサイクルが貸し出されていることを知り

借りることにした。


この自転車は温泉協会の電動アシスト自転車で また無料なのだ。

坂道の多い温泉街を巡るには 大いに助かった。

 

別所温泉駅では 平成25年から

電動アシスト自転車を貸出し 現在6台を所有している。

それぞれ色別になっているそうだが 

すでに3台が貸し出されており 残りの一台を借り受けた。

 

 

 

 

 


信州紀行 別所温泉14 丸窓電車

2018-10-07 | 国内・長野

 

別所温泉駅の東側に 
上田電鉄オリジナルのモハ5250形が静態保存されている。

 


1928(昭和2)年に日本車輌(名古屋)で
3両製造された車両で1986(昭和61)年までの
750V時代の主力電車として使用された。


扉脇の戸袋窓が楕円形になっている独特の外観から、

鉄道ファンのみならず地元利用者の間でも
「丸窓電車」と呼ばれ人気があって

 

昭和59年には、「エバーグリーン賞」を受賞した。
因みに 現在 モハ5251は さくら国際高等学校で地域開放
モハ5252は別所温泉駅
モハ5253は長野計器株式会社電子機器工場で
丸窓電車資料館となっている。


 

 


信州紀行 別所温泉13 上田電鉄別所線

2018-10-06 | 国内・長野

 

 

画家の原田泰治(長野県出身)
デザインの1000系ラッピング電車

「自然と友だち1号」
 (2008(平成20)年運行開始

 

 

        田園風景の塩田平を疾走する カラフルなラッピング電車

 

 

 

  

別所線は上田市の南西部に広がる「塩田平」の
別所温泉と上田駅 11.6Km を約 30 分で結ぶロー カル線

1920(大正9)年 上田温泉電軌が開業した「川西線」がその始まり。

1939(昭和14)年 地方鉄道法による鉄道となって「別所線」になる。

また同年社名を「上田電鉄」(初代)と改称、
1943(昭和18)年には丸子鉄道(1916年設立)と合併し上田丸子電鉄となる。

 

乗客減少に悩む私鉄の中 2012年度から5年連続の乗客増加となり
上田電鉄移行前の2001年度以来15年ぶりに130万人台の輸送人員回復となった。

2020年には開業100周年を迎える。

 

 


信州紀行 別所温泉12 別所温泉駅2

2018-10-05 | 国内・長野

 

 



レトロな造りの駅舎の天井や窓枠・柱には色鮮やかな

タ-コイズブルーがさわやかな雰囲気を漂わせている。

 

 



現在の別所駅は 別所温泉協会に
窓口業務を委託する簡易委託駅となっている。


駅業務を担当する観光協会の女性職員は
「観光駅長」名義で 和装制服の袴を着用して

駅業務を担当していた。

 


信州紀行 別所温泉11 別所温泉駅

2018-10-04 | 国内・長野

 

 

 

山すその寺院群から 「別所温泉駅」へ

上田電鉄別所線の終点 
別所温泉駅は 文字通り別所温泉の玄関駅である。

 

別所温泉駅は上田温泉電軌によって
1921(大正10)年に開業している。

 

レトロな駅舎は昭和期に建て替えられ、
2008(平成20)年に創業当時をイメージして改装された。


因みに 駅名の「BESSHO」は 
ヘボン式表記の特例の綴りになっている。


また 駅舎の柱には標高約550mの表示もあった。

 

 

 

趣ある洋館風の駅舎は 映画・テレビのロケ地にも使われ
観光客のみでなく地元の人々にも愛されており
 上田市の「都市景観賞」にも登録(2017年)されている。

 

 


信州紀行 別所温泉10 龍光寺

2018-10-03 | 国内・長野

 

  

黒門と樹齢600年のケヤキ

 

 

塩野神社から西 「龍光院」 へ

黒門をくぐって参道を登って右手
 境内に正面に本堂 禅道場 庫裏 鐘楼
門の脇には 羅漢堂 観音堂が建ち並ぶ。

 

塩田北条氏の菩提寺で 
屋根の上に北条氏の紋「三ツ鱗」紋が見える。

創建は1282(弘安5)年 塩田北条国時が
父である義政の菩提を弔うため

月湲和尚を招いて開山したのが 始まりと伝えられている。

塩田北条氏は 守護職・重時の嫡男である
北条義政が所領であるこの地に住みつき
鎌倉に帰らなかったことから始まり3代にわたり続いた。

しかし 1333(元弘3)年
新田義貞に組した為一族が滅びその後衰退した。


1601(慶長6)年萬照寺六世瑞応が中興開山し
当初の寺号だった仙乗寺を 龍光院と改め曹洞宗の禅寺とした。

 

 

   
八角の羅漢堂には 釈迦如来を中心に阿難尊者
迦諾迦伐磋損者 迦葉尊などが 安置されている。


 


信州紀行 別所温泉9 中禅寺

2018-10-02 | 国内・長野

 

 

中禅寺の入り口 正面は「独鈷山」

 

 本堂

 

中禅寺の創建は天長年間(824~34年)弘法大師空海が
雨乞いの祈祷をする為に草庵を結んだのが
始まりと伝えられている。

その後 源頼朝 塩田北条氏などに庇護され
寺運が隆盛したとも伝えられているが 

永享年間(1429~41)1665(寛文5)年、
1720(享保5)年と度重なる火災にあい

多くの堂宇 寺宝 記録などを焼失し
詳細は 不明な点が多いという。


1734(享保19)年に 祐精法印が中興開山し
現在の本堂を建立している。

 

       

    仁王門の金剛力士像  阿形(右)と吽形(左)

 

二像とも小振りで高さ約2m余だが 
金剛力士像の特徴がよく表されている。

 
また平安後期の像としては全国的にも数が少なく
当寺院及び当地方の繁栄を具体的に伝えている。