朝、目覚めたら、雪が降っていた。
天気予報では、雪が降ると言っていたので驚かなかったが、直ぐに、ベランダに出て周りを見渡す。
私の生まれ故郷は、豪雪地帯。
子供の頃、一階の窓の外は雪の壁。もちろん、窓ガラスが割れないように板で雪囲いがしてあるが。
玄関からは、空が見えないほどの雪の階段が作られていた。その上の方から覗き込むように近所の人が降りて来た。
昭和38年豪雪の時には、私達が歩く道は、電線よりも上だった。
中学校へは自転車で通学していたが、冬だけはスクールバスが出た。
でも、その年には、あまりの降雪で除雪が追いつかず、学校まで歩いて通った。山奥の子供達は、久しぶりに分校が開かれた。
雪が降ると、いつもその時の事を思い出す。
あの時の雪は、周り中の何もかもを真っ白に塗りつぶし、ただただ、サラサラサラと雪が降り積む音以外は無音の世界だった。それが何日も続く。
田舎に住む妹は、「温暖化かしらね、雪があんまり降らなくなったね」 と言う。もちろん、都会の人が見れば雪は一杯積もっていると思うだろうが。
雪の世界しか知らなかった私が、就職に太平洋側に出て来て、初めての冬を迎えた時の衝撃は今でも覚えている。
冬、毎日毎日、青空が広がり太陽が出ている!と。
今、たまに雪が降るのは嬉しい。
でも、冬、雪国で生活する事はもう出来ない。冬、キラキラ輝く太陽の暖かさと快適さを知ってしまったから。
私の足跡
天気予報では、雪が降ると言っていたので驚かなかったが、直ぐに、ベランダに出て周りを見渡す。
私の生まれ故郷は、豪雪地帯。
子供の頃、一階の窓の外は雪の壁。もちろん、窓ガラスが割れないように板で雪囲いがしてあるが。
玄関からは、空が見えないほどの雪の階段が作られていた。その上の方から覗き込むように近所の人が降りて来た。
昭和38年豪雪の時には、私達が歩く道は、電線よりも上だった。
中学校へは自転車で通学していたが、冬だけはスクールバスが出た。
でも、その年には、あまりの降雪で除雪が追いつかず、学校まで歩いて通った。山奥の子供達は、久しぶりに分校が開かれた。
雪が降ると、いつもその時の事を思い出す。
あの時の雪は、周り中の何もかもを真っ白に塗りつぶし、ただただ、サラサラサラと雪が降り積む音以外は無音の世界だった。それが何日も続く。
田舎に住む妹は、「温暖化かしらね、雪があんまり降らなくなったね」 と言う。もちろん、都会の人が見れば雪は一杯積もっていると思うだろうが。
雪の世界しか知らなかった私が、就職に太平洋側に出て来て、初めての冬を迎えた時の衝撃は今でも覚えている。
冬、毎日毎日、青空が広がり太陽が出ている!と。
今、たまに雪が降るのは嬉しい。
でも、冬、雪国で生活する事はもう出来ない。冬、キラキラ輝く太陽の暖かさと快適さを知ってしまったから。
私の足跡