今、私の周りに音楽が無くなって久しい。
昔は、朝から晩までウォークマン(古い)を離さない時期があった。電車の中も、家事炊事の時も、大好きな音楽を聞いていた。
今は、思い出したようにCDを聞く事はある。
私が、音楽に夢中になっていた時には、夫はあまり興味がなかったみたいだった。
私が、音楽から遠ざかった頃から、夫の方が家でも、どこかに行く時にもイヤ―フォンを離さなかった。
彼が亡くなって、膨大なMDが残されて呆然とした。
今日の朝刊の一面広告に “flupool” が乗っていた。最近のミュージシャンを知らない私は、もちろん彼らを知らない。
そこに、「どんな未来にも愛がある」 と、「証」 の歌詞の一部が書かれていた。
何の気なしに読んで、思わず胸が一杯になり涙がこぼれた。
<どんな未来にも愛はある>
ただ、あなたが笑ってくれるから 僕は生きていける
もし この声が涸れてもね 唄うから 歓びの歌
美しく輝くほどに 心に咲く花よ
いま称えよう どんな未来にも愛はある
何もかもを 失ったとしても
求め与え合うあなたと明日がある
慌てなくていい ゆっくり育んでゆこう
数えてみようか 願った星の数を
いま、あなたが涙に暮れるなら 傍で唄っているから
“負けないで”が辛い響きなら言葉じゃなくて紡ぐ旋律(しらべ)
苦しみも刹那も越えて この世に咲く花よ
瞳(め)を閉じて 芽吹いた“絆”はここにある
あたたが足を止めるのなら 僕はそこに腰をおろして
ともに歩めることが 何より愛しいから
<証>
君の指さす その未来(さき)に 希望があるはずさ
誰にも 決められはしないよ
一人で抱え込んで 生きる意味を問うときは
きっと思い出して あの日の僕らを
“またね”って言葉の儚さ 叶わない約束
いくつ交わしても慣れない
なのに追憶の破片(かけら)を敷き詰めたノートに
君のいないページは無い
溢れだす涙 拭う頃 君はもう見えない
想う言葉は“ありがとう”
傷つけ合っては 何度も笑い合えたこと
絆を胸に秘め 僕も歩き出す
このグループの歌を聞いた事はないから、メロディーは浮かばないが、この詩が私の涙腺を刺激した。
夫の事を想い、彼が居なくなったあの日からの日々を思い、思わず泣いてしまった。
最近、田舎の妹と従姉から電話があり、「大丈夫?ちゃんとご飯食べてる?立ち直った?」 というようにいわれ 「大丈夫よ。二人で頑張っているから、ありがとう」 と答えていた。
そして、娘と二人で 「お父さんが亡くなっても、直ぐに毎日の生活が続くのだから、朝から晩まで想って引きこもっているわけではないよね」 と、話しながら東北の人達の事を思った。
“一人じゃないよ”とか“前を向いてあるこう”とか、いろんな励ましのキャッチフレーズが溢れた。そして、いろんなイベントや慰問があり、そのたびに 「ありがとうございます」 「勇気をもらいました」 「前を向いて歩いて行けます」 「感動をありがとうございます」 とかの感謝の言葉を引き出していた。
私は、夫が亡くなってから、彼らの言葉に違和感をもっていた。インタビューアーに上から目線を感じ、被災者はもっと違う気持ちがあるのだろうに、と思っていた。
私の友達も知人も、今までと同じように普通に関わっていてくれるし、夫の事も自然に話題に出来る。
でも、遠く離れた人は、私達の時間があの時で止まっていると思っているみたいに感じた。本当は、食べたい物は食べ、行きたい所へは行き、楽しい事には笑っている。だから、普通に日常的な話や、思い出も話したい。
それが、東北の人々も、今は違う言葉を言いたいのでは、と思う。相手が望む言葉を紡ぎ、心の中では「そうじゃないのよ、ホントはね」 とつぶやく。
昨日も、新潟の豪雨の事で妹に電話した。やっぱり、最期は 「二人で頑張って生きて行くから」 で終わった。
だから、この詩に、心を動かされたのかもしれない。
起きて来た娘に、「何、グスングスンしてるの」と、言われた。
昔は、朝から晩までウォークマン(古い)を離さない時期があった。電車の中も、家事炊事の時も、大好きな音楽を聞いていた。
今は、思い出したようにCDを聞く事はある。
私が、音楽に夢中になっていた時には、夫はあまり興味がなかったみたいだった。
私が、音楽から遠ざかった頃から、夫の方が家でも、どこかに行く時にもイヤ―フォンを離さなかった。
彼が亡くなって、膨大なMDが残されて呆然とした。
今日の朝刊の一面広告に “flupool” が乗っていた。最近のミュージシャンを知らない私は、もちろん彼らを知らない。
そこに、「どんな未来にも愛がある」 と、「証」 の歌詞の一部が書かれていた。
何の気なしに読んで、思わず胸が一杯になり涙がこぼれた。
<どんな未来にも愛はある>
ただ、あなたが笑ってくれるから 僕は生きていける
もし この声が涸れてもね 唄うから 歓びの歌
美しく輝くほどに 心に咲く花よ
いま称えよう どんな未来にも愛はある
何もかもを 失ったとしても
求め与え合うあなたと明日がある
慌てなくていい ゆっくり育んでゆこう
数えてみようか 願った星の数を
いま、あなたが涙に暮れるなら 傍で唄っているから
“負けないで”が辛い響きなら言葉じゃなくて紡ぐ旋律(しらべ)
苦しみも刹那も越えて この世に咲く花よ
瞳(め)を閉じて 芽吹いた“絆”はここにある
あたたが足を止めるのなら 僕はそこに腰をおろして
ともに歩めることが 何より愛しいから
<証>
君の指さす その未来(さき)に 希望があるはずさ
誰にも 決められはしないよ
一人で抱え込んで 生きる意味を問うときは
きっと思い出して あの日の僕らを
“またね”って言葉の儚さ 叶わない約束
いくつ交わしても慣れない
なのに追憶の破片(かけら)を敷き詰めたノートに
君のいないページは無い
溢れだす涙 拭う頃 君はもう見えない
想う言葉は“ありがとう”
傷つけ合っては 何度も笑い合えたこと
絆を胸に秘め 僕も歩き出す
このグループの歌を聞いた事はないから、メロディーは浮かばないが、この詩が私の涙腺を刺激した。
夫の事を想い、彼が居なくなったあの日からの日々を思い、思わず泣いてしまった。
最近、田舎の妹と従姉から電話があり、「大丈夫?ちゃんとご飯食べてる?立ち直った?」 というようにいわれ 「大丈夫よ。二人で頑張っているから、ありがとう」 と答えていた。
そして、娘と二人で 「お父さんが亡くなっても、直ぐに毎日の生活が続くのだから、朝から晩まで想って引きこもっているわけではないよね」 と、話しながら東北の人達の事を思った。
“一人じゃないよ”とか“前を向いてあるこう”とか、いろんな励ましのキャッチフレーズが溢れた。そして、いろんなイベントや慰問があり、そのたびに 「ありがとうございます」 「勇気をもらいました」 「前を向いて歩いて行けます」 「感動をありがとうございます」 とかの感謝の言葉を引き出していた。
私は、夫が亡くなってから、彼らの言葉に違和感をもっていた。インタビューアーに上から目線を感じ、被災者はもっと違う気持ちがあるのだろうに、と思っていた。
私の友達も知人も、今までと同じように普通に関わっていてくれるし、夫の事も自然に話題に出来る。
でも、遠く離れた人は、私達の時間があの時で止まっていると思っているみたいに感じた。本当は、食べたい物は食べ、行きたい所へは行き、楽しい事には笑っている。だから、普通に日常的な話や、思い出も話したい。
それが、東北の人々も、今は違う言葉を言いたいのでは、と思う。相手が望む言葉を紡ぎ、心の中では「そうじゃないのよ、ホントはね」 とつぶやく。
昨日も、新潟の豪雨の事で妹に電話した。やっぱり、最期は 「二人で頑張って生きて行くから」 で終わった。
だから、この詩に、心を動かされたのかもしれない。
起きて来た娘に、「何、グスングスンしてるの」と、言われた。