アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

「この曲はマル」の基準

2019年06月14日 | ピアノ
私の「First Love(宇多田ヒカル)」の楽譜にはイルカのシールが貼ってある。これは、ヤマハのときの先生が貼ったものだ。

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たぶん、習い始めてほんの数曲目だったと思うんだけど、このころ、はなひめ二歳で家の中は落ち着いてピアノを弾くような環境になく、ただレッスンのときだけ弾く程度。それで数回のレッスンで「マルをもらって(シールを貼られて)」次の曲、ってやってたのだ。

「マルをもらう」習慣がいつまで続いたのか、はっきりした記憶がないんだけど、たぶんブルクミュラー18番をいくつかやってみたあたりでは「マルをもらって」いたので、そこから私のピアノ魂に火がついて、これ弾きたいあれ弾きたいと、自分のペースで曲を持っていくようになったあたりでマル習慣が廃れたのだと思う。

そんな具合なので、マルをもらわなくなってからのほうがまだしも「マシに弾ける」状態になって(←家でも練習するから)次へ進むようになっていて、マルをもらっていたころのそのクォリティーたるや、なんとなくあらかた音符並べた(でもつっかえまくり)くらいのものだった。

子どものころはもっとちゃんと弾けてマルもらってたはずだが…なにしろ昔のことなので直接の記憶はあまりない。録音などの手がかりを総合するに、基本、暗譜でノーミスクリアできるようになってマルという雰囲気だったらしい(今とは別人のようである)。ただし素敵かどうかは問わない(笑)

そういえば、私が中学生くらいだったころ、うちに同時期に幼稚園の同じクラスかなんか知り合いの女の子二人が習いに来て、バイエルを進めていだんだけれど、母がいうには、「二人で進行が揃っているほうがいいだろうと思ってだいたい同じタイミングでマルをあげているけど、マルのクォリティーがぜんぜん違う」とのことだった。

確かに、私が聞いた感じも、ひとりの子はとりあえず訥々と、正しい音を並べる程度、もうひとりの子は曲にふさわしいテンポで滑らかに弾いて、かつ何かしら伝わるものがある演奏まで来てマルになっていた。

違うまま同じ進度にしてしまうとどこかで行き詰まりにならないかとも思うが、バイエルさえすめばあとはそれぞれに合った曲を弾かせればよく、揃える必要もなくなるということらしかった。

事程左様に、ある曲を「マル」にするという行為は、先生から生徒への「次の曲行ってみたら」ってくらいの提案にすぎないのであって、その提案をするかどうかの判断は、曲の仕上がりだけによるわけではない。もちろん第一義的には、レッスンをこの先、その曲で続けてどれくらい得るものがあるかということなんだけど、その他総合的な(政治的な?)判断があるのですね。

どのみち、「この曲はもう完璧!! これ以上よくするところがどこにもない」なんてことにはならないものね(^^;;

なんとなく、なかなかマルがもらえないとか、すぐマルをくれる(期待されてないということか、みたいな)とか、どちらの不満も聞くので、ピアノの先生ってたいへんだなと思うんだけど。ま、コミュニケーションツールのひとつだと思って、生徒もどういう基準でマルにしてほしいかとか要望出してもいいんじゃないかな。

いずれにせよ「マル」システムがうまく機能するには、毎週とか、そういう頻繁なレッスンが必要だと思う。月イチじゃ無理…おゆき先生にインベンション見てもらって「マル」システムで進めようとしたこともあったけど、三回目ともなると長すぎて持たない(あからさまにモチベダウン)なので諦めました。定年して毎週レッスンてことになったらもしかして復活もありうるかもしれない。わかんないけど。

それより、過去にマルもらった、ロクに弾けてない曲の再発掘だったらおもしろいかもしれない。せっかく一度は音を並べてみたわけで、経験値が上がったところで伏線回収的な。


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