赤羽台3丁目・八幡谷谷頭付近の階段
所在地:赤羽台3-26と30の境 Google Map
Photo 2013.9.9
細道を谷の奥の方までたどると谷壁斜面の坂を上っていき、階段を経て谷を出る(写真右)。上りきってわきを見ると、谷を横断するような階段が(写真左)。 以前、いちど訪れていたが、このパノラマを撮りたくてまたやってきた。スリバチ的、階段的にはスバラシイ場所。
赤羽台3丁目・八幡谷谷頭付近の階段
所在地:赤羽台3-26と30の境
段数 :30段(下部のアパートアプローチ15段、中部11段、上部4段)
Photo 2013.9.9
最奥部で谷を横切る小道。 手前の階段は、右手のアパート1階へのアプローチ階段。 その途中から左へそれて狭い階段を上り更に進むと、奥には下り階段があり、区立赤羽緑道公園に出る。 赤羽緑道公園は旧陸軍兵器補給廠専用線の跡地。 とにかくなんだかスゴイ感触のある場所だ。
赤羽台3丁目・八幡谷谷頭付近の階段
所在地:赤羽台3-28と30の境 Google Map
段数 :11段
Photo 2013.9.9
大谷石の石垣沿いのかなり狭い道。道幅を測ってくればよかった・・・。
#階段・坂 北区 #路地 #地形 #パノラマ
赤羽台という町名だが、その中には実は谷地もある。
赤羽台・八幡谷の細道
所在地:北区赤羽台3-22・23 Google Map
Photo 2013.9.9
スリバチ感満載。2年前にスリバチ・フィールドワークでも行った場所だが、もういちど行きたくなって再訪。
所在地:北区赤羽台3-27
Photo 2013.9.9
谷の奥へ奥へと進む。写真は振り返って下流方向を見たところ。谷壁斜面に沿った道なので、下流へ向かう道がずっと下りだとは限らず、若干のアップダウンがあったりする。
八幡谷の最奥部。この先、まだ行くことができて、最終的には谷から高台へ出る。都内の谷地住宅地としてはかなりディープな部類かもしれない。
#街並み 北区 #地形 #路地
赤羽台・八幡谷の階段
所在地:北区赤羽台3-21 Google Map
段数 :42段(下から9・8・19・6段)
Photo 2013.9.9
もちろん私道。プライベート性の高い細道なので、大勢で歩くのはダメな感じ。
上半分はたぶんセルフビルドで、コンクリートブロックや石を並べただけ。
下半分は業者さんがやったらしいが、固まる前に子供が歩いてしまったらしい。
しかも結構雑な仕事ぶりでもある。なぜ蹴上げ部分に鉄筋が出てしまっているのだ?!
#階段・坂 北区
赤羽台団地再訪。
UR都市機構赤羽台団地49号棟
所在地:北区赤羽台1-4 Google Map
建設年:1962(昭和37)年
Photo 2013.9.9
8棟あったスターハウスの内、半数が2013年に解体された。残るは赤羽台トンネルのすぐ上に見える49号棟と西側の42~44号棟。老朽化は否めないのでこれらも数年の内に解体されてしまうのかもしれない。
UR都市機構赤羽台団地50号棟(左)・51号棟(右)
所在地:北区赤羽台1-6 Google Map
建設年:1962(昭和37)年
Photo 2013.9.9
4棟で中庭を囲んでいた50~53号棟は既に封鎖され、中庭に行くこともできなかった。これらの棟には1階に商店が入居していて、2年前に訪れた時はまだ数軒が営業していたが、既に全く人の気配がなかった。訪ねたのは昨秋なので、既に解体されてしまったかもしれない。
UR都市機構赤羽台団地33号棟
所在地:北区赤羽台2-1 Google Map
建設年:1962(昭和37)年
Photo 2013.9.9
久々に近くを通りかかったが、33号棟も築50年を経て閉鎖されていた。
廊下があるのは3Fと6Fのみで、他の階の部屋には3Fか6Fの廊下から階段で上り下りしてアプローチするものだった。廊下のない階では通風や採光、プライバシー面で優れ、エレベーターの効率も良いとされたが、バリアフリー面での問題もあり事例は少ないという。
赤羽台団地が造られたのは日本住宅公団の時代。団地の在り方が模索され、住棟も様々なスタイルでデザインされたようだ。今の公団住宅とは全く異なるが、昔の団地建物も興味深い。
#古い建物 北区 #失われた建物 北区 #街並み 北区
#公営・公団・公社・公立住宅 #集合住宅
赤羽台4丁目の木造家屋
所在地:赤羽台4-12
建設年代:戦後まもなく
解体年代:2019〜20(令和元〜2)
Photo 2013.7.3
赤羽台4丁目の5~15番地のあたりは街区が碁盤の目のようになっており、かなり古い建物も建っている。
この近辺は、終戦時までは近衛工兵第一連隊と第一師団工兵第一連隊、両工兵連隊の練兵場だった場所で、戦時中の航空写真を見ると原っぱになっている。
戦後すぐ(1947年頃)に宅地化され、当初は都営住宅地だったようだ。復員者などが増えて住宅難になったため、応急的に造られた木造住宅団地らしく、その辺の経緯は戸山ハイツなどとも似ているが、ここの住宅地は集合住宅団地にはならず、現在も戸建てが密集する宅地になっている。
スリバチ本の地図には同潤会住宅地と記されているが、ここは戦時中は練兵場だったので、これは著者の錯誤かと思われる。
スリバチ・フィールドワークで御一緒した際、もしここが同潤会住宅地なら当時の建物かもしれないとは思ったのだが、後からよく見ると、なんだか違うような気がして気になっていた。
分譲住宅地だとしたら、言ってはなんだが、ややしょぼい。また、2階部分が相対的に小さいプロポーションは普通住宅地の2戸連続の長屋形式に似るが、ここでは戸建てなのが気になっていた。裏路地的な細道が配されているあたりは、かなり同潤会住宅地っぽいのだが、昭和12年の地図で練兵場と書かれ、また昭和20年の地図では真っ白に表記されている場所に、戦前に同潤会住宅地ができてそれが残っていることは、まず考えられない。
現在、北区赤羽近辺の同潤会住宅地としては、赤羽普通住宅地が赤羽西4丁目(旧王子区稲付町4丁目)に、また、赤羽分譲住宅地が西が丘1丁目(旧稲付西町)にある。あと、少し南には十条普通住宅地が十条仲原3丁目(旧上十条町)にあり、いずれにもわずかな数、当初からと思しき木造家屋が残っている。
2024.10.4 追記
2018年11月に現地を訪れた際にはまだ存続していたが、2020年10月時点のGoogle ストリートビューでは既に更地で土地分譲中となっていた。現在は3階建て2棟となっている。
#失われた建物 北区 #公営・公団・公社・公立住宅
アパート入口の階段
所在地:北区赤羽台3-15
Photo 2013.7.3
とあるアパートの敷地入口。公園の入口とかには幅広の階段があるが、2、3棟のアパート敷地の入口としてはかなり珍しい形。
階段マニアなんじゃないだろうかと思ってしまう。
#階段・坂 北区
狭い路地を進み、角を曲がると建物の陰に階段が。
真っ直ぐな道を行くと階段下に木造家屋がある階段が。
階段下に木造家屋がある階段
所在地:赤羽台3-3 Google Map
Photo 2013.7.3
実はこれ、同じ階段。でもアプローチの方法が違うと、感触は全く異なる。
この階段の場合、前者の方が体験が劇的で階段との遭遇インパクトが大きい。
後者の場合は、抜けられてホッとする感じ。
さて次回はどちらから行こうかな。。
#階段・坂 北区