この土日は、いずれも素晴らしいピアノ、素晴らしい会場で素敵な響きに浸っていたわけですが(^^)
←自分の演奏、好きですか?
弾き終わったあとの感想(自分の演奏について)では「ぜんぜんダメだった」「やらかしちゃった」っていう人が多かったように思います。
まぁ、日曜日のほうは「練習会」なので、もとより仕上がっていない曲を弾いてたりするのですが、そのことではなくて、むしろ、
土曜日のような、前々から準備して自分なりに仕上げて参加した大きめの発表会のときにね。
「ここはどうやっても弾けない」というところが残らないように、よーく練習してあるはずなんだけど、
曲全体を弾いたら全部がうまくいくというのも難しいし、
しかもいつもと違って緊張していたり、うまく弾きたいあまりに雑念が入ったりするわけですからね。
なんらか「事故」があるのはふつうのことです。
でも、それを他人の演奏として聞いてるときには、どう事故ったかなんていちいち気に留めてないと思います。
ミスを数えたりとか…どっかのテレビ番組じゃあるまいし。
聞きながら、頭の中で、
違う音を弾いちゃったりしてるところは削除し(^^;;
迷子になっちゃったところは切りつなぎ、
そうやって自動補正をしつつ、どう弾きたかったのかに集中して聞いてると思います。
つまり、「いいとこどり」でどのくらい素敵だったか、どのくらい心に響いたか、ということです。
そんなにあれこれ事故ってるようじゃどうやってもプロのピアニストにはなれませんが、
とにかくどこか素敵なところがあって、「おぉ!!」「いいね!!」「きれい!!」と思われた瞬間があって、
「ほんとにこの曲を弾きたかったんだなぁ」と生々しいものが伝わるなら、
数多のプロが弾きつくしたあと、あえてアマチュアが名曲を弾く意味があるというものです。
逆に、事故まったくなく、「一音も間違えずに」弾けたとして(「太鼓の達人」なら満点)、
でも、特に素敵な瞬間もなくて「だからなんなの??」みたいな演奏だったら、
わざわざ素人が弾く意味って何もないでしょう。
もちろん「事故」は聞く人の集中を妨げますし、少ないに越したことはないですから、
どのくらい事故ったか(やらんでもいいはずの事故をしてしまったか)というのを冷静にとらえておくことはいくらアマチュアでもやっぱり重要でしょう。
減らす努力はするとして…でも…
自分の演奏が(部分的にでも)どう素敵だったかもちゃんと把握しておくのがだいじかなと思うんです。
とゆわけで(笑)私はたいていいつも自分の演奏のいいところを思い出して満足してます。
レベルがたいそう違うけれどもプロでもそんなことを考える人がいるんだなと興味深かった記事(*):
「周りはいつも褒めるばかり」クラシック界の異端児・反田恭平の本心と独立の真相
まわりはいつも褒めるばかりですよね。だから、あくまで自分で判断します。「自分で満足したら終わり」という人もいますが、僕はある程度は満足してもいいと思う。自分が出したい音色が出せた、これは大きな収穫だったというときは、ポジティブに捉えて100点としています。自分の音楽が好きでないとお客さんにも伝わらないから。
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「自分の音楽が好きでないとお客さんにも伝わらないから」…ということで、自分の演奏をもっと自分でほめよう!! (ほめてはいるけど口に出すのは謙遜だけ、という人もいるかもしれない)
(*)曲をつかむところの方法もおもしろいですね
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まずは楽譜を穴が開くまで見る。そして、どうしようと迷ったときは指揮をする。そうすると「ここがフルートっぽい、左手はチェロっぽい」と輪郭が浮き出てくる。(中略)
指と脳をリンクさせることが大事。あとはステージでお客さんと会話するように音の空間を作り、回数を重ねることでつかむこともあります。もちろんレッスンのときに録音して自分で聴き返して気付くこともあるけど、本番で弾くということがなによりの練習になりますね。絵画はできあがった作品を展示するので一生変わらないけれど、音楽は毎回違うものですから。
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まぁ、日曜日のほうは「練習会」なので、もとより仕上がっていない曲を弾いてたりするのですが、そのことではなくて、むしろ、
土曜日のような、前々から準備して自分なりに仕上げて参加した大きめの発表会のときにね。
「ここはどうやっても弾けない」というところが残らないように、よーく練習してあるはずなんだけど、
曲全体を弾いたら全部がうまくいくというのも難しいし、
しかもいつもと違って緊張していたり、うまく弾きたいあまりに雑念が入ったりするわけですからね。
なんらか「事故」があるのはふつうのことです。
でも、それを他人の演奏として聞いてるときには、どう事故ったかなんていちいち気に留めてないと思います。
ミスを数えたりとか…どっかのテレビ番組じゃあるまいし。
聞きながら、頭の中で、
違う音を弾いちゃったりしてるところは削除し(^^;;
迷子になっちゃったところは切りつなぎ、
そうやって自動補正をしつつ、どう弾きたかったのかに集中して聞いてると思います。
つまり、「いいとこどり」でどのくらい素敵だったか、どのくらい心に響いたか、ということです。
そんなにあれこれ事故ってるようじゃどうやってもプロのピアニストにはなれませんが、
とにかくどこか素敵なところがあって、「おぉ!!」「いいね!!」「きれい!!」と思われた瞬間があって、
「ほんとにこの曲を弾きたかったんだなぁ」と生々しいものが伝わるなら、
数多のプロが弾きつくしたあと、あえてアマチュアが名曲を弾く意味があるというものです。
逆に、事故まったくなく、「一音も間違えずに」弾けたとして(「太鼓の達人」なら満点)、
でも、特に素敵な瞬間もなくて「だからなんなの??」みたいな演奏だったら、
わざわざ素人が弾く意味って何もないでしょう。
もちろん「事故」は聞く人の集中を妨げますし、少ないに越したことはないですから、
どのくらい事故ったか(やらんでもいいはずの事故をしてしまったか)というのを冷静にとらえておくことはいくらアマチュアでもやっぱり重要でしょう。
減らす努力はするとして…でも…
自分の演奏が(部分的にでも)どう素敵だったかもちゃんと把握しておくのがだいじかなと思うんです。
とゆわけで(笑)私はたいていいつも自分の演奏のいいところを思い出して満足してます。
レベルがたいそう違うけれどもプロでもそんなことを考える人がいるんだなと興味深かった記事(*):
「周りはいつも褒めるばかり」クラシック界の異端児・反田恭平の本心と独立の真相
まわりはいつも褒めるばかりですよね。だから、あくまで自分で判断します。「自分で満足したら終わり」という人もいますが、僕はある程度は満足してもいいと思う。自分が出したい音色が出せた、これは大きな収穫だったというときは、ポジティブに捉えて100点としています。自分の音楽が好きでないとお客さんにも伝わらないから。
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「自分の音楽が好きでないとお客さんにも伝わらないから」…ということで、自分の演奏をもっと自分でほめよう!! (ほめてはいるけど口に出すのは謙遜だけ、という人もいるかもしれない)
(*)曲をつかむところの方法もおもしろいですね
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まずは楽譜を穴が開くまで見る。そして、どうしようと迷ったときは指揮をする。そうすると「ここがフルートっぽい、左手はチェロっぽい」と輪郭が浮き出てくる。(中略)
指と脳をリンクさせることが大事。あとはステージでお客さんと会話するように音の空間を作り、回数を重ねることでつかむこともあります。もちろんレッスンのときに録音して自分で聴き返して気付くこともあるけど、本番で弾くということがなによりの練習になりますね。絵画はできあがった作品を展示するので一生変わらないけれど、音楽は毎回違うものですから。
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