ストイックに厳しい登山を続け、常に命をリスクにさらし続けることで「生きているという実感」を得るタイプの山野井氏に、それを応援してくれるばかりでなく、一緒にそういう登山ができてしまう妻がいることに驚愕したと書いた。
←よしぞうは私とすごく違う人種だと私は思っているけれど、傍から見たらまた別かもね
まさに、レアもの同士の似たもの夫婦。よくぞ出会った、というか、まぁたぶん出会うこともお互い惹かれあうことも運命というか必然なのだろうけど。
しかし、だいたいにおいて、人は大きく言って「似たもの同士」で集まると、その中での違いが際立って感じられるものだ。この夫婦も「命知らず」の中身、キャラクターがすごく違う、らしい。
のんべんだらりとした平和な生活の中では、生きてるって感じがしない山野井だが、実際に危険な登山にいよいよとりかかるときは「恐怖心」というものにとりつかれるらしい。それを振り払って登っていくわけだが。
一方、妻の妙子のほうは「本質的に恐怖心というものを持っていないらしい」という。それは、山を登る上で利点でもあるし、文字通り致命的な欠点でもある。恐怖があるから慎重さや緻密さが生まれる。山野井には恐怖心があり、ある意味「臆病」であるからこそ、命を落とすことのないよういろいろな策を講じ、五感を働かせて、的確な判断を下すことができる。
妙子はそのような山野井の慎重さや判断力に絶大な信頼を置いている。
つまり、ある意味、山野井のほうが優れたクライマーであり、優れた技術を持っているのだが、アタックの前夜に緊張で上の空になったりしている山野井に対して、妙子はあくまで普段どおり。ベースキャンプの世話をしてくれているギャルツェンと、「あの料理の味付けはどうするのか」とか、「帰りのヤクは何頭くらいで間に合いそうだ」とか、そんな日常的な会話をしている。
山でどんな危機的状況に陥ってもパニックにならない。不思議なバランス感覚を持っていて、無駄な力を使わずに歩ける。
似たところから惹かれあって、違うところを理解して尊敬し合う。
そうやって強い力でパートナーになっている夫婦が、何度も雪崩にのまれて日程も遅れに遅れ、凍傷や視力低下に悩まされる極限状態にあっても、ぎりぎりのところでサポートし合ってとにかく生きて帰ってくる。そのドラマは、私が前回の記事で「なんか無理やり感動させられてしまった」と書いた部分である。
「妙子は、僕にとっては最高のパートナーかもしれない。たとえ厳しいクライミングを追求しても決して反対はしないし、時には一緒にも登れる。家の中では、僕は山のことばかり考えているが、妙子は家事に大変興味をもっており、我が家はうまい具合にバランスがとれている。これがもし、二人ともクライミングのことばかり考えている夫婦であったら、家庭の中が緊張して窮屈な雰囲気になってしまうだろう。今でも残っているよい思い出は、足の骨折で入院中の病院を抜け出し、山梨県の岩殿山に登ったときのことだ。僕はギプスをつけたまま、妙子は凍傷で切った指の痛みに耐えながらの登山ではあったが、春の山はとても暖かで幸せであった。」(「垂直の記憶」山野井泰史)
…どこがどうバランスがとれているんだ…というツッコミは、この場合、よそから入れてもなんの意味もないであろう。っていうか、骨折と凍傷の治療中で山登りとか意味わかんないんですけど…
それで、山野井氏の言う「臆病」「慎重」の中身というのが、
「山野井は無線や衛星電話などで天気の情報を手に入れることをしない。それは酸素ボンベをかついで登るのと同じようなことのような気がするからだった。」
(オーバーシューズについて)「多くの人がヒマラヤの高所登山では履いているし、妙子も必ず履いていた。しかし、山野井の美意識には合わないものだった。酸素ボンベをかつぐというほど醜悪ではないにしても、できるだけ軽やかにというアルパイン・スタイルの登山にはふさわしくないように思えたのだ。」
という具合に、常に美意識の数歩後にしか位置しないものであるらしい。
まぁ私が妻だったら(という仮定に宇宙的な無理がありすぎて説得力がないが)、「手に入る情報を手に入れないのはただのバカじゃ!! このスカタン!!」と説教するだろうけど、妙子さんはそんなことはいわないわけで。
たいへんな凍傷にかかって命からがら生還したあとも、病院の中で数日たって体が動かせるようになるとすぐに腹筋などの運動を始めた妙子さん。一方、指を失ってもうぎりぎりのクライミングができないことで呆然として、何をする気も起きずただ食べ続けていた山野井氏。
それでも結局、途中で我に返ったらしい山野井氏はつらい手術にも耐え、結局退院後は二人の田舎生活に戻り、トレーニングから…また山へ…懲りないよねぇ…
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←よしぞうは私とすごく違う人種だと私は思っているけれど、傍から見たらまた別かもね
まさに、レアもの同士の似たもの夫婦。よくぞ出会った、というか、まぁたぶん出会うこともお互い惹かれあうことも運命というか必然なのだろうけど。
しかし、だいたいにおいて、人は大きく言って「似たもの同士」で集まると、その中での違いが際立って感じられるものだ。この夫婦も「命知らず」の中身、キャラクターがすごく違う、らしい。
のんべんだらりとした平和な生活の中では、生きてるって感じがしない山野井だが、実際に危険な登山にいよいよとりかかるときは「恐怖心」というものにとりつかれるらしい。それを振り払って登っていくわけだが。
一方、妻の妙子のほうは「本質的に恐怖心というものを持っていないらしい」という。それは、山を登る上で利点でもあるし、文字通り致命的な欠点でもある。恐怖があるから慎重さや緻密さが生まれる。山野井には恐怖心があり、ある意味「臆病」であるからこそ、命を落とすことのないよういろいろな策を講じ、五感を働かせて、的確な判断を下すことができる。
妙子はそのような山野井の慎重さや判断力に絶大な信頼を置いている。
つまり、ある意味、山野井のほうが優れたクライマーであり、優れた技術を持っているのだが、アタックの前夜に緊張で上の空になったりしている山野井に対して、妙子はあくまで普段どおり。ベースキャンプの世話をしてくれているギャルツェンと、「あの料理の味付けはどうするのか」とか、「帰りのヤクは何頭くらいで間に合いそうだ」とか、そんな日常的な会話をしている。
山でどんな危機的状況に陥ってもパニックにならない。不思議なバランス感覚を持っていて、無駄な力を使わずに歩ける。
似たところから惹かれあって、違うところを理解して尊敬し合う。
そうやって強い力でパートナーになっている夫婦が、何度も雪崩にのまれて日程も遅れに遅れ、凍傷や視力低下に悩まされる極限状態にあっても、ぎりぎりのところでサポートし合ってとにかく生きて帰ってくる。そのドラマは、私が前回の記事で「なんか無理やり感動させられてしまった」と書いた部分である。
「妙子は、僕にとっては最高のパートナーかもしれない。たとえ厳しいクライミングを追求しても決して反対はしないし、時には一緒にも登れる。家の中では、僕は山のことばかり考えているが、妙子は家事に大変興味をもっており、我が家はうまい具合にバランスがとれている。これがもし、二人ともクライミングのことばかり考えている夫婦であったら、家庭の中が緊張して窮屈な雰囲気になってしまうだろう。今でも残っているよい思い出は、足の骨折で入院中の病院を抜け出し、山梨県の岩殿山に登ったときのことだ。僕はギプスをつけたまま、妙子は凍傷で切った指の痛みに耐えながらの登山ではあったが、春の山はとても暖かで幸せであった。」(「垂直の記憶」山野井泰史)
…どこがどうバランスがとれているんだ…というツッコミは、この場合、よそから入れてもなんの意味もないであろう。っていうか、骨折と凍傷の治療中で山登りとか意味わかんないんですけど…
それで、山野井氏の言う「臆病」「慎重」の中身というのが、
「山野井は無線や衛星電話などで天気の情報を手に入れることをしない。それは酸素ボンベをかついで登るのと同じようなことのような気がするからだった。」
(オーバーシューズについて)「多くの人がヒマラヤの高所登山では履いているし、妙子も必ず履いていた。しかし、山野井の美意識には合わないものだった。酸素ボンベをかつぐというほど醜悪ではないにしても、できるだけ軽やかにというアルパイン・スタイルの登山にはふさわしくないように思えたのだ。」
という具合に、常に美意識の数歩後にしか位置しないものであるらしい。
まぁ私が妻だったら(という仮定に宇宙的な無理がありすぎて説得力がないが)、「手に入る情報を手に入れないのはただのバカじゃ!! このスカタン!!」と説教するだろうけど、妙子さんはそんなことはいわないわけで。
たいへんな凍傷にかかって命からがら生還したあとも、病院の中で数日たって体が動かせるようになるとすぐに腹筋などの運動を始めた妙子さん。一方、指を失ってもうぎりぎりのクライミングができないことで呆然として、何をする気も起きずただ食べ続けていた山野井氏。
それでも結局、途中で我に返ったらしい山野井氏はつらい手術にも耐え、結局退院後は二人の田舎生活に戻り、トレーニングから…また山へ…懲りないよねぇ…
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