アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

クラシック音楽ってなんだろう

2021年03月04日 | ピアノ
練習会、発表会、コンクールとかで「クラシック限定」とかあったりするけど…

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たとえば「吉松隆」はあり? なし??

とか思うことがある。米津玄師(のピアノソロ編曲)はダメなんだろうとは思うけども。吉松はわりとクラシック音楽っぽい雰囲気に収まってる曲もある(「4つの小さな夢の歌」とか)。

つまり、雰囲気(?)をいうのか、「作られたのが昔」をいうのか…また、「昔」といってもどのくらいならいいのか。

言葉の意味から発想するなら、少なくともまだ生きている作曲家の作品は、どんな感じの曲であってもそれは「今」「同時代」の曲であって…、そう、いうならば「著作権切れ」のあとに曲は根強く生き残って演奏される、聞かれるというのが「クラシック」の条件であるような気もする。

まさにその「吉松隆」が著作権についてなかなか興味深い記事(夏休み雑談・作曲家と著作権)を書いているのだけど、著作権がクリエイターのためのものかどうかというと、そりゃ生きてるうちはそうに違いないけど、死んだあとに50年とかましてや70年とかはなんのためなのよ、という…

それは、作曲者本人ではなく、作品の「権利」を持っている出版社や団体のためである。もちろんミッ○ーマウスくらい莫大な利益を上げている著作物ならば50年なのか70年なのかは大問題で、ただしそこまでじゃない作曲家にとってはデメリットのほうが大きいと吉松さんは書いている。

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 生きている間は(当人が話したりメディアに登場したりするので)名前や作品が知られていても、死んでしまったらどうしても、表舞台から姿を消すゆえに一旦忘れ去られる。しかし、ファンがいれば細々とでもCDや復刊本が出されネットで紹介されたりして生き残り、いつふたたび脚光を浴びるようにならないとも限らない。
 しかし、そこに「著作権」の壁が立ちふさがる。

 有名な作家の作品なら、もちろん権利の所在は明らかだから、新しくCDにしたり本を出したりする場合も問題はない。(「これは儲かる」と誰かが思えば、どんな障害も乗り越えることだろう)。 しかし、そこまで有名でない(そして儲かりそうもない)作家の作品の場合、最大の障害が「著作権」になる。
 なにしろ、当人が死んでしまったら作品の「許可」を得られない上、誰にどう許諾をとっていいのかすら分からない場合が少なくないのだから。

 単純に、出版社に版権が残っていれば問題ないはずなのだが、当人が生きている間ならともかく、死んでもなお延々と作品管理していることはあり得ない。作者の遺族に許諾を得ようとしても、奥さんが再婚していたり子供がいなかったり、遺産をめぐって紛糾している家系だったりすればお手上げである。

 その結果、ごく一部の有名かつ死後も売れ続ける作家の作品以外は、「権利」で保護されているがゆえに「封印」された状態になる。そんな状態が作者の死後50年から70年も続けば、確実に忘却の彼方に消えてしまうだろう。
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んー、なかなか大変そうだ。この大きな壁を越えて吉松隆先生(の作品)が生き残れるかどうかは現時点ではわからない。

その壁を乗り越えたのが「クラシック」、とも思うけれど、では、もう一つの意味、なんとなく感じる「クラシックっぽさ」というのは何だろうか。

ということで、次回のレクチャーにartomr先生が企画してくれているのは「クラシック音楽とは何なのか?」というテーマ。

これは、私が四月から放送大学の「西洋音楽史」を聞こうとしているのでその前フリとして考えてくれたようです。楽しみ(^^)


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