バイリンガルといっても、英語と日本語とかいうことじゃないんですけど…
←言語は道具ではない!?
先日、shigさん夜毎屋さんといっしょにお昼ごはんを食べているとき、夜毎屋さんが
「何か取るものいる?」
と聞いた。するとshigさんが
「『何か取るもの』というと、箸なのか皿なのか、はたまた食べるものなのか、三通りの可能性があって絞れないよね?」と言い出した。
私に同意を求めているようだったけど…そこは同意できない。
「いや、私はそのうちここでは『箸』の一択だと思いましたよ」
実際、それで正解だったのだが。
「けどいったいなんで絞れるの?」とshigさん。
「経験かな…!?」と私。
しかし、経験というのも不明確な回答で、そもそも経験から何を拾って結び付けていけば学習できるのか述べていないものね。まじめに考えてみると、シチュエーションとか、夜毎屋さんの微妙な動作とか、目線とか、そういう非言語の手がかりを総合して「すっと通じる」ものだと思うんだけど。そんなに分析的に考えたことはない。
それから、コミュニケーションギャップの話になったり(だいたい話が通じてないことが多いんだよ…でも夫婦間はギャップがあっても愛で乗り越えられるからいいんですよね?? とか)、あと、
男性は会話に情報交換を求め
女性は会話に情動交換を求める
とか。
なんでも、数日前にshigさんたちが五、六人でごはん食べてたとき、shigさんとartomrさんはなんか音楽の小難しい議論をしており、夜毎屋さんほか女性陣プラス男性ひとりが「野菜を小分けにして冷凍する話」で盛り上がっていたんだとか。と、いうことを、shigさんは最初「長ネギを小分けにして冷蔵するとかそんな話」と言っていたのだが私が「それ、たぶん冷蔵じゃなくて冷凍でしょ? 刻んで冷蔵してたらすぐ香りが飛んじゃいますよ」とツッコミ、夜毎屋さんも「そう、冷凍」といっていた。shigさんは「ともかくー、オレはちまちま冷蔵するとか冷凍するとかそういう話にまったく興味がないんだよ!!」
実際のところ、冷凍冷蔵のhint&tipsにどれだけ具体的な興味があるかというのはさておき、なんでもいいからある程度理解できる話題があったら、あとはまぁそれを肴におしゃべりしてるってのが楽しいっていうかね。私も基本はそっち派です。
ピアノとかバイオリンとかは確かに「趣味」だけど、それもこれも結局一番好きなのはアフター××でしゃべるほう。中学受験も趣味といったらおかしいけど、なんだかんだいってある程度共通の話題があって、ノリが合う人であれば、とにかくしゃべるというのが一番好きなことです。
そういう「女子トーク」は、テーマがあるようなないような、飛ぶし混ざるし、結論ないし、あらかたの男性にはけっこう辛いらしい。冷凍冷蔵話に積極的にからんでいた男性一名は、「女子力」高いということで定評があるそうで、たまにそういう人いるよね。
私は基本的に文系資質の持ち主であり、情報交換じゃない「おしゃべり」が大好物なのだけれど、
小学校低学年から、Mさん(子どもたちのピアノの先生のだんなさん)から物理や電気や天文のレクチャーを受けたせいか
バイリンガルに育った(笑)
#ちなみにMさんも、奥さんたちの会話は飛び過ぎでついていけないそうだ(が夫婦仲はよい)
それが高じて大学も理系に進み(←向いてないのに)、そうしたらとてもモテた。
私に直接会ったことがある人なら当然わかると思うけれど、かわいいからモテたわけでも、一般的な意味での「女子力(気働き)」が高いからモテたわけでもまったくなく、
単にバイリンガルで男子ノリの話がいくらでも聞けたからモテた。
そういえば今日たまたま読んでた本(「街場の文体論」内田樹)に「言語は道具ではない」という一節があって、
「外国語の学習というのは、本来、自分の種族には理解できない概念や、存在しない感情、知らない世界の見方を、他の言語集団から学ぶことなんです。」
つまり英語でコミュニケーション、自己表現するとかじゃなくてね。言語は道具です、なんていってるといつまでもトラベル英会話で終わってしまい、外国語を学ぶ一番味わい深いところは出てこない。
「浴びるように「異語」にさらされているうちに、あるとき母語の語彙になく、その外国語にしか存在しない語に自分の身体が同調する瞬間が訪れる。それは、ある意味で、足元が崩れるような経験です。自分が生まれてからずっとそこに閉じ込められていた「種族の思想」の檻の壁に亀裂が入って、そこから味わったことのない感触の「風」が吹き込んでくる。」
私にとって、英語のおもしろさというものはそういうものだったし、そういう意味で私が「語学が得意」であるからこそのバイリンガル体験だったような気がする。
英語と日本語、男と女、理系と文系、ま、どういうくくりでもいいんだけれど、自分の軸足がどちらかにあって、その逆側の言語を学習する。そしてそこから新しい「風」が吹き込むのを感じる。それが人生の醍醐味かなと思う。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←言語は道具ではない!?
先日、shigさん夜毎屋さんといっしょにお昼ごはんを食べているとき、夜毎屋さんが
「何か取るものいる?」
と聞いた。するとshigさんが
「『何か取るもの』というと、箸なのか皿なのか、はたまた食べるものなのか、三通りの可能性があって絞れないよね?」と言い出した。
私に同意を求めているようだったけど…そこは同意できない。
「いや、私はそのうちここでは『箸』の一択だと思いましたよ」
実際、それで正解だったのだが。
「けどいったいなんで絞れるの?」とshigさん。
「経験かな…!?」と私。
しかし、経験というのも不明確な回答で、そもそも経験から何を拾って結び付けていけば学習できるのか述べていないものね。まじめに考えてみると、シチュエーションとか、夜毎屋さんの微妙な動作とか、目線とか、そういう非言語の手がかりを総合して「すっと通じる」ものだと思うんだけど。そんなに分析的に考えたことはない。
それから、コミュニケーションギャップの話になったり(だいたい話が通じてないことが多いんだよ…でも夫婦間はギャップがあっても愛で乗り越えられるからいいんですよね?? とか)、あと、
男性は会話に情報交換を求め
女性は会話に情動交換を求める
とか。
なんでも、数日前にshigさんたちが五、六人でごはん食べてたとき、shigさんとartomrさんはなんか音楽の小難しい議論をしており、夜毎屋さんほか女性陣プラス男性ひとりが「野菜を小分けにして冷凍する話」で盛り上がっていたんだとか。と、いうことを、shigさんは最初「長ネギを小分けにして冷蔵するとかそんな話」と言っていたのだが私が「それ、たぶん冷蔵じゃなくて冷凍でしょ? 刻んで冷蔵してたらすぐ香りが飛んじゃいますよ」とツッコミ、夜毎屋さんも「そう、冷凍」といっていた。shigさんは「ともかくー、オレはちまちま冷蔵するとか冷凍するとかそういう話にまったく興味がないんだよ!!」
実際のところ、冷凍冷蔵のhint&tipsにどれだけ具体的な興味があるかというのはさておき、なんでもいいからある程度理解できる話題があったら、あとはまぁそれを肴におしゃべりしてるってのが楽しいっていうかね。私も基本はそっち派です。
ピアノとかバイオリンとかは確かに「趣味」だけど、それもこれも結局一番好きなのはアフター××でしゃべるほう。中学受験も趣味といったらおかしいけど、なんだかんだいってある程度共通の話題があって、ノリが合う人であれば、とにかくしゃべるというのが一番好きなことです。
そういう「女子トーク」は、テーマがあるようなないような、飛ぶし混ざるし、結論ないし、あらかたの男性にはけっこう辛いらしい。冷凍冷蔵話に積極的にからんでいた男性一名は、「女子力」高いということで定評があるそうで、たまにそういう人いるよね。
私は基本的に文系資質の持ち主であり、情報交換じゃない「おしゃべり」が大好物なのだけれど、
小学校低学年から、Mさん(子どもたちのピアノの先生のだんなさん)から物理や電気や天文のレクチャーを受けたせいか
バイリンガルに育った(笑)
#ちなみにMさんも、奥さんたちの会話は飛び過ぎでついていけないそうだ(が夫婦仲はよい)
それが高じて大学も理系に進み(←向いてないのに)、そうしたらとてもモテた。
私に直接会ったことがある人なら当然わかると思うけれど、かわいいからモテたわけでも、一般的な意味での「女子力(気働き)」が高いからモテたわけでもまったくなく、
単にバイリンガルで男子ノリの話がいくらでも聞けたからモテた。
そういえば今日たまたま読んでた本(「街場の文体論」内田樹)に「言語は道具ではない」という一節があって、
「外国語の学習というのは、本来、自分の種族には理解できない概念や、存在しない感情、知らない世界の見方を、他の言語集団から学ぶことなんです。」
つまり英語でコミュニケーション、自己表現するとかじゃなくてね。言語は道具です、なんていってるといつまでもトラベル英会話で終わってしまい、外国語を学ぶ一番味わい深いところは出てこない。
「浴びるように「異語」にさらされているうちに、あるとき母語の語彙になく、その外国語にしか存在しない語に自分の身体が同調する瞬間が訪れる。それは、ある意味で、足元が崩れるような経験です。自分が生まれてからずっとそこに閉じ込められていた「種族の思想」の檻の壁に亀裂が入って、そこから味わったことのない感触の「風」が吹き込んでくる。」
私にとって、英語のおもしろさというものはそういうものだったし、そういう意味で私が「語学が得意」であるからこそのバイリンガル体験だったような気がする。
英語と日本語、男と女、理系と文系、ま、どういうくくりでもいいんだけれど、自分の軸足がどちらかにあって、その逆側の言語を学習する。そしてそこから新しい「風」が吹き込むのを感じる。それが人生の醍醐味かなと思う。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)