先週までは、近い将来の退院の話も出ていて、それに向けての看護師さんから、退院後は介護保険を利用した方がいいですよ、と言われ、その準備もしていた。まだ、しばらくは入院するだろうからと、府中までの定期券も買った。
それが、金曜日頃から食欲が無くなり、アッと言う間だった。
看護師さん達と、楽しく語らい、担当の女医さんも手が空けば、夫の所に来て雑談をしていた。
見舞い客も入れ替わり立ち替わり来て、書く事が大好きな夫は、色紙に言葉を筆で書いて渡していた。
娘の友達も見舞いに来て 「パパさん、早く良くなってね。一緒にヨーロッパに行こうね。約束だよ」 と言われて、ニコニコしていた。
結局、病魔の方が追いついて来ちゃったのかなと思う。
医者が退院の話をしていたのも、希望を持たせる為だったのだろう。担当医は、私には、いつどうなってもおかしくない状態です、とずっと言っていた。
先週末に本人が息子に「本当に退院できるのかな…。退院への道筋が見えない」 と言っていたそうだ。
その頃から、ガクっと食欲が落ちて来た。
それとともに、一気に状態が悪くなった。そして、緩和治療が始まった。
土曜日の夜から補助ベッドを入れて順番に泊まる事にした。まず、息子が泊まり、次は私と娘。
昨日の日曜日、娘は「目が覚めたから早く行く」 と、朝6時に家を出て行った。私も洗濯等を済ませて、病院に行った。
着いた時には、もう、呼びかけても 「うん、うん」 と、うなずくが分かっているのか…。
午後までは苦しそうにしていたが、だんだん、穏やかな表情になり、夕方の5時33分、次の呼吸をするのを忘れたような、分からないような穏やかな旅立ちだった。
夫の病名の“間質性肺炎” は、治療法も効果的な薬も無く、国の難病に指定されている。
最後は、厚生省で認可されていない薬を使用して、小康状態の一か月半だったのかと思う。
そして、病院から 「今後の治療法や薬の開発の為に、病理解剖をさせてもらえないか」 との申し出があり、子供達とサインをした。
最後の最後まで人の為に働いて、お父さんらしいねと、子供達と話した。
でも、最後に大好きなFC東京の勝利を告げられなかったのは残念だ。
今日の午後には、病院に夫を迎えに行き、忙しくなる。
それが、金曜日頃から食欲が無くなり、アッと言う間だった。
看護師さん達と、楽しく語らい、担当の女医さんも手が空けば、夫の所に来て雑談をしていた。
見舞い客も入れ替わり立ち替わり来て、書く事が大好きな夫は、色紙に言葉を筆で書いて渡していた。
娘の友達も見舞いに来て 「パパさん、早く良くなってね。一緒にヨーロッパに行こうね。約束だよ」 と言われて、ニコニコしていた。
結局、病魔の方が追いついて来ちゃったのかなと思う。
医者が退院の話をしていたのも、希望を持たせる為だったのだろう。担当医は、私には、いつどうなってもおかしくない状態です、とずっと言っていた。
先週末に本人が息子に「本当に退院できるのかな…。退院への道筋が見えない」 と言っていたそうだ。
その頃から、ガクっと食欲が落ちて来た。
それとともに、一気に状態が悪くなった。そして、緩和治療が始まった。
土曜日の夜から補助ベッドを入れて順番に泊まる事にした。まず、息子が泊まり、次は私と娘。
昨日の日曜日、娘は「目が覚めたから早く行く」 と、朝6時に家を出て行った。私も洗濯等を済ませて、病院に行った。
着いた時には、もう、呼びかけても 「うん、うん」 と、うなずくが分かっているのか…。
午後までは苦しそうにしていたが、だんだん、穏やかな表情になり、夕方の5時33分、次の呼吸をするのを忘れたような、分からないような穏やかな旅立ちだった。
夫の病名の“間質性肺炎” は、治療法も効果的な薬も無く、国の難病に指定されている。
最後は、厚生省で認可されていない薬を使用して、小康状態の一か月半だったのかと思う。
そして、病院から 「今後の治療法や薬の開発の為に、病理解剖をさせてもらえないか」 との申し出があり、子供達とサインをした。
最後の最後まで人の為に働いて、お父さんらしいねと、子供達と話した。
でも、最後に大好きなFC東京の勝利を告げられなかったのは残念だ。
今日の午後には、病院に夫を迎えに行き、忙しくなる。
FC東京繋がりで、時々拝見しておりました。ご主人が入院されたのもこちらのブログで拝見し、早く味スタに行ければいいな、と思っておりましたので、この度の訃報に大変驚いております。通りすがりの者ではありますが、心よりお悔やみ申し上げます。
また最期まで同じ病気の方々の為にご自信を役立てようとする姿にも敬意を表します。
いろいろご心労もあろうかと察します。どうかご無理なさらぬようご自愛下さい。
突然のコメントにてご無礼申し上げました。
生前、ご主人とは南山のまちづくりについて、まちづくりプランナーの立場から多くの議論をさせていただきました。開発と保全の折り合いをどこに見出すか。人間が生きていくうえで恐らく永遠に考え続けなければならないテーマで、ご主人の志を無駄にしないよう、僕も含め残された者たちで真剣に考え続けていきたいと思います。
夫は、毎日、自分の部屋から見える開発中の南山を見つめていました。
これからは、私も彼の心を受け継いで、微力ながら強力させていただきたいと思います。
J2に落ちたのには、夫もガッカリしてましたが、今年は、まだ、行った事のないスタジアムに行けると楽しみにしておりました。
キャンプの宮崎と鹿児島に行けたのが、最後のアウェイとなりました。
リーグ戦では、ホーム開幕戦しか応援できませんでしたが、勝ち試合を見れて良かったと思います。
これからは、夫の思いも一緒に応援して行きたいと思います。
これからも、よろしくお願いします。