えっと、勇気出してw 自分の録音聞いてみました。
←場数を踏めばマシになるかな?
主観ほどは酷くなかったです。よいところもあった。ただ、くさぴあさんが「もっと自信持ってバーンと行け」みたいなことを言ってたけど、自分で聞いても確かに、暗譜飛ばないかビビってる感じがよくないなと思う…
ドビュッシー/喜びの島@譜面台外しのスタインウェイ
「慎重に」音を探せば変な間ができるし、
違う音弾いたときに弾き直すと聞き苦しくなるし…
楽譜見ることでもう少し自信持って弾けるんなら、置いたほうがいいんですよね。発表会当日は、誰か譜めくりしてくれる人が必ずいると思うし。
しかし、今となっては、
譜めくり(誰かにしてもらうとしても)の煩わしさから解放されて、ピアノの響きに直に浸れる気持ちよさもちょびっとわかってしまったし、
楽譜見ない前提で練習しておいて、また見ようとしてもなんだかあまり上手に見られない気がするんです。
マイミクさんが教えてくれた
「暗譜」下田幸二
が、たいへん興味深かったのでご紹介;
そもそも、暗譜をするとどんないいことがあるのか、という…
・リストは、自作以外についても「暗譜」で弾くことで聴衆を熱狂させたとか。つまり「演出」。
・ルール上そうなってる(コンクールとか、入試とか)
・音楽内容に集中でき、作品と一体化したような感覚で演奏できる
上の二つは、まぁ私に関係ないからいいとして、「音楽内容に集中でき、作品と一体化したような感覚で演奏できる」…これですよね。目指すところは。確かに、家で、リラックスして弾いてるときはチラッとこの良さを感じることもあるし、「譜めくりの面倒を避ける」という消極的な意図も、このメリットの一部ではある。
だけど、本番の緊張の中で、むしろ暗譜飛びを恐れて停滞しつつ弾いているのでは話にならないので、何をやってんだかという感じ。
晩年に楽譜置いて弾いてたリヒテルさんが言うには「演奏家の『自由』と『個性』の放縦さは、音楽そのものに対する尊敬の念と、謙虚さの欠如からきているのに過ぎないのですが、楽譜は、演奏者をある秩序へと絶え間なく呼び戻し、その放縦さに歯止めをかけるでしょう。」「もちろん、楽譜を前にして完全に自由であることは、容易ではありません。」
…つまり、リヒテルさんは単に楽譜を置いて弾いたらいいよって言ってる、わけではなくて、もっと高度なことを言ってるんですよね。常に原典尊重しつつ、演奏者が自由に/自在に自分の演奏を構築するという…
結局のところ、私が「喜びの島」を弾こうとすると、
暗譜で(人前で)弾けば自信なくドキドキ弾いてて不自由で、
楽譜を置いて弾けば楽譜を読むことに振り回されて不自由で、
あらどうしましょってなるわけですよね。もちろんそれが「実力オーバー曲」ということなんだけども。
ただ、いちおう形だけでも暗譜で弾いてみて、やっぱりこの曲は暗譜のほうが弾きやすい曲なんじゃないかな、とは思ったんです。曲にもよりますよね? なんとなく。
リヒテルがどう言ってるとか、そんな高みの話でなくていいんですが、ただ単に、もうちょっとしっかりした自信を持って暗譜で弾く。楽譜の物理的なカタチから解放されて。
つまり、音楽がどうとかいう高次なことでなく、楽譜を持たずに手ぶらで舞台に出入りできて、譜面台も立てる必要なく、譜めくりをする必要もないという即物的な意味での解放です。
そういうのが似合う曲だとは思うんです。モーツァルトやバッハは楽譜置いて弾くのがもっと似合うし、たぶん「喜びの島」より暗譜しにくい。
で、その先に暗譜の練習方法というのが書いてあったのですが、
部分に区切って、
(1) 楽譜を見て弾く 左手→右手→両手
(2) 弾かないで楽譜を見る
(3) 楽譜を見ないで弾く
この、「左手→右手→両手」というのがミソで、それと(2)のところがものすごい大事なんだって。この練習をするかっていうと…いやーハードル高いわ。特に、(2)はね。ピアノに向かえる貴重な時間にピアノ弾かないのって苦行っていうか(^^;; この練習がすごく効くものだとしても、「楽しくない練習はしないので」派の私がこの練習をするまでには五年かかるわ(おゆき先生が「分解練習」口すっぱくして行って実施までに五年かかってるからね)
四月にもう一回、「喜びの島」弾く機会があるんだけど、どうしようかな…
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←場数を踏めばマシになるかな?
主観ほどは酷くなかったです。よいところもあった。ただ、くさぴあさんが「もっと自信持ってバーンと行け」みたいなことを言ってたけど、自分で聞いても確かに、暗譜飛ばないかビビってる感じがよくないなと思う…
ドビュッシー/喜びの島@譜面台外しのスタインウェイ
「慎重に」音を探せば変な間ができるし、
違う音弾いたときに弾き直すと聞き苦しくなるし…
楽譜見ることでもう少し自信持って弾けるんなら、置いたほうがいいんですよね。発表会当日は、誰か譜めくりしてくれる人が必ずいると思うし。
しかし、今となっては、
譜めくり(誰かにしてもらうとしても)の煩わしさから解放されて、ピアノの響きに直に浸れる気持ちよさもちょびっとわかってしまったし、
楽譜見ない前提で練習しておいて、また見ようとしてもなんだかあまり上手に見られない気がするんです。
マイミクさんが教えてくれた
「暗譜」下田幸二
が、たいへん興味深かったのでご紹介;
そもそも、暗譜をするとどんないいことがあるのか、という…
・リストは、自作以外についても「暗譜」で弾くことで聴衆を熱狂させたとか。つまり「演出」。
・ルール上そうなってる(コンクールとか、入試とか)
・音楽内容に集中でき、作品と一体化したような感覚で演奏できる
上の二つは、まぁ私に関係ないからいいとして、「音楽内容に集中でき、作品と一体化したような感覚で演奏できる」…これですよね。目指すところは。確かに、家で、リラックスして弾いてるときはチラッとこの良さを感じることもあるし、「譜めくりの面倒を避ける」という消極的な意図も、このメリットの一部ではある。
だけど、本番の緊張の中で、むしろ暗譜飛びを恐れて停滞しつつ弾いているのでは話にならないので、何をやってんだかという感じ。
晩年に楽譜置いて弾いてたリヒテルさんが言うには「演奏家の『自由』と『個性』の放縦さは、音楽そのものに対する尊敬の念と、謙虚さの欠如からきているのに過ぎないのですが、楽譜は、演奏者をある秩序へと絶え間なく呼び戻し、その放縦さに歯止めをかけるでしょう。」「もちろん、楽譜を前にして完全に自由であることは、容易ではありません。」
…つまり、リヒテルさんは単に楽譜を置いて弾いたらいいよって言ってる、わけではなくて、もっと高度なことを言ってるんですよね。常に原典尊重しつつ、演奏者が自由に/自在に自分の演奏を構築するという…
結局のところ、私が「喜びの島」を弾こうとすると、
暗譜で(人前で)弾けば自信なくドキドキ弾いてて不自由で、
楽譜を置いて弾けば楽譜を読むことに振り回されて不自由で、
あらどうしましょってなるわけですよね。もちろんそれが「実力オーバー曲」ということなんだけども。
ただ、いちおう形だけでも暗譜で弾いてみて、やっぱりこの曲は暗譜のほうが弾きやすい曲なんじゃないかな、とは思ったんです。曲にもよりますよね? なんとなく。
リヒテルがどう言ってるとか、そんな高みの話でなくていいんですが、ただ単に、もうちょっとしっかりした自信を持って暗譜で弾く。楽譜の物理的なカタチから解放されて。
つまり、音楽がどうとかいう高次なことでなく、楽譜を持たずに手ぶらで舞台に出入りできて、譜面台も立てる必要なく、譜めくりをする必要もないという即物的な意味での解放です。
そういうのが似合う曲だとは思うんです。モーツァルトやバッハは楽譜置いて弾くのがもっと似合うし、たぶん「喜びの島」より暗譜しにくい。
で、その先に暗譜の練習方法というのが書いてあったのですが、
部分に区切って、
(1) 楽譜を見て弾く 左手→右手→両手
(2) 弾かないで楽譜を見る
(3) 楽譜を見ないで弾く
この、「左手→右手→両手」というのがミソで、それと(2)のところがものすごい大事なんだって。この練習をするかっていうと…いやーハードル高いわ。特に、(2)はね。ピアノに向かえる貴重な時間にピアノ弾かないのって苦行っていうか(^^;; この練習がすごく効くものだとしても、「楽しくない練習はしないので」派の私がこの練習をするまでには五年かかるわ(おゆき先生が「分解練習」口すっぱくして行って実施までに五年かかってるからね)
四月にもう一回、「喜びの島」弾く機会があるんだけど、どうしようかな…
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