ふだん、私にとって、ウクレレというのはあまり見かけることもない馴染みの薄い楽器だけれども、たまたま縁あってその演奏を耳にして、その縁を辿ってわざわざウクレレのコンサートを聞きにいき…
←ウクレレの本を買ったわけじゃないんです
その帰りに、本屋に立ち寄った。
本を買うときはお手軽にポチッとすることが多いけれど、たまに実店舗に行くとやっぱり違う。何も目的なく歩いているけれどふと目に留まる本があって、つい色々と買ってしまう(「要らないものは買わなくちゃ」)。
その中でまた思いがけずウクレレと出会ってびっくり。全然音楽の本ではないんだけど。
「家裁の人」から君への遺言 佐世保高一同級生殺人事件と少年法」毛利甚八
毛利氏は、私も全部読んだ「家裁の人」という人気漫画の原作を執筆した人だ。驚くことに、彼は別に法律や裁判事情に詳しかった人ではまったくなく、かといって実地を詳しく取材したわけでもないそうだ(というか、できなかった)。
知らないからこそ(?)現実から乖離した、少年事件を本気に丁寧に扱うしかも有能な裁判官というキャラクターを活躍させたともいえる。実際とは関係なく作ってしまった作品世界だけれども…案外、ホンモノの法曹からも反響(微妙な反響または反感含む)は大きかった。
ともかくそれをきっかけに、毛利氏は2003年ごろから少年院の篤志面接委員をするようになった。
始めは、いろんな話を語って聞かせたり、音楽を聞かせたりしたのだけれど、反応は薄く(というかわかりにくく)、役に立っているのかいないのか、手ごたえはなかなかつかめなかった。
そこから、一年半ほど立って、「楽器の弾き方を教えれば、この子たちの表現能力も伸びるんじゃないだろうか?」ということを思いつき、ギターを持っていった。
でも、ものすごく簡単なものを試してもなかなかうまくいかず、気が付いたことには彼らの手がものすごく未発達である(ことが多い)ということ。遊びにせよ仕事にせよあまり手を活発に使ったことがないらしい。
#一般的なことなのかどうかわかりませんが
結局、ギターは難しすぎて、それらしい演奏にすることは不可能。できる子とできない子の差もものすごく大きく、授業で一体感を作れず挫折。
そのあとまた思いついたのが「ウクレレ」。ギターより小さくて、指の当たりもやわらか。
「C」の弾き方を教えたら全員が一発で「ぽろろん」と弾けた!! (そんなことはギターのときにはついぞなかった)
音が出た瞬間に、緊張していた少年の顔がみるみる喜びでほころぶ。
そののち、院長の特別なはからいで、ウクレレ四本が装備されて(毛利氏が持っていくのは二本)画期的に授業がやりやすくなった。コードの種類も増やして「C」「F」「G7」、きよしこの夜を伴奏できるようになったりして。
さらには、自分の体験から「詩」を書かせて、オリジナル曲を作り、練習して演奏してCDを作るなどという、最初から考えるとほとんど「ミッションインポシブル」にも挑戦するようになる。
----
いつのまにか「少年たちに何かを教える」という気持ちはまったくなくなっていた。
むしろ自分の持っている技能や価値観が少年たちによって試され、照らされて、少年院に暮らす子どもたちに自分の真贋を判定されているのだと、考えるようになっていた。
----
少年たちとウクレレ上達を喜び合う瞬間はとても楽しいわけだけれど、彼らの未来は決して易しいものではない。でも、言葉での表現が難しい子も多い中で、音楽という異なる方法での表現をするという「行動のレパートリー」が少し増えたことは何か微妙なところで(でも決定的な)「よいこと」をもたらすような気がする。
音楽って、というか、ウクレレってすごい。
ギターでもダメだった。ピアノなんて論外。軽くて小さくて高くなくて、みんなで弾いてもうるさくなくて、気持ちが優しくなる音が響く楽器。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←ウクレレの本を買ったわけじゃないんです
その帰りに、本屋に立ち寄った。
本を買うときはお手軽にポチッとすることが多いけれど、たまに実店舗に行くとやっぱり違う。何も目的なく歩いているけれどふと目に留まる本があって、つい色々と買ってしまう(「要らないものは買わなくちゃ」)。
その中でまた思いがけずウクレレと出会ってびっくり。全然音楽の本ではないんだけど。
「家裁の人」から君への遺言 佐世保高一同級生殺人事件と少年法」毛利甚八
毛利氏は、私も全部読んだ「家裁の人」という人気漫画の原作を執筆した人だ。驚くことに、彼は別に法律や裁判事情に詳しかった人ではまったくなく、かといって実地を詳しく取材したわけでもないそうだ(というか、できなかった)。
知らないからこそ(?)現実から乖離した、少年事件を本気に丁寧に扱うしかも有能な裁判官というキャラクターを活躍させたともいえる。実際とは関係なく作ってしまった作品世界だけれども…案外、ホンモノの法曹からも反響(微妙な反響または反感含む)は大きかった。
ともかくそれをきっかけに、毛利氏は2003年ごろから少年院の篤志面接委員をするようになった。
始めは、いろんな話を語って聞かせたり、音楽を聞かせたりしたのだけれど、反応は薄く(というかわかりにくく)、役に立っているのかいないのか、手ごたえはなかなかつかめなかった。
そこから、一年半ほど立って、「楽器の弾き方を教えれば、この子たちの表現能力も伸びるんじゃないだろうか?」ということを思いつき、ギターを持っていった。
でも、ものすごく簡単なものを試してもなかなかうまくいかず、気が付いたことには彼らの手がものすごく未発達である(ことが多い)ということ。遊びにせよ仕事にせよあまり手を活発に使ったことがないらしい。
#一般的なことなのかどうかわかりませんが
結局、ギターは難しすぎて、それらしい演奏にすることは不可能。できる子とできない子の差もものすごく大きく、授業で一体感を作れず挫折。
そのあとまた思いついたのが「ウクレレ」。ギターより小さくて、指の当たりもやわらか。
「C」の弾き方を教えたら全員が一発で「ぽろろん」と弾けた!! (そんなことはギターのときにはついぞなかった)
音が出た瞬間に、緊張していた少年の顔がみるみる喜びでほころぶ。
そののち、院長の特別なはからいで、ウクレレ四本が装備されて(毛利氏が持っていくのは二本)画期的に授業がやりやすくなった。コードの種類も増やして「C」「F」「G7」、きよしこの夜を伴奏できるようになったりして。
さらには、自分の体験から「詩」を書かせて、オリジナル曲を作り、練習して演奏してCDを作るなどという、最初から考えるとほとんど「ミッションインポシブル」にも挑戦するようになる。
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いつのまにか「少年たちに何かを教える」という気持ちはまったくなくなっていた。
むしろ自分の持っている技能や価値観が少年たちによって試され、照らされて、少年院に暮らす子どもたちに自分の真贋を判定されているのだと、考えるようになっていた。
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少年たちとウクレレ上達を喜び合う瞬間はとても楽しいわけだけれど、彼らの未来は決して易しいものではない。でも、言葉での表現が難しい子も多い中で、音楽という異なる方法での表現をするという「行動のレパートリー」が少し増えたことは何か微妙なところで(でも決定的な)「よいこと」をもたらすような気がする。
音楽って、というか、ウクレレってすごい。
ギターでもダメだった。ピアノなんて論外。軽くて小さくて高くなくて、みんなで弾いてもうるさくなくて、気持ちが優しくなる音が響く楽器。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)