アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

弾き直しせずにはいられない理由

2019年06月27日 | ピアノ
大人ピアノ再開後すぐのころ、私の演奏を聞くと、よしぞうが
「いちいち弾き直ししないですぐ次に行っちゃえばいいのに」

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と気軽に言い放つのでイラッ(-_-# ムカッとしたものだ。

んなこと、できるもんならとっくにやってんだよっ!!
ピアノ弾かない奴が勝手なこと言ってんじゃねーよっ!!

そのころの弾き直し癖は今よりかなりひどかったのだが、別に好きでやってるわけではなく…

もちろん「弾き直して訂正したい」欲求みたいなものは元来あるんだけど(正しい音をよく確認する練習タイムはあってよいけど)、「演奏」をしている最中には、「訂正」することよりも、音楽の流れを止めないことのほうが大事。

そんなことはわかってたんだ。頭では。でもできなかった。

なぜ、間違った音をそのままに、先に行けないのか?

私の場合、「楽譜を読みとってそのとおり打鍵する」処理はそこそこ速くできるほうだけど、だからそれに頼っちゃって暗譜もしないし、まずは打鍵してみてその音を聞いて音楽の流れを理解しているという傾向があった(ある)と思う。

それを、手の感触というか、運動のおぼろげな記憶みたいので補助している感じ。

打鍵を間違えた場合、運動的記憶に頼るならば次の音もずれてしまうってことになるし、何より耳から違う音が聞こえるので音楽の流れが自分でもわからなくなってしまう。それで、正しい音を弾き直すことでようやく次に進める。

アンサンブルをしている場合は、自分が無音になるかまたは違う音を出していても、パートナーが音楽の流れを保っていてくれるので、そこに向かって合流していけばよく、弾き直しせず先に行けることは増える。

このように整理してみると、まず根本的な間違いは、頭の中に既に出来上がっている確固たる音楽の流れというものがないことだとわかる。

弾き直し癖がひどかったころから、多少マシになりつつある今へ、何が変わったのかといえば、ただの楽譜インタープリターから進化してちょっと音楽することを心がけるようになったことだろう。あらかじめ道筋が見えていなかったら、お客様を上手にご案内することもできないわけで。

ただ、この変化は「ちょっと」で、まだ不十分なんだと思う。本当はそれこそせっかく楽譜を置いているんだから、目は少し先の楽譜を見てこれからの成り行きを把握しつつ、現在の音楽の流れを導いていくべきだろう。私は現在でもほとんど今弾いているところを目で追っているようなのでそもそもこれがマズいんじゃないかと思う。

昨日、実験として、「少し先(次の小節とか)」を見ながら弾くよう心掛けてみたところ、間違えたときの回復については多少改善するような気がした。ただし大きな欠点として…余計間違うとか、あと致命的な欠陥として、現在の音楽がぎこちなくなるとか(爆) まぁ慣れてないんだからそうなる。

それにしても、ピアノ弾くのって「現在」を追うだけでも重層的でめちゃ忙しいのに、おまけに少し先のことまで併行して考えておかなきゃならないとすれば、ほんとどんだけ忙しいんだか…

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