ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

一時、帰宅する

2010-01-19 14:18:12 | 姉さん
姉が、別の病院に転院して落ち着いたので、一時、帰宅する事にした。

これから、2週間くらいかけて検査をし、手術の日程などを調整するそうだ。だから、又、手術する時に、改めて行く事にして帰宅する事にした。

転院した病院で、私や姉の夫と一緒に先生の説明を聞いた。姉が「去年の秋に、人間ドックに入り、検査してもらったのに何の異常もなかったのですが」と、言うと「検診でも、ドックでも、全ての検査をするわけではないので。特に、子宮は奥の方の検査はやりません」と言われた。

確かに、レントゲンを見ながらの説明では、本当に子宮の奥での病巣だ。ここは、検診の対象外との事。だから検診をしているから、大丈夫と思ってはいけないという事だ。

これから、手術に向けて色々な検査をするそうだ。それで、私が「そう言えば、ねーちゃんはペニシリンはダメな体質だったよね。」と言ったら「よく覚えていたね。」を笑う。子供の頃、母達が話しているのが子供心に相当インパクトがあったらしい。

「でも、今は、もうペニシリンは使わないしね」と笑った。

家に帰った来て、ホッとした。姉の所は寒くて寒くて眠れない程だった。ストーブを点け、コタツに潜っても寒かった。マンションと違って、昔の一戸建ては寒い。姉も母も病院は暖かいので、その点は安心だ。

母と姉が入院していた病院は、3年前に建て替えたという事で、本当に綺麗だった。病室も廊下もどこもかも、床や壁の色もやさしいパステルカラーで明るかった。廊下は広く、休憩室もゆったりとやさしい感じで、看護師さん達も皆やさしく感じが良かった。

全ての階の廊下の壁には、絵が飾ってあった。名前が書いてある絵が沢山あり、それらの絵はクラブや同好会の人達の絵だそうだ。

姉も、何十年と書いているので、飾ったらと言ったら、何と、母の絵を飾ってもらったという事で見に行った。



母が田んぼ仕事を出来なくなった頃、姉が絵の道具と画集と書き方を教えたら、夢中で描き出した。絵が出来上がるたびに、父が額を買って来て、実家のあちこちに掲げた。

素人の気持のままに描く母の絵を、姉も私も好きだ。もう、絵を描く意志も力も無くなった母。

目覚めている時の母の心は、何を考え何を見ているのだろう。彼女の中の時間は“今”しかないように思える。5分前も5分後も、彼女の世界には無いのではないかと思える。

私が話しかけている時は、ちゃんと私を認識している。でも、私がいなくなっても「ふみちゃんは、どこに行ったのだろう」との考えは無いようだ。姉夫婦に、私に会いたいとは言わない。でも、私を見れば「会いたかった」と泣く。父の事を尋ねても「思い出した事も無い」と言う。

彼女が生きて来た膨大な時間の記憶は、どこに行ったのだろう。私の中にある母との沢山の思い出が、彼女の中に見えないのが寂しくて悲しい。






コメント
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