ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

友達と、仙川愉快な散策

2009-06-11 08:20:33 | Weblog
友達が、“アイボリー”に載っていた仙川近辺の散策に行こうと言う事で出かけた。アイボリーの地図を頼りに竹林を目指した。

ところがおしゃべりに夢中でどこかで道を間違えたみたい。歩いたあたりにはそれでも、昔は雑木林だったのだろうと思われる面影が残っていた。そして、モダンな住宅地が続いている。今でも、残り少ない緑を伐採して住宅を作っている所が多々ある。もったいないナと思う。確かに必要な住宅はあるだろうが、人々の心の平安の為には、もっともっと緑の空間は広げて行かなければならないだろうにと思う。








途中で「武者小路実篤記念館」に進路を変更し、通りすがりの人に聞きながら歩く。満開のおしゃべりをしながら。

入り口まで100メートルの看板があり、レンガの小道を歩く。右手にフェンスに囲まれた緑の公園沿いに歩きながら「此処がそうね。でも、こっちは入り口がないみたい。グルっと回らないといけないみたいね」と、しばらく歩く。公園が住宅にかわり「えっ、どっち?」道がトの字の所に方向を示す看板が・・・。

私達が歩いてきた方向に向けた←で「入り口320メートル」と。「ええ!どこに入り口があった?」

散歩の人に聞くと「じゃーこっちから回って行ったら」と言われ、トの字の登り道を右折する。車が一台やっと通る道をドンドン行くと、左手にそれらしき公園と、右手にもさっき歩きながら覗いた公園が・・・。

さア、どうしょうか。

その時、2匹の犬を連れた女性が来たので聞く。彼女が笑いながら「よく、この辺で道を聞かれるんですよ。分かりづらいみたいですね。連れて行って上げます」と歩き出す。

付いていくと「ここが近道だから、ちょっと失礼して」とよその家の庭のフェンスのドアを開ける。「いいんですか?」「いいの、いいの。グルッと回るのは大変だから」と。

出たのはさっきのレンガ道。そのレンガ道を横切り入り口に案内してくれた。「さっき通ったけど、入り口こっちと看板が出ていないと絶対に分からないよね」と、お互いに笑いあう。

緑豊かな公園の中は本当に気持ちがいい。遺族が調布市に寄贈しなければ、残らなかったであろう貴重な自然。そうでなければ、此処も住宅密集地に変わっていたのだろう。歩いて来た道々で小さな自然を壊して住宅を建てている所を目にしてきたので、よけいに緑が心に染み渡った。






ひかりごけ


帰りは間違わないように駅への道を聞き歩いたが、おしゃべりに夢中で「曲がり角はどこだった?」状態で駅前の商店街に着き、美味しくランチとスイーツを頂く。本当は「アイボリー」に載っていた「美味しいランチ」の店に行くつもりだったが、定休日だった。

「最後まで珍道中のミステリー散策だったわね」と笑いあった。が、まだ終わってはいなかった。最後の“落ち”があった。

調布で乗り換えの普通電車に乗った。またまたおしゃべり満開で、途中で電車が止まった時「ここはどこかしら?」と外を見ると、なんか見覚えのあるような工事中の駅。「あ、調布!」とあわてて降りて・・・。

「あれ!何か違うような・・・」そこはまだ“国領”だった。気がついた時には電車は行ってしまった。

そして、3台の通過電車を見送り、4台目の電車に乗り込み“楽しい?一日”が終わった。

会社に勤めていた時、同僚に「一見、落ち着いて見えるけど、性格はおっちょこちょいの所がある」と言われたが、まだまだ、健在だった。
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遺産相続の格差

2009-06-11 07:58:53 | Weblog
相続にはいろいろある。親の遺産相続。過去の人々からの文化遺産。そして、一番問題になっている地球環境を守るための緑の遺産。

今を生きている私達の立ち位置は、今、この瞬間の現在。一番大切な遺産は、過去から延々と未来に続いていくであろう地球の環境であり、自然だろうと思う。人類が生きて行く為に、全ての地球上の、ミクロからマクロまでの生命体の為にも。

そして問題になるのは親からの遺産相続だろう。この遺産相続は住んでいる所、生まれた所により、比べられないほどの差がある。私にとっては眩暈がするほどの格差である。

私の知っている稲城市の農家の未来の跡取りは、過去の遺産相続に苦しんでいる。バブル時におじいさんが亡くなったために、私には実感の出来ない天文学的な(私の感覚)額の相続税に苦しんでいる。

それは彼だけではない。たくさんの遺族が背負い切れない税金の為に、土地を失って行く。そして、売られたり、物納された土地は、細かく細分されて住宅地として売り出される。そして、農地だったり雑木林だったりした自然は次々と姿を消して行く。

果たして、この時代にそれでいいのだろうか。地道に農業を生業にしている人の土地を相続税として取り上げていいのだろうか。そんな事の為に、貴重な自然環境を破壊していいのだろうか。

「家屋敷が無くなっても、アパートの一室にしか住めなくなったとしても、この緑豊かな里山を未来の子供達に残したい。このままでは、数年後には里山が無くなってしまう。どうしたらいいのだろう」と。私は、それを聞いて胸が一杯になった。

たとえ、78haの南山がなくなったとしても、せめて、それに連なる東山はどうしても開発させたくない。奇跡的に生き残った里山や雑木林が、開発の名の下に破壊されて行くのは、東京近郊の宿命なのだろうか。

そして、思い出されるのは、私の亡くなった父の事。私の生家は田中角栄さんの選挙区だった。三方を、今で言う里山に囲まれて実り豊かな田んぼが広がっていた。

団塊世代の私が小さい頃は、家にも村にも溢れるほど沢山の人々が住んでいた。私の家は祖母と両親と3姉妹の6人家族で、珍しいほどの小家族だった。

戦後、整地された田んぼは見渡す限りの黄金の稲穂で揺れていた。三方の里山は、春のパステルカラーに、夏の濃緑に、秋は紅色や黄金色に萌え、冬は白色に佇む。

何と、豪華な風景だった事だろう。まだ、TVの無かった頃は、人々の世界は村の中だけだった。鬱陶しい事もあるが、貧しいながらも濃密な関係の豊かな人々の生活があった。

TVが普及し、マイカーと言われる車が普及し、子供達が都会の大学に行くようになり、減反政策が実施され、村々は少しずつ少しずつ変わって行った。

帰るたびに、虫食いのように広がって行く減反の田んぼ。帰るたびに田んぼの中に車の通る道路が出来て行く。帰るたびに村中の店が無くなって行く。帰るたびに家々の家族数が減って行く。

田中角栄さんは、貧しい裏日本を豊かな表日本のようにしたいと、必死に働いてくれた。人々は本当に期待した。都会の人のような生活がしたいと。バラ色の未来を想像して。

豊かさとは何だろう。

今、豊かな農地は虫食いのような水田に変わり、里山は一年中が緑の杉林に変わろうとしている。

もっと奥地に入れば、崩壊集落が点在している。家々が建っていただろう場所も田んぼや畑だっただろう場所も山に帰ろうとしている。そして、誰も住んでいない集落でも、舗装された道がどこまでも伸びている。

そんな風景を見て、いつも「つわものどもの夢の後、後は野となれ山となれ」と空しく口ずさむ。

私の生家のある村は、町に近くて大きな集落だが、大きな家に住んでいるのはほとんど老人。子供達の声も聞こえず、姿も見えない。

私の家は9反の田んぼと、東山と西山にどれだけあるか分からない面積の山林があり、あっちこっちにある畑の面積もはっきりとは分からないが、平均的な農家である。家屋敷も都会に比べれば無駄に広い。

3年前に父がなくなったが、相続税など、ほとんどかからない。ホッとしながらも、何の価値も無いんだと空しさも感ずる。

先祖達が守り耕してきた実り豊かな農地が、無用な荒地となり、山際の棚田から木々に覆われて行くのを、帰るたびに見ていると、田中角栄さんに聞いて見たくなる。

「あなたが考え努力した、あなたの故郷の農民達の幸せとは、何だったのでしょうか」

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