アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

なぜ暗譜できなくなったのか

2013年06月27日 | ピアノ
十年前の自分の演奏を見て、何がびっくりしたって、暗譜で演奏していたってことなのだが(^^;;

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私にとっては、頭真っ白、手がちがちの黒歴史だからなんか無意識に封印してたのか? あの発表会は…

メンデルスゾーン無言歌の「さすらい人」を弾いたことは覚えていたけど、暗譜で弾いたことは意識にのぼっていなかった。思い起こしてみれば、あのトラウマでもって暗譜を封印し、以後は楽譜を置いて弾くと決めてしまったのだった。

しかし、その後、暗譜で弾くことを思い立って試してみたこともあったけれど、やっぱりどうもうまくいかなかったのだ。

私はなぜ、暗譜ができなくなってしまったのだろう。


よく、年とって(笑)暗譜できなくなったとかいうけど、これはたった10年前の話、しかもピアノ再開すぐ。もう記憶力はくたびれてる年である。いやもっとくたびれたことは否定しないけれど、その分、ピアノ経験に関しては段違い、アドバンテージもあるはずなのに??

「黒歴史」の自分なりの消化というか反省のポイントとして、あれは「手で覚えて弾いていた」というのがあった。手の感触、運動で覚えてなんとなく弾いていたので、緊張で手がこわばったときに感触が狂うと、もう冷静さを失う一方、頼る部分がなくなってしまって底なし沼へ。

それから、自分の出す音を聞きつつ、これから弾く音を想像しつつ、音に合わせて弾くようなイメージに意識して切り替えていった、ように記憶している。

それはそれでまっとうなアプローチなのかな?? と思うし、実際そうやって10年弾いてきた結果、何が進歩したって、べらぼうに譜読みスピードがアップしたのだ。これはともかく間違いないところだ。

ただ、そこまで辿ってみて気がついたのだが、昔だったらひとつの曲にもっとずっとずっと時間をかけていたはず。譜読みするのに時間がかかったし、バイオリンもブログもやってなかったし(笑)、ピアノを弾くときはわりと頭空っぽにしてちゃかちゃか弾くことがストレス解消だったというか。

要するに、頭空っぽで、長期間・長時間、一曲を弾きまくっていたわけで、これは運動としての記憶(手で覚える)条件としてはよさそうである。

そして今や、ひとつの曲をさっと弾いて次と、ほとんど毎週のようにあれこれのオフ会に参加したりとか、曲サイクルが短くなっているうえに、練習時間が短い。たとえば、特に譜読みしやすかった曲、シューベルトの即興曲op142-2あたりだと、思い立ってから一週間後くらいには人前で弾いたりしているけれど、平日はいいとこ20分かそこら、週末でも1時間くらいとするとトータル3時間くらいしか練習してない勘定になる。単純な記憶力は10年分老化しているところへこれでは覚えられるわけがない。

でも、聴いて弾く、考えて弾く習慣は格段に伸びたのだから、ここでもう一度、昔と同じとはいわないまでもどれか一曲に注力して運動方面に時間をかければ、同等以上に暗譜で弾けてもおかしくはないんじゃないだろうか。もしかして一番重要なポイントは、昔は「人前で弾くなら暗譜が当然」という思い込みがあったのに、それがなくなってしまったことなのかも!?

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