ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

明徳義塾不祥事に思う

2005-08-05 23:15:17 | Weblog
又かと思う。同じ事を何回繰り返すのだろう。高校野球があまりにも聖域になりすぎていると思う。野球も高校部活の一つであるはずなのに。

そして、いつもの事だけど一部の不祥事の事で全員が責任を負う。こういう処分の仕方に私は反対だ。悪い事は悪い、罪を償うのは罪を犯した人でなければならないと思う。そして、新聞の報道で監督が暴力を振るった部員3人に「君達のせいではない。責任は部長と監督にある」と話たとある。そして被害者とその家族に監督が土下座してあやまりし示談金を払ったと。

やっぱりおかしいと思う。謝るのは暴力を振るった生徒であり、罰を受けるのはその生徒であるはずである。前途ある優秀な高校野球部員が興した不祥事は全員で罪をかぶって、その罪を薄めようというのだろうか。日本の学校では、そうやって小さい時から、頭脳明晰な子やスポーツ優秀な子は特別扱いを受けて来た。そして何か不祥事があると、回りの大人が先頭になってすべてを取り仕切って隠そうとする。

親もただひたすら自分の子供しか見ないし、見えない。だれよりも自分の子は優秀だと思っている。小さい時、野球がちょっとうまいと、もう甲子園にプロ野球にと、その道しか歩けなかった子供達。そして周りの友達も野球の仲間だけ。野球以外で感動する事があるのだろうか。四季折々の美しさを心に留めることがあったのだろうか。かわいい異性に心ときめかす事もあったのだろうか。ただただ野球で勝利する事だけが、青春の目的であり、他はすべて我慢だったのだろう。

自分とは違う考えを持つ人がいて、違う感じ方をする人がいて、違う事を好む人がいて、野球は好きじゃないけどサッカーが好きな人がいて、又、歌う事が好きだったり、絵を書くことが好きだったり、何にもしないで空を見ていることが好きな人がいたり。人も人生も多様なんだとと言う事を、野球もその一つなんだと言う事も先生たちは教えて欲しい。

だからこそ、不祥事を起こした人は自分で責任を取り行動してほしい。そして何の罪の無い(どこまで断定していいかわからないが。新聞とTVの報道だけなので)生徒達との連帯責任は別と考えられないものだろうか。そうでないと、この衝撃はあまりにも彼らに特に3年生には大きすぎる。
コメント
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