アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

生きているという実感

2013年09月18日 | 生活
これからの人生で、どんな成り行きが起ころうが私が挑戦する可能性が一切ないことって…まぁいろいろあると思いますが、最たるものが「登山(高尾山じゃなくて本格的なやつ)」ですね。

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いや正直なところをいえば高尾山ですら私は別に行きたくないのだが。体力なく注意力なく、リスクを取るということが著しく嫌いなので、うっかりすると命が危ないような登山というのは、まったく理解の範疇を超えている。(なにしろリスクが嫌いだから、自転車にも乗らないし子連れ海外旅行もしないくらいなのだ)

だから、全人類の中で私の対極にいるといってもいい、180度離れた人種が、登山家と呼ばれる人たち。

リアル世界ではまったく接点のない話だが、aniaさんから貸してもらった「凍」(沢木耕太郎著)はおもしろかった。

「鉄」にも「乗り鉄」とか「撮り鉄」とかいろいろあるように、登山家にもいろいろな流儀というか価値観があるものらしい。エベレスト登頂とかいうとそれだけでありえない世界なので私にとってはみんないっしょだが、この本で描かれている登山家、山野井氏にとっては、チームでノーマルルート(いちばん登りやすいコース)を行くような登山には、それがエベレストであってもあまり価値を感じないらしい。

こういう、高すぎる山に登るには、
・重装備、チームでなるべく山頂近くにキャンプを作り、そこから代表者が山頂を目指す。酸素ボンベあり。
・軽装備、ひとりまたは少人数で素早いアタック。酸素ボンベなし。
と、大きく分けて二つの方法があり、山野井氏は徹底して後者にこだわっている。

8000m超の山をいくつ制覇したというようなコレクション思想とか、どれだけ有名になったとか、そんなことはどうでもいい。「八千メートル以下でも、素晴らしい壁があり、そこに美しいラインを描いて登れるなら、その方がはるかにいいという思いがあった。」ラインというのは、合理的なルート・ファインディングの結果のことである。「自分が登ることで壁に一本のラインが引かれる。山野井にとっては、そのラインの美しさが何より大事なことであり、ギャチュンカンはまさにそうしたラインを引ける山のようだった。」

こうしたメンタリティーはもちろん、一朝一夕に形成されたものではない。子どものころ、彼は一見、昆虫好きの平凡な小学生だったが、その実、みんなが楽しんでわいわいやっているようなことになんとなく空しさというか、何がおもしろいのかわからないというような冷めたところがあった。彼がほかの子と違っていたのは、みんながビビるような高いところに登ったり、そこから飛び降りたりというような危険なことが難なくできること、というより、そのスリルでようやく「生きてる」実感が味わえるということだったらしい。

そして、山登り、さらにはロッククライミングにハマり、中学生のときには自己流で危険な(ロープなど確保のない)フリークライミングをしていた。あるとき落下してかなりの怪我をして、親も猛烈に怒るのだが、逆に山野井少年の気迫に押されて、ちゃんとしかるべき団体に所属して指導を受けるならばOKという承諾(しぶしぶ?)を出すに至る。

こういう、「危険」を中毒的に求める人はたまにいるが、この資質にはものすごく大きな男女差があって、こういう人種は男性に多く、女性には非常に少ない、というかほとんどいないと思っていたんだけど…

今回、私がこの本を読んで度肝を抜かれたのは、山野井氏には妻がいて、その妻がまた輪をかけた(という言い方も変だが)登山家だったことだ。しかもこの妻(妙子さん)というのが、強靭な体力、女性にしては恵まれた体格、サバイバルな家事能力から、英語、経理、事務手続き能力まで、およそ登山に必要な能力をすべて高いレベルで備えた奇跡の人材なのだ。

こんな貴重な人材をゲットする山野井氏の人間的魅力ってどんだけ(o_o)

結局、本を読んでも、「ラインの美しさ」がどうとか、私にとって登山というものの価値が理解できたわけじゃないんだけれども、困難に向かっていくものすごいエネルギー(しかも夫婦で!!)に押されて、なんか無理やり感動させられてしまったような気がする。

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コメント (4)
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