夫の勤めていた会社にジェフサポの社員がいた。彼はJ元年からずっと、熱烈なジェフのサポーターだった。
私がFC東京のサポーターになり、彼のジェフと戦うようになり、私とも接点が出来た。
1999年はナビスコカップで戦った。初めて市原臨海にバスツアーで行った時は、私にはまだ知り合いはいなくて一人だった。雨の中、一人でゴール裏に座って応援していた。
J1に上がり、調布市役所の所から出発したバスツアーで市原臨海に行った時は、NHKの密着取材を受けた。その時には、仲間が何人もいた。
オシムさんがジェフの監督だった時、インタビューで「強敵の鹿島やガンバや磐田との対策は?」と言われて、「FC東京を忘れてはいけない」と言ってくれたのが嬉しくて今でも忘れられない。その頃、東京とジェフはいいゲームをしていた。
私のFC東京のポスターや切り抜きを貼ってある壁の一部に、ジェフサポからの年賀状が貼ってある。
2000年の年賀状のジェフのTシャツを着たタローくんは、まだ、3歳になっていなかった。パパと二人でゴール裏で旗を振っている。雨の国立での試合の時の、黄色レインコートの彼は、女の子のように可愛くて、外人さんがカメラを向けていた。
2001年の年賀状は、お腹の大きくなったママも一緒に、ジェフのユニやTシャツの3人だった。
2002年の年賀状は、小さな女の子のヒロちゃんも一緒。
毎年毎年の年賀状は、タローくんとヒロちゃんの成長の記録。
途中からは、ママが入っていなくて、パパも抜けて、二人だけが写った年賀状。
今年の年賀状は、中学生の制服を着たタローくん。あの小さいタローくんが中学生とは、感慨深い。去年は、FC東京はナビスコ優勝し、ジェフはJ2に落ちてしまった。
そして、パパのメッセージは
「今年は“J2”ということで、トホホな一年です。J1復帰予定は今のところ未定です。オシム時代が懐かしいです」と。
私もジェフとのゲームが無いのは寂しい。頑張って早くJ1に戻って来て欲しい。
今年は、味スタに、ジェフやフジくんの札幌を応援に行こうと思う。アウェイの東京と重ならない限り。
ジェフも札幌もガンバレ!
モチロン、FC東京は優勝を!!
私がFC東京のサポーターになり、彼のジェフと戦うようになり、私とも接点が出来た。
1999年はナビスコカップで戦った。初めて市原臨海にバスツアーで行った時は、私にはまだ知り合いはいなくて一人だった。雨の中、一人でゴール裏に座って応援していた。
J1に上がり、調布市役所の所から出発したバスツアーで市原臨海に行った時は、NHKの密着取材を受けた。その時には、仲間が何人もいた。
オシムさんがジェフの監督だった時、インタビューで「強敵の鹿島やガンバや磐田との対策は?」と言われて、「FC東京を忘れてはいけない」と言ってくれたのが嬉しくて今でも忘れられない。その頃、東京とジェフはいいゲームをしていた。
私のFC東京のポスターや切り抜きを貼ってある壁の一部に、ジェフサポからの年賀状が貼ってある。
2000年の年賀状のジェフのTシャツを着たタローくんは、まだ、3歳になっていなかった。パパと二人でゴール裏で旗を振っている。雨の国立での試合の時の、黄色レインコートの彼は、女の子のように可愛くて、外人さんがカメラを向けていた。
2001年の年賀状は、お腹の大きくなったママも一緒に、ジェフのユニやTシャツの3人だった。
2002年の年賀状は、小さな女の子のヒロちゃんも一緒。
毎年毎年の年賀状は、タローくんとヒロちゃんの成長の記録。
途中からは、ママが入っていなくて、パパも抜けて、二人だけが写った年賀状。
今年の年賀状は、中学生の制服を着たタローくん。あの小さいタローくんが中学生とは、感慨深い。去年は、FC東京はナビスコ優勝し、ジェフはJ2に落ちてしまった。
そして、パパのメッセージは
「今年は“J2”ということで、トホホな一年です。J1復帰予定は今のところ未定です。オシム時代が懐かしいです」と。
私もジェフとのゲームが無いのは寂しい。頑張って早くJ1に戻って来て欲しい。
今年は、味スタに、ジェフやフジくんの札幌を応援に行こうと思う。アウェイの東京と重ならない限り。
ジェフも札幌もガンバレ!
モチロン、FC東京は優勝を!!